2023年までに、障害者雇用の機会はテクノロジーによって3倍に増加する
11月14日、米国のITアドバイザリー企業ガートナーは「IT部門およびユーザーに影響を与える 2020年以降に向けた重要な展望」を発表した。
人間の拡張、意思決定、感情、他者との関係という4つの側面において、テクノロジー利用の新たな現実が形成されつつある。それによって人間の可能性は著しくひろがり、人間であることの意味までも問い直す必要性が生じる。
AIをはじめ、AR(拡張現実)、VR(仮想現実)などのテクノロジーにより、障害者のもつ重要なスキルは、ますます活かされていく。そこでガートナーは、2023年には障害者雇用の機会が3倍に増えるとの予測を立てた。障害者のみならず、これまで様々な理由で就業できなかった多くの人々にも、機会は開かれるだろう。
ガートナーのアナリスト、ダリル・プラマーは言う。「テクノロジは、人間であるということの概念を変化させています。従業員や市民が、自らの能力を強化するものとしてテクノロジを見なすにつれて、人間のありようも変化しています。」起こりつつある未来において、人間に対する旧来の固定的なパラダイムをやめなければ、人を活かすことはできない。
ここで障害者の新たな働き方について、昨今の事例をふまえて検討したい。ロボットは人間の仕事を奪うどころか、人間に実りを与えることだってできるのである。
人間の可能性を引き出す
プラマーも紹介しているように、一部のレストランなどでは、身体にまひのある従業員が接客ロボットを遠隔操作する、AIロボティクス・テクノロジーのパイロット試験が始まっている。わが国では分身ロボットカフェ DAWNなどの実験が行われている 。
人は何のために働くのか。それは、たんに日々の生活の資を得るためではなく、生きがいを感じるためでもある。だが、働きたくても働けない人は、どうすればよいのか。肉体が動かないだけならば、ロボットに動いてもらえばよかろう。ヒト型ロボットOriHime Dは、寝たきり状態の人でも、遠隔操作で動かすことができる。接客やビル内の案内などのシーンで、顧客の生の声に応えながら、働くことができるのである。
働けるのは、経験者だけだろうか。すでにVRカメラを用いた研修が行われている。Insta360 ONE Xは、5.7K画質の360度カメラであり、高度な手ブレ補正機能を搭載している。リアルタイムに、視聴者が見たい方向を自由に見ることができるから、研修の場に置いてもよいし、持ち運んで職場見学に活用することもできる。
授業などは、直接顔を合わせなくてもできる。例えば筆者のゼミ生は、大学生の講師によるオンライン教育環境を立ち上げ、運営している。これなどは、障害者が講師を務めることも可能である。あるいは、文科省がインターネット学習を強化するようになれば、障害をもつ子供たちの将来も明るくなる。教育格差の是正こそ、公平な社会の実現には必要だと強調したい。
視力に深刻な障害を抱えている人には朗報だ。MITテクノロジーレビューによれば、視力回復を目的とした脳インプラントの研究が進んでいる。カメラの映像を電気信号に変換し、脳に映像を送ることで、目の代わりとするのである。従来の方法では、一時的にしか視力は回復しなかったが、ハーバード大学の方式であれば、長期的な活用が見込まれるようだ。
肉体は、テクノロジーによって拡張する。しかも、人間の限界を超えて拡張していく。目は見え、耳は聞こえるようになる。腕も足も自由に動くようになるし、行きたい場所にはどこにだって行くことができる。通信やITの発達によって、会いたい人に瞬時に会えるようになる。どこにいたって人とつながり、人間らしく、心を通わすことができるようになるのである。
人間のつくる希望の世界
ガートナーの調査によれば、積極的に障害者を採用している組織は、コミュニティから好感を得られるだけでなく、就労定着率が89%、生産性が72%、収益性が29%も増加するようだ。
当然の結果であり、人の強みを活かそうとする企業では、すべての就業者の満足度を向上させ、活き活きと働く環境が整えられる。そういう企業では、障害者もまた活かそうとするに違いない。人間が人間らしく働くことで、社会はよりよく発展していく。
だから筆者は、テクノロジーを軽んじるすべての日本企業に言いたい。テクノロジーは、人を救う手段にほかならない。そして企業とは、人を救うために活動する機関のはずだ。障害者のみならず、世の中には困っている人が沢山いる。かつては助けられなかった人も、新たなテクノロジーを用いれば助けられるかもしれない。その可能性に目を向けずして、何のために仕事をしているというのか。
すべての人が希望をもつ世界を、ともにつくろう。それは、人を助ける手段を知り、実際に活用することによって、実現される。未来はロボットが担うのではない。いつの時代だって、心をもった人間が担うのである。