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カオスの根源―日本政治はどこに向かう(1)

田中良紹ジャーナリスト

ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官はかつて、日本について「分かりきったことをやるのに15年もかかる」と語ったそうだ。いわく、米国のペリー艦隊に開国を迫られた後「開国か攘夷か」で国論が二分し、明治維新を迎えるまでに15年かかった。いわく、1945年に戦争に敗れアメリカの事実上の支配下に入るしか選択肢はないのに、日米安保条約を守るか破棄するかで60年まで大もめにもめた。

キッシンジャーの見方に立てば、冷戦が終わった世界に日本が対応するのは、91年のソ連崩壊から15年後の06年ということになる。ただ、それからさらに6年後の2012年、日本政治はいまだカオスの中にある。冷戦後に2大政党制を目指したはずが、今回の衆院選に候補者を擁立した政党の数は12に上る。なぜ少数政党が乱立し、政治は混迷を続けるのだろうか。

冷戦期、日本政治は実に安定していた。長期政権を続ける自民党と万年野党の社会党がまるで企業の経営者と労働組合のように対立しながら共存していたからだ。労働組合は経営者にさまざまな要求はするが、決して経営権を奪わない。社会党も自民党政権に要求はするが、決して本気で政権交代を求めなかった。国民が自民党政権の交代を望んでも、社会党は常に過半数を超える候補者を選挙に立てなかった。たとえ全員が当選しても、政権を奪えない仕組みだ。

つまり冷戦期の日本では、複数政党が選挙で競い合う民主主義というシステムの中に、決して政権交代が起こらない民主主義とは異なるシステムが共存していた。それをもたらしたのは、戦前の政治だ。

明治の日本は優秀な頭脳を持つ学生を官僚に登用し、その官僚が行政をすべて取り仕切る仕組みで、近代国家としての一歩を踏み出した。やがて国会が開設され選挙も行われたが、有権者は国民のわずか1%にすぎない高額納税者に限られた。しかし経済が成長すると大衆は自らの権利を主張するようになる。

大正時代になると25歳以上の男子全員に選挙権が認められ、大衆が政治に参加するようになった。日本でも2大政党による政権交代の政治が始まったが、そこからが問題だった。政権を獲得したい野党は手段を選ばず政府を攻撃し、それに新聞が追随する。「政治は末期症状」「断末魔の政党政治」といった過激な見出しが新聞に躍り、国民は次第に政治に失望していく。

泥仕合の与野党攻防で2大政党時代の8年間に6人の首相が交代し、国民は党利党略に明け暮れる政党よりも中立的立場にある軍、官僚、警察に期待を寄せるようになる。日本全体が不安定な政権交代より「挙国一致体制」を求め、ついにすべての政党は解党されて「大政翼賛会」にのみ込まれた。

政治家もメディアも学者もそして国民も政党政治を育て上げる忍耐力を持たず、国民が選んだ政党を国民と対立する存在とみなした。今もこの風潮は続いている。09年の政権交代後の失望と批判は、民主主義を育て上げる忍耐力を持たなかった昭和初期とうり二つだ。

2大政党制が解体された後、日本は戦争への道をひた走るが、その時つくられたのが官僚主導による統制経済体制だ。国民に貯蓄を奨励して銀行を経済の中枢に据え、銀行を通じて民間企業を国家が間接支配する。さらに業界ごとに「統制会」をつくり、それを通じて政府は企業を行政指導する。統制会は戦後も名前を変えて生き残った。「重要産業協議会」は「経団連」に、「農業会」は「農協」に名前を変えて今も経済の中心にいる。

統制経済体制をつくったのは「革新官僚」と呼ばれる改革派官僚だ。その中から戦後、安倍晋三の祖父である岸信介ら自民党の政治家だけでなく、社会党の理論的支柱も生まれた。つまり自民党と社会党の中心人物は同じルーツだったのだ。

戦後日本を民主化しようとしたGHQ(連合国軍総司令部)は、直接統治をしたドイツとは異なり、官僚機構を手足に使って日本を間接統治した。そのため軍人や政治家に比べて官僚の公職追放は緩やかで、革新官僚たちがつくり出した統制経済体制は戦後も続いた。それを推進するため、自民党と社会党は大政翼賛会さながらに政権交代のない政治の仕組みを編み出したのである。

自民党と社会党の政権交代なき政治は日本に甘い成功体験をもたらした。冷戦期、ソ連に対して封じ込め政策をとったアメリカは、その最前線に位置する日本の経済発展を支えた。その支えの上に政治と官僚と経済界とが挙国一致で取り組む統制経済体制をつくり上げ、日本は驚異的な高度経済成長を達成した。ところが冷戦末期で「甘い生活」は一変する。

85年に日本が世界最大の債権国に、アメリカが世界最大の債務国に転落すると、アメリカの日本たたきが激しさを増した。冷戦が終わる頃にはソ連の軍事的脅威より日本の経済的脅威が問題にされ、アメリカ国内に「日本異質論」が噴出。戦前に作られた統制経済体制は「政官財の癒着」として強く批判された。

冷戦の終わりを象徴するベルリンの壁が崩壊した年、長期政権を維持してきた自民党は参議院選挙で初めて大敗を喫した。それによって戦後の日本政治が内蔵してきた問題があぶり出される。それが衆参「ねじれ」の構造である。(続く)

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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