漢字、アルファベットが理解できない少年院の子どもたち
少年院とのかかわりは退院後の就労や社会的なつながりとしての「場」の提供を期待され、この7年間地道に活動をしてきた。帰住先としての家庭があれば、そこが受け皿となって立ち直りに向かっていく。しかし、家庭が機能していない場合、更生保護施設などに入所して人生を再スタートさせる。非常に険しい道だ。10代そこそこで家庭がなく、滞在できる期間が限られている更生保護施設にいられる間、仕事を見つけ、自立のための資金を貯めなければならない。じっくり考え、仕事を選ぶ時間はほとんどない。
そんな少年たちを支える活動を小さく初めてきたところ、退院後の支援に加えて、少年院の「中」で外部の人間として少年たちを支えることができるようになった。これまでは個人の篤志家などが中心であったことに、NPOという法人として支援に入ることができるようになったのはあまり全国で例がないようだ。
昨日、私は少年院の「中」に入り、直接子どもたちとかかわりを持った。そこでは、私たちが常識的に前提としているものが前提となっていないことに直面した。
これまで建設業や製造業が大きな受け皿として機能してきたため、院内の就労支援にかかる設備もその分野が強くなっている。しかし、労働市場の変化に加え、子どもたちも「スーツを着た仕事」や「オフィスワーク」を希望するようになり、また、過去と比べると復学の道を選択する少年も増えているという。
そのような状況下で最低限のPCスキルを身に着ける取り組みが少年院の中でも行われている。まずはこの部分を担当させていただくことから、「中」でのかかわりは始まった。施設内外の見学や遠巻きに少年たちを見ることはあったが、実際に彼らと話をしながら、直接的な関係を「中」で持つことは、退院後にかかわることと比較すると、少年院にいる少年たちとわけ隔てることなく会う、話すころができるという意味で、これまでとは異なった世界を実際に見ることができた。
その日のPC基礎講習は、「タッチタイプ」「エクセル(関数)」「ワード(文章タイプ)」をテーマに、短く時間を区切って学びの設計をしている。長い時間同じことを続けると集中力も持たないからだ。また、不得手の分野に当たってしまうとずっとつらい時間を過ごさなければならないことも学習効果を低減させるリスクとなる。
PCを恐る恐る触っている少年を見ると、スマホを使いこなす10代の子どもたちにとって、タッチタイプが自由自在にできる子の方が少数派ではないだろうか。ましてや、ワードやエクセルなどは使う機会もなく、日常生活でも必要なアプリケーションとも思えない。つまり、「できない」「わからない」は少年院の子どもたちが特別ではなく、世代的に「触れる機会に乏しい」のではなかと思うのだ。
既に数回目の子どもと、今日から参加する子どもが混在するクラスで、私は今日から参加する子どもに付き添った。まだあどけない横顔の少年は緊張しているように見えた。それはPCを前にしていることではなく、日常生活をともにする法務教官の方々とは違う、外部から来た大人の存在に対してだろう。それでも一言、二言話をしているうちに笑みを浮かべるようにもなった。面と向かって話をするのではなく、PC画面という両者が向かい合わずに視点を逃がせる状況と、個人の話はでない環境が安心につながったのではないだろうか。
タッチタイプは、それぞれのレベルに応じてソフトを使って練習するが、ホームポジションのない我流であっても、彼はそれなりに早く打ち込んでいく。そこそこPCを使ってきた子なのかなと感じたほどだ。しかし、彼の手が止まった。
エクセルの関数といっても、SUMを使ってみる程度のもので、多くのひとにとっては造作もないことだろう。しかし、初めてエクセルを使うときに、「これかな?」と思いながら進めていったときのことを思い出していただきたい。なかなかサクサクとはできない。一回できると、「あぁ、こんなものか」と思う。機能を使ってみて、できることがわかり、別の方法を試してみる。そういう学習サイクルが回るなかで使いこなせるようになっていく。
しかし、彼の手は止まったのだ。どこで止まったのか。まずは「品物」とセルに打ち込む際に、「品物」を「しなもの」、そして「SHINAMONO」に頭のなかで変換ができず、固まったようだ。そこで、紙の裏に「しなもの」と「SHINAMONO」と書いた。すると彼は素早く文字を入れ込んだ。
「品物」を「しなもの」と読めなかったのか、それとも「しなもの」を「SHINAMONO」に変換できなかったのかは聞かなかった。彼のことをまったく知らないからだ。これまでの成育歴、そのなかでの出来事や感情の起伏などがわからない状況で、しかも初対面では、どうしてできないかよりも、どうしたらできるかだけに集中するようにした。
次に、「みかん」や「りんご」をタイプするところでも手が止まった。それとなく「MIKANN」「RINGO」と紙上に書き込むと、ささっとタイプしていく。そんなこんなでSUMを機能させることに成功した彼は、初めてのエクセルで課題ができたことに安堵の様子を見せた。
なぜ、彼は漢字やアルファベットができないのかを考えた。年齢的には小中学校が終わっている。高校についてはわからない。漢字も特別難しいものではなく、また、アルファベット(ローマ字)も、高度なものが要求されたわけではない。しかも、彼はアルファベットを見て、しっかりとタイプしている。
いくつかの可能性は浮かぶが、この基本的なことができない彼の生い立ちを勝手に想像してみる。学校段階であれば、どこかでわからなくなったとき、誰にも聞けなかったか、誰も気が付かずに教えてあげなかったのかもしれない。そして、できないままでも授業は進むが、進級し、卒業することになる。
小学生であれば、宿題でわからない個所を先生や親に聞くこともあるだろう。しかし、そもそも先生との関係性ができていなかったり、親がいなかったのかもしれない。または、いたかもしれないがちょっとした質問ができない関係性だったのかもしれない。少なくとも学習塾や補習塾などに通っていればここらへんはサポートされたのではないかと思うのだが、そういう機会もなかった可能性もある。
全部想像ではあるが、事実として彼は漢字やアルファベットが理解できていない。かなり基礎レベルであり、小学生で習熟すべきものだ。そして彼は退院後に仕事に就くことを目指すだろう。学力が身についてなくても働ける場所はあるかもしれない。しかし、わからないことは聞くことで解決できることや、そもそもわからないことをわからないままにしないようにすることが経験として抜けているとすれば、よい形で仕事を続けることにつまづく可能性は想像に難くない。
仕事に就いてもうまくいくだろうか。仕事のみならず、今後の生活や人生はどうなるだろうか。彼に手を差し伸べるのは、彼を理解し、受け入れる”よい大人”だろうか。誰が彼を支えていくのだろうか。まだ10代で、もしかしたらこの先ひとりで生きていかなければならない可能性を考えると、彼自身の気持ちだけで乗り切れるほどいまの社会は包摂的であろうか。
彼は終始笑顔だった。ふんわりと笑う表情は、まだ幼さを残す。ただ、それは私が外から来た誰かであるがゆえに、他所行きの顔をしたのかもしれない。実際、少年院の中にいる少年は、愛情を持って接する法務教官に対して、感情的になったり、よくない態度をすることもあるそうだ。愛着形成に起因するのかもしれない。
しかし、誰だって他所行きの顔や態度を取ることはあるだろう。本当に素のままで誰とでも接することができるひとのほうが稀だ。近い将来、彼らは退会に出る。社会とは本当に多様なひとで構成されている場所だ。少年院の外側から内側に入る私たちは、少しばかりの「社会」という空気を持つ大人として、少年院内外をつなぐ存在として、また退院後に少しでも頼ってもらえる人間として何ができるだろうか。
私たちの小さな活動が、どのように子どもたちの役に立ち、成長に寄与するのかまだ見えていない。しかし、これまで彼があったこともないような大人のひとりとして、彼や彼のような子どもたちにかかわることができる、それはとても価値のあるチャレンジだと思うのだ。
上記の活動を継続し、子どもたちを支えていくためクラウドファンディングを通じて寄付を募っている。正直、ボランタリーな活動として継続するのは難しい。まだ持続可能な仕組みも見つかってない。ただ、これまで見えなかった少年たちのことが少しだけわかるようになってきたのは事実だ。
少年院を退院する全部ではないが、少なくない子どもたちは、退院日に家族が迎えに来ない。引受人の保護司ひとりだけのこともある。先日、保護司の後ろ四人で退所する子どもを出迎えた。ほんの少しだけ安心した様子が垣間見れた。その場所に多くの大人がいてほしい。「少年院から退院した子どもたちが安心して再チャレンジできるよう「みんなで」支えたい」のだ。