NBA復帰を狙うアジア系ポイントガードが直面する人種差別
SNSに記された文面に、彼の苦悩が滲み出ていた。このところ、Gリーグの公式戦の場で「コロナウイルス」という言葉を投げつけられていたそうだ。
大学卒業後の22歳から30歳までNBAでプレーし、現在はゴールデンステイト・ウォーリアーズの下部組織であるGリーグ、サンタクルズ・ウォーリアーズでプレー中のジェレミー・リン(32)が、思いの丈を綴った。
「私たちの世代のアジア系アメリカンにとって、現在とは何かが変化している。我々は本当に疲弊しているーーー『もはやお前たちは差別の対象ではない』とか『トラブルを起こさずに、頭をもたげて生きろ』などと他者から言われること。次世代の子供たちが『お前のルーツはどこだ?』と訊ねられ、目を嘲られること。また、異国人だと見なされること。不細工な民族だと認識されること。ハリウッドで圧倒的に少ないアジア系は、精神的な限界を作ってしまう。我々は無視されており他のアジア系とも見分けがつけられておらず、実際には踠いていないと言われることーーーから。
私は望むーーーアメリカ合衆国に渡って来て、自己を犠牲にしてハードに働き、この地での生活を手に入れた上の世代の方々が、より幸福に生きることを。私の姪や甥が将来、もっと良い社会で暮らすことを。次世代のアジア系アメリカンのアスリートたちが、見下されないための術として全力を尽くさなくてもいいことを。
アジア系アメリカン(※著者注 マイノリティーのなかでは優秀だとされ、黒人やヒスパニックほどは、迫害を受けないと思われがちだが)だからといって、貧しさや、差別の経験を味わわないことはない。9年間NBAでプレーしたベテランであっても、経験は私を守ってくれはしない。コート上で“コロナウイルス”と呼ばれてしまう。
私は自分自身、周囲の方々、そして正義のために闘う。
私たちの思いを今一度感じてほしい。誰かが耳を傾けてくれるだろうか?」
2010年のサマーリーグで自身をアピールし、ゴールデンステイト・ウォーリアーズと契約したリンは同年29試合に出場するが、NBAに定着することは叶わず、Dリーグ(現Gリーグ)に落とされた。
翌シーズン、ケガ人を埋める形でニューヨーク・ニックスメンバーとなったリンは、2月4日のニュージャージー・ネッツ戦で25得点、5リバウンド、7アシストを挙げ注目を集める。その後の彼の活躍は社会現象となった。当時の大統領、バラク・オバマも、リンのレプリカユニフォームを購入し、それを着てTVカメラの前に立った。
今日もファッションブランドの「COACH」がリンをCMに起用している。
当時から黄色い肌に対する差別や偏見との闘いを余儀なくされたリンは、「ワンプレーでネガティブな声を黙らせることが出来る!」と話し、己を貫いてきた。
今回のリンによる声明文は、我慢の限界を超えたように見える。
ゴールデンステイト・ウォーリアーズのスティーブ・カー監督は、リンの文章を目にした翌日、語った。
「非常に強いメッセージですね。私は彼の言葉に同意します。アジア系アメリカンに対する偏見に抗うリンの気持ちが、多くの人に届くようにしなければ。
非常にショックです。かつての大統領のような人間たちによって、このような馬鹿げたことが起こってしまうんですね。新型コロナウイルスが中国で発生したことと、リンを関係付けてしまう。こういった差別が社会に実際に存在することが、私には信じられません」
Gリーグも差別発言に関する調査をスタートした。
アジア人選手がNBAの舞台で活躍するのは無理だ、という視線を跳ね返して来たリンの足跡は、大いに賞賛すべきものだ。ジャパニーズも学ばねばならない。
見逃せないのが、リンがコートの外でも<負けない自分>を築いた点だ。彼はアメリカのみならず、世界的に超名門であるハーバード大学を卒業している。
高校時代のGPA(評定平均)は4.2。A以外のスコアはとったことがない。日本で言うところのオール5が4.0であり、特別選抜クラスでなければ成しえない成績だ。そのうえで、難関な科目で最高点をあげ、プラスアルファの0.2を得ているのだ。
アメリカ社会においてマイノリティーの家庭の多くは、子供たちに「自分を守ってくれる最大の武器は学だ」と叩き込む。リンはそれを理解し、文武両道を貫いた男だ。
今回のSNSによる問題提起は、32歳のGリーグ選手となった今、「ワンプレーでネガティブな声を黙らせる」ことが出来なくなってしまったことも感じられる。が、リンがいかに今後自分の人生を闘い抜いていくかを、しっかりと見詰めたい。