日本の八百万の神は、嘘八百か!?
日本の日常において「神道は、一神教の他宗教と比べて対照的である」との会話が交わされ、我々外国からやって来た者もそのように教わる。日本の神道の大きな特徴として「八百万の神」の説明がある。神様がたくさんいる。この国の人々は、山、海、森や木などの自然界に神様が宿ると信じ、自然を拝み共に生きてきた。山や川に限らず、田んぼの神様、厠の神様、台所の神様から米粒の中にも神様がいると考えてきた。
神道では、自然界はもちろん、味方に限らず、敵方の御霊も神として祀る。すっかり日本の神様になって神社に祀られる七福神も実際の所、日本出身は恵比寿だけで、残り3名はインド、3名は中国出身である。もう一説によると、外見的な特徴からして七福神の中には、障がいある者も混ざっているという。日本の神道、日本の神社たる空間は、とてつもなく懐が深い。
日本の神様は完全無欠ではない。神々が力を合わせて自然界や人々を守っているという。完全無欠ではないとの考えが日本の人々の生き方にも投影され、他と比較して違いを見つけ排除や批判するのではなく、共通点を見つけ、足りない所を補ってきた。その謙虚な精神が日本人であり、それが神の道なのだという。
神の道に習い、この国で脈々と引き継がれてきた、違いを受け入れ、力に変えるという生き方が、日本の人々の最大の強みであり、その強みが活かされた結果がまさにこの国の今の繁栄でもある。御詣りした者は、目に見える、見えぬに関わらず神社たる空間から伝わり受ける強さ、優しさ、しなやかさ、美しさ、そして豊かさは、神社として多くを束ね、積み重ねて来た歴史の賜物であるに違いない。
そんな神社に貼り出されていた「私 日本人でよかった」というポスター。
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全てを迎え入れ、優しく包み込んでくれる神社たる神々が宿る崇高な宇宙的空間に、民族主義的な狭き発想に基づく自画自賛の文言を貼り出すことは、神々を冒涜することにはなるまいか。最も日本らしい空間として世界の多くの素晴らしいものを受け入れて形成された神社は、日本の最大の誇りであり、世界からやってくる全ての人間を気持ちよく迎えられる最も普遍的かつ唯一無二の空間ではないか。
神社は尊い空間であっても、例えば日本周辺の諸国出身者の中に、靖国神社に関して相容れないとの考えをもち、こちらにはお参りにいかない者がいる。その点についての議論はともかく、今回「私 日本人でよかった」のような民族主義的な香りを大々的に放つポスターを全国のあちこちの神社の境内や入り口に貼り出すことによって、日本の神社全てが、例えば靖国神社と変わらないというような印象を受け手に与える結果にはなるまいか。
もう一つ、日本で「Japanese Only」などの表現を使い、店やサッカー場などで外国人を排除するような言動が見られる。「ジャパニーズ・オンリー」のポスターを貼った店と「私 日本人でよかった」と貼る神社。本質的には同じということになってしまうのではないか。
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そもそも論、「私 日本人でよかった」などは、各々の内面から吐き出される気持ちである。「私 日本人でよかった」だけに限らず、「日本」と「よかった」が無限にかけ合わさり、「日本に来てよかった」、「国籍を取得してまで日本人になってよかった」、「子供を日本で育ててよかった」、「結婚相手が日本人でよかった」「日本のお友達ができてよかった」などなどの無数の組み合わせが現に存在している。「私 日本人でよかった」などを押し付けるほど醜いことはない。それまで自主的に日本を愛していた人間の中にも、押し付けられることによって、逆に日本を嫌いとなる者は出て来るのではないか。
後々になり「私 日本人でよかった」のモデルは実は中国の国籍であったことが解り、このニュースは皮肉な結末を迎えた。こうなると、逆にモデルが中国人であるこのポスターを今後も貼り続ける大らかさが日本の神道、神社側にあるかが試される。