【F1】フェルスタッペン親子が掴んだF1世界王座!カート時代から変わらない、勝利への執念
軌跡的な大逆転劇だった。
F1の2021年シーズンは最終戦アブダビGPの最終ラップで、マックス・フェルスタッペン(レッドブル・ホンダ)がルイス・ハミルトン(メルセデス)を破って勝利し、初のワールドチャンピオンを獲得した。
パワーユニットを供給するホンダにとっても30年ぶりのチャンピオン獲得という日本のファンにとってエモーショナルな瞬間となったが、4歳でレーシングカートに乗り始め、20年以上かけてF1ワールドチャンピオンに辿り着いたフェルスタッペン親子が夢を叶えた瞬間でもあった。
父が叶えられなかった夢を二人三脚
マックスの父、ヨス・フェルスタッペンはF1を8シーズン戦い、ベストリザルトはベネトンに乗った3位(1994年ハンガリーGP、ベルギーGP)だ。テストドライバー兼任の代役参戦であったがルーキーイヤーで表彰台を獲得する好パフォーマンスを見せながら、翌年以降のレギュラーシートは経験豊富なジョニー・ハーバートに奪われてしまった。
1995年以降はシムテック、フットワーク、アロウズ、ティレル、スチュワート、ミナルディなど優勝争いには加われない戦闘力の劣るチームでの戦いを余儀なくされ、F1では不遇のドライバーだったと言える。
父ヨスが息子のマックスをレーシングカートに乗せたのは4歳の時。ミナルディで戦った2003年を最後にF1でのキャリアを終えたヨスはマックスのカートでのサポートにまわった。ここから二人三脚でのフェルスタッペン親子の旅が始まったのだ。
幼少期からカートを始めたドライバーたちにとって親の存在、指導、考え方が子供のキャリア形成に大きな影響を与えることはよく知られている。マックスの場合は母親のソフィー・マリア・クンペンもレーシングカートのトップドライバーだったこともあり、父母ともにレースの世界でカートのワークスドライバーとして戦ってきた両親に育てられた。
父がカートショップのオーナーやカートコースの従業員という環境からプロのレーシングドライバーにまで上り詰めるというパターンはよくあることだ。しかし、両親共にカートレーサーで、しかもトップドライバーという親を持つドライバーはなかなか居ない。
レースに勝つためには何が必要かを熟知している両親。ドライバーとして足りない部分はどんなところかを察知し、指導される環境。父、ヨスはマックスのために無数のカートを準備し、最適なマシンでその才能を引き出すことに全力を注いだ。
鈴鹿で戦ったフェルスタッペン親子
父のヨスはとにかくストイックだ。良い環境を用意するだけではなく、マックスのレースに対する姿勢を厳しく指導。セオリー通りのバトルでは満足せず、オーバーテイクが難しいコーナーでライバルを仕留めるようにマックスに要求したという。マックス・フェルスタッペンのアグレッシブな姿勢はまさにカート時代に培われたものだ。
そんなフェルスタッペン親子がF1デビュー前に鈴鹿に来て、マックスがレーシングカートでレースをしたことがあった。鈴鹿サーキット・南コースで開催された2012年のカート世界選手権である。
当時のマックスは注目ドライバーの一人であったが、どちらかというと元F1ドライバーのヨス・フェルスタッペンが指導役として来場したことに話題が先行していた。レースウィーク中のヨスはとにかくエネルギッシュにパドックを動きまわり、マックスに細かくアドバイスを送る。ちょっと力が入り過ぎのステージパパという印象を持ってしまうほどだった。
しかし、その思いに応えるかのように、当時14歳のマックス・フェルスタッペンは初めての鈴鹿でアグレッシブな走りを見せることになる。今のスタイルにも通じる「暴れん坊」っぷりは当時から見られ、何度もコントロールタワーへの呼び出しを受けていたのだ。
効率よくレースを勝ちに行くというよりは、攻めの姿勢が目立つ走り。最高峰クラスのKF1に昇格したばかりで、初めて履くブリヂストンタイヤの経験がなく、周りはカート界を代表するトップドライバーばかり。そんな中でマックスは後方スタートから3位表彰台も獲得した。
この時のマックスのアグレッシブさは強烈な印象だったが、まさか、その2年後、2014年に同じ鈴鹿で開催されたF1日本グランプリのフリー走行で、トロロッソ(現アルファタウリ)のF1を走らせるとは誰もが思わなかった。レッドブルのジュニアプログラムに加入後、その非凡な才能が開花し、2015年には史上最年少の17歳でF1レギュラーを掴むというミラクルを起こしたのだった。
ようやく掴んだ世界王者の称号
早すぎるF1デビューと言われ、そのアグレッシブすぎる走りと成熟さが足りない言動に度々批判の目が向けられたマックス・フェルスタッペン。しかし、彼がいつの日かワールドチャンピオンを獲得するであろうことは、誰もが信じて疑わないことだった。
特にレッドブルとホンダのパートナーシップが始まってからは、ようやく最強集団メルセデスに勝負できるというターゲットが見え始め、今季はルイス・ハミルトンとほとんどの勝利を分け合う形となったが、フェルスタッペンはシーズン10勝+予選レース1勝、ポールポジション11回を獲得するという成績面でもキャリアベストシーズンだった。
最終ラップで劇的な逆転でチャンピオンを決めたマックスを、父ヨスはチャンピオン記念Tシャツをまとい抱擁。何度も背中を叩き、息子の王者獲得を称えた時は、親子が紡いできた夢が叶った瞬間だった。
父ヨスはセーフティカーの幸運があったことを認めつつも「今年のベストドライバーはマックスだった」と語る。また、YouTubeチャンネルCar Nextの親子インタビューでは「自分はF1では成功できたとは言えないから比べられないけど、息子のチャンピオン獲得はとてもエモーショナルでクレイジーな気分だよ」と喜びを語った。
また、ライバルのハミルトンの父、アンソニーとも父親同士で会話を交わし、祝福の言葉を受けたとのこと。F1史上最高の名シーズンとの声も多い、2021年。マックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトンという素晴らしい才能を持ったドライバーが全力を出し合うことができた背景には、親の存在、家族の支えがあったと言えるだろう。
2021年のF1は人間ドラマがたくさん見えたという意味でも素晴らしいシーズンだった。