PERACON(ペラコン)2020騒動とネットフリックス「コブラ会」のジョニー
あらかじめ書いておこう、ゲームに興味ない人は読む必要なし!
あらかじめ書いておきますが、今回の記事はゲーム業界に携わっているかたにしか解らない記事なので、この1行を読んで興味のないかたは、他のヤフー個人ニュースを読んでください。
CEDEC(Computer Entertainment Developers Conference)は2000年から続くゲームを中心とするコンピュータエンタテインメントの開発、ビジネス、関連する技術、機器の研究開発などに携わる人々の技術力向上と知識情報の交流を促進するためのイベントで、日本では数少ないゲーム系エンタテインメント交流会であり、先進技術促進のための貴重なイベントです。
PERACONの開催は9月2日から4日まで
今回、私が書くのは、そのCEDECのなかの分科会セッションで、「PERACON(以下ペラコン)」というコンテストセッションのことです。
私もすでにゲーム業界で26年ほど生計を立てており、2014年にはCEDECセッションに登壇したこともあります。また、ペラコン自体の名前は聞いて知っていましたが、個人的に関心の薄いセッションでした。
ペラコンは、言葉通り、ペラ1枚の企画書コンテストで、事前に設定されたテーマに沿ったコンセプトをA4用紙1枚にまとめて競う、誰でも参加できる「コンセプトシートコンテスト」です。
その企画書は審査員によって評価され、優秀作品は最終日の結果発表セッションで表彰されます。また企画書と審査員の評価、全コメントはwebに公開され企画の勉強をする際の貴重な資料となります…という内容です。
ほとんどの審査員がそれぞれの「ペラ1枚の企画書」に対して真摯に向き合い、前向きかつ今後の参考とアドバイスになるものを添えていますが、問題は一部の審査員からの「ペラ1枚の企画書」への苦言を通り超した雑言です。
その雑言をここで紹介することは控えますが、それらは本来のペラコン内だけで完結するはずが、審査員自らが公衆を巻き込んだSNS(主にはTwitter)での発信を行い、それらは収拾がつかないどころか、発言者の存在感に相乗して、それらがひとり歩きしてしまいました。
受講参加スキルは誰でも来い!というもの…
ペラコンの紹介ページには受講スキルとして、企画者を志す方から百戦錬磨の企画マンまでとあり、その結果得られる知見としては、自分の企画の実力を高めるものとなっています。
ペラコンは2011年から続いているセッションで、今年度の「ペラ1枚の企画書」応募は587作品と例年よりも多かったと聞いています。しかし、誰にでも扉を開けているという前提のセッションであればそれも致し方ないことでしょう。
むしろ、それくらい応募が来ても、なんとか対応しないといけないでしょうし、それだけ興味や関心という応募があることにゲーム業界は喜ばなくてはならない状況かもしれません。
しかし、もしかすると、専門学校などの授業の一環として生徒に「応募しておきなさい…」というものがあったとしたら、それらは必然的に受動的なアクションで、一般応募との熱量の差も明らかだったかもしれません。そのような応募には制限をかける、もしくは何か基準を設けることは、来年度以降は必要かもしれませんが、応募の自由度を考えると難しい判断を強いられるでしょう。
謝罪告知までを出すことになったペラコン事務局
今年度のペラコンの途中経過と審査結果に伴って、モラルハラスメント、パワーハラスメントではないかという声を受けて、ペラコン事務局は9月8日に…
「一部の審査員コメントに不適切な発言があり、応募者の皆様にご不快な思いをさせてしまう記述がありましたこと、深くお詫び申し上げます」
という謝罪告知をアップすることになりました。
一度は掲載された2020年審査員コメントについては、現在は非公開になっており、後日不適切な部分を訂正したうえで再掲載するとしています。また審査員を務めていた人物が役員の会社からは公式サイトに謝罪文が掲出されるまでに至っており、波紋を広げています。
チャンスを与えられた人たちは、次はチャンスを与える立場にある
おそらく、これらのことを経て、最終的な審査員コメントはある程度修正されたうえで再告知されることでしょう。そして、来年も健全なかたちで、ペラコンが開催運営されることを個人的には望みます。それは一般にゲームのクリエイティブの門戸を開く貴重なイベントだと思うからです。
そして審査をされる優秀なスタッフの皆様の労力と事務局の努力に敬意を払う必要も感じています。同時に、それらの人々はかつては挑戦する側の人だったことを忘れないでほしいと思います。
現在は発言力のある有力な審査員もかつては、一企業の開発者であり、デザイナーであり、社員であり個人だったと思います。彼らも、僕らも、上司や社長からチャンスをもらい、そして努力の結果、実績を作り現在のポジションまでたどり着いた人たちでしょう。
そんな人たちには貴重なチャンスを奪うような言動をすることなく、チャンスを醸成する立場であってほしいと思います。
すこし前のことですが、とあるメーカーのゲーム系生配信中に、自社のゲームをプレイするプロゲーマーを称して蔑(さげす)むような発言がありました。そこにはある種のアガリを迎えた人としての時代錯誤感を感じました。
私も含めて、その発言をしたクリエティブオフィサー氏にも、「そんな時代」があったはずです。今はもう昔と…かつての挑戦者だった自分の姿を忘れてしまったのでしょうか。人の上に立つものは常に現場への配慮と、上のものだからできるチャンスとタイミングの場所と時間を作ってほしいと思います。
ネットフリックスの「コブラ会」を観て感じるんだ
結びになりますが、最近、ネットフリックスで「コブラ会」(2018年制作)シーズン1・2のドラマを観ました。このコブラ会は1984年にヒットした映画「ベストキッド」の主人公たちの現在を描いた作品です。
映画「ベストキッド」ではラルフ・マッチオ扮するダニエル・ラルーソーにカラテ選手権でジョニー・ロレンスは敗退します。それまで最強だと自負していたジョニーは、鬼のような師範(会長)ジョン・クリースからは鉄拳指導を日々受けてきました。負けること=死に等しいレベルの恐るべき指導を受け、反則も厭わない試合運びをしますが、最後はダニエルに敗れます。
ダニエルは自信をつけ、大人になり、成功して地域の自動車販売ディーラーの社長になり、そのダニエルに負けたジョニーは身を持ち崩して便利屋稼業、生活は荒む一方でした。
しかし、カラテを通じてジョニーは再び立ち直るのか、かつての「ベストキッド」のダニエル視点とは異なる逆のドラマ視点です。
もちろんまだシーズンは続きますが、面白いのは、かてつは「攻撃こそ命」「情け無用」を謳っていたコブラ会とジョニーは、現在の時流のなか、そこに集う子供たちから、逆にコンプライアンスの必要性や、寛容さ、スマートさを学んでいくという逆視点のドラマです。
ドラマはそれに戸惑う主人公のジョニーの80年代のままの人生観、それを自ら変えていなかなければならないというジョニーの二面性がドラマの振れ幅でもあります。
コブラ会はこのあとシーズン3と続きます。おそらくペラコンも今回の問題を乗り越えて成長することでしょう。ドラマ同様に活躍と飛躍に期待しています。
※追記 9月14日 13時誤字脱字修正しました。よろしくお願いします。