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政治家の暴言を「通常のこと」に見せかけをする選挙報道の罪 〜2024年日米の選挙戦終盤に考える

奥村信幸武蔵大教授/ジャーナリスト
2024年9月10日の米大統領選候補者討論会でも多くの根拠に乏しい発言があった(写真:ロイター/アフロ)

(文中敬称略)

日本でもアメリカでも、重要な選挙が大詰めを迎え、選挙戦を伝えるニュースの頻度もボリュームも増えてきました。

今回は、アメリカ大統領選挙の報道について、特に共和党候補のトランプの発言を伝える際に、非常に重要な指摘をしている論考があったので紹介し、日本にも当てはまるような教訓はないかを考えます。

アメリカの有力なジャーナリズム研究機関、ポインター研究所の副所長を務め、ジャーナリズム倫理の分野でオピニオン・リーダーのひとりであるケリー・マクブライドが書いた記事です。

トンデモ発言を「そのまま報道する」罪

トランプの発言は、みなさんもご存じの通り、根拠のないでっち上げや決めつけ、攻撃的な言説、ヘイトや怒りをあおるような言い回しに満ちています。2016年の大統領選挙の時から、大統領の任期中も、落選した後も同じように続けてきました。

しかし、現在の選挙報道では、そのような驚くべき、呆れたニュアンスが正しく伝えられておらず、彼が大統領に再選されると、アメリカ国内だけでなく、国際社会にも深刻な政治的な分断、経済の混乱や憎悪、不信などが蔓延しかねないという危機感の指摘も弱いのではないかというのです。

ニュースを伝える側も、そしてニュースの消費者の方もトランプの暴言に慣れてしまっていて、さらに選挙報道の大部分が、「きょうは誰々が何を言ったのか」という事実関係を、論評を最小限に、機械的に伝えるようなスタイルで伝えられるためです。

このような、一見中立、客観的に報道しているようで、人々の投票に役立つようなニュースを発信できていない現象を「Sane washing:セイン・ウォッシング(通常のことに見せかけること)」と呼び、彼女は警鐘を鳴らしています。

この「Sane washing:セイン・ウォッシング」とは、例えば、企業イメージを上げるために、表面的に環境保護に前向きな対策を施しているかのように見せる「Green Washing:グリーン・ウォッシング」や、あるいは、企業だけでなく国家などが、人権侵害や腐敗などを見えにくくしてイメージアップを図るために、スポーツイベントや特定のスポーツ選手を優遇するような「Sports Washing:スポーツ・ウォッシング」という言葉と同じようなニュアンスの造語です。

報道の客観性、中立性という名目で、「事実関係を伝えることによって、読者や視聴者が判断してもらう」という姿勢を徹底するあまり、耳を疑うような発言であっても、そのような注意喚起をすることなく、「スピーチ(の一部)」として補王道されてしまうと、通常のニュースの中に埋没してしまうという問題です。

「バイアスを恐れない姿勢」が必要

マクブライドはローカル紙の犯罪担当記者などを経て、ポインター研究所の副所長を務める一方、アメリカの主要なメディアの中で唯一、オンブズパーソン(第三者的な立場で、読者や視聴者のクレームを受ける窓口となり、社内で強制的に調査を行う権限が与えられており、報道のあり方について意見や勧告などを行う役職)を維持しているNPR(公共ラジオ放送)で、そのオンブズパーソンの仕事を兼務しています。

米ポインター研究所のケリー・マクブライドのプロフィール・ページ
米ポインター研究所のケリー・マクブライドのプロフィール・ページ

(筆者がメディア・オンブズパーソンの重要性についてまとめた記事もありますので、関心のある方はぜひご一読を。)

ジャーナリズムの役割とは、出来事の意味について解説するものであり、トランプが何を言おうとしていたのかを人々が理解するために、メディアが伝えようとすることは当然のことではあります。

しかし、もしトランプの人間性や、差別意識や、政策が破たんしていることなどを伝えようとすれば、その記事は「政治的なバイアス」という批判からは逃れられません。

しかし、それを伝えることこそが、人々に有益な情報を届けるジャーナリズムの任務だと思えば、メディアはバイアスを恐れず伝えなければならないのではないか、というのが、マクブライドの指摘です。

「きょうも、こんな(ひどい)ことを言ったぜ!」と、注釈なく、読者の判断を期待して、発言の細部をそのまま伝えるだけでは意味がないということです。

ジャーナリズムの技巧が必要

「政治的なバイアスがかかったニュース」と言っても、選挙報道において特定の候補を応援したり、あるいは評判を落とすために伝えるのではありません。

あくまでも、人々の投票行動の手がかりとなり得るような、候補者の人格や業績、考えていることなどについての重要な情報を提供し、誰かの当選が決まった後に「こんな人物だったら投票しなかったのに」という後悔をさせないために報道するのです。

しかし、その境界は非常にあいまいで、区別するのは非常に難しいものでもあります。マクブライドは「政治のニュースはしばしば、目的に明確さを欠いているのに、多くのことを伝えようとしているのではないか」と述べています。

「Sane washing:セイン・ウォッシング」を避け、同時に「政治キャンペーンの一部だ」と批判を受けないためには、記事を巧妙に構成し、引用する部分を注意深く選び、そのニュースが読者にとって、どのような価値をもたらすのかということを明確に意識しなければなりません。

日本の選挙報道への教訓

日本でも衆議院議員選挙の選挙戦が終盤を迎えています。

アメリカとの選挙制度の違い、政党数など社会状況の違い、選挙報道のやり方の違いなどはあるにしても、日本のニュースの消費者としても、選挙に関連したニュースの中から、自分が投票するかもしれない候補者の、人となり、社会の見方、価値観、政策などについて、問題があれば知らせ、他の候補より優れていたり、特徴があったりする点があれば教えてくれるような記事をたくさん読みたい、生の発言を聞きたいと願うのは当然のことです。

しかし、日本の選挙報道を見渡してみると、公職選挙法などの関係法令をかなり厳しく取り入れて運用されているのが実態です。特定の選挙区での候補の扱いや、政党の主張などの紹介では、テレビニュースの扱いの尺(秒数)や記事の文字数などの情報量は、「機械的平等主義」の原則が根強く存在します。

総花的な報道が大部分を占めてしまいます。また、いわゆる「ホースレース(競馬の実況)」と呼ばれる世論調査や情勢分析の分量も相対的に増えてしまいます。

特定の候補者や政党について、問題点や特徴を知りたいのに、ニュースはそれに充分に応えられていないという構造的問題が根強く残っています。

今回の総選挙の大きな争点のひとつは、間違いなく政治資金をめぐる問題です。パーティ券を売りながら政治資金とせずに裏金をつくった議員が、国民の代表としてふさわしいかどうか、自民党の石破新総裁がどう考えるのかという問題は、有権者によっては重大な前提条件かもしれません。

最近になって旧統一教会との密接な関係が明らかになった閣僚などもいました。例外とは考えず、自民党が再調査に消極的なのはおかしいと考えている人も少なからずいるはずです。

これらの問題について、投票の前に改めて、まとまった説明がほしいと思っている人に応えるのはジャーナリズムの役割と言えるでしょう。

しかし、選挙の争点として各党が掲げる問題はこれだけではなく、経済や子育て支援など、多岐にわたります。少なくとも8つの政党が競っている中で、さまざまなアジェンダの中に、政治資金や政教分離の話は埋没してしまいます。

見渡してみると、報道の内容は各党を薄く、まんべんなく紹介するものが圧倒的に多く、政治資金の問題も、旧統一教会との関係の話も、「数ある争点のひとつ」としてしか認識されないような形で、深刻さが薄められてはいないでしょうか。

それを「Sane washing:セイン・ウォッシング」と呼ぶかは別にして、、アメリカと同じ問題の構造があると言えないでしょうか。

このような問題を克服するには、今回の選挙では間に合わないと思われます。アメリカ大統領選報道についての処方箋を、そのまま日本に適用することも難しいでしょう。

しかし、改善のヒントを共有し、考えていくことは重要です。以下はトランプの選挙報道の改善のために、マクブライドが提言するポイントを紹介します。

対策①:「意味のある引用」をする

彼女は、難しい経済用語をわかりやすく解説するために発言を引用して解説するニュースを出すことには意味があるが、「意味がない発言に、何か意味があるかのように説明しようとするニュースには価値がない」と言います。

反対に、「良い例」として挙げられているのが、2020年にローンチした「The 19th」という、非営利で女性の問題に焦点を当てたニュースを発信するメディア(女性の参政権を保障している米憲法修正第19条にちなんでいる)が、子育ての経済負担の軽減のため、どのような政策を用意しているか、民主党のハリスと共和党のトランプを比較した記事です。

「The 19th」の記事。「トランプは『子育て政策は子育て政策だ』と言ったが、有権者はさらなる説明が必要だと考えている」というタイトルが付けられている
「The 19th」の記事。「トランプは『子育て政策は子育て政策だ』と言ったが、有権者はさらなる説明が必要だと考えている」というタイトルが付けられている

記事の目的は明快です。ハリスとトランプの子育て支援政策の差を際立たせることです。

執筆したジェニファー・ガーソン記者は、両大統領候補と副大統領候補の発言を比較した上で、前日の記者会見でのトランプの発言を、実に365ワードという長文で引用します。

まったく支離滅裂で答えになっていないどころか、政策についてこのような説明しかできないような人物が大統領に適格かどうかを心配するレベルではないかということが一目瞭然にわかります。(記事を自動翻訳などして、文面を見ていただくと雰囲気がよく理解できると思います。)

ガーソン記者はトランプ陣営に、この発言をどう理解したらいいのか説明を求め、断られたことも記事に記しています。

対策②:ファクトチェックの先=ウソの効果を説明する

政治家が事実に反したり、歪曲した発言をした際に、ファクトチェックをすることは、かなり浸透してきたと言えるでしょう。

2024年9月10日(現地時間)に行われたハリスとトランプの大統領候補討論会で、トランプが「オハイオ州スプリングフィールドで移民たちがペットの動物たちを食べている」という根拠のない主張を力説した際に、ABCテレビの司会者が直ちに、ファクトチェックを行った結果を突きつけたのは記憶に新しいことと思います。

マクブライドは、時に報道はファクトチェック以上のことをするべきだと主張します。政治家が発する偽情報が、どのような政治的な効果を発しているのかを具体的に指摘し、有権者に注意を喚起するという役割です。

大統領候補の討論会では、司会者のABCテレビのデービッド・ミューアが、なぜ2024年5月の国境警備を強化する法案に共和党が反対したのかをトランプに質問すると、トランプは「アメリカは没落する運命だ」「第三次世界大戦が迫っている」「国内の多くの市町村が移民によりコミュニティが崩壊したと認めている」など

脈絡なく根拠に乏しい主張を続けました。

それらをひとつひとつファクトチェックするだけでなく、マクブライドはそれらの起源をまとめ、そのような偽情報が連発されることにより、移民はアメリカ国民の生活全般を脅かす存在であるという「陰謀論」が強化される効果があると指摘する記事を取り上げ、単発のファクトチェックを超えた報道を期待すると述べています。

対策③:引用のジャーナリズム上の目的を明記する

マクブライドは、政治家の言葉の引用が、その政治家の宣伝効果を高めるだけの報道にならないために「読者が、その引用された言葉を正確に知ることによって、どのような価値がもたらされるのか」を明らかにしてから伝える方がいいと提案します。

政治家が延々と攻撃的な、品のない発言を続けたことを伝えたいのであれば、そのように明記すべきだと。

もしファクトチェックをしたいのなら、発言を正確に記録することが重要だから、そのような形で報道していると断るべきだと。

政治家が一部の人にアピールするために、隠語や専門用語を使っているのであれば、意味を正確に説明し、歴史的にどのような使われ方をしてきたのかなどの背景も付け加えるべきだと。

彼女は議論を以下のように結んでいます。

「最悪の引用の使い方は、単なるフィラー(時間を消化する埋め草)として、何のジャーナリズム的な目的を示さないことである。その悪い効果は、軽ければ人々の時間を無駄にするだけで済むが、最悪の場合、問題ある政治家に正統性を与え、説明責任を免れさせてしまう結果となってしまう。」

選挙報道の問題は、改めて振り返って考えてみることが必要だと思っています。

武蔵大教授/ジャーナリスト

1964年生まれ。上智大院修了。テレビ朝日で「ニュースステーション」ディレクターなどを務める。2002〜3年フルブライト・ジャーナリストプログラムでジョンズホプキンス大研究員としてイラク戦争報道等を研究。05年より立命館大へ。08年ジョージワシントン大研究員、オバマ大統領を生んだ選挙報道取材。13年より現職。2019〜20年にフルブライトでジョージワシントン大研究員。専門はジャーナリズム。ゼミではビデオジャーナリズムを指導し「ニュースの卵」 newstamago.comも運営。民放連研究員、ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)理事としてデジタル映像表現やニュースの信頼向上に取り組んでいる。

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