耳の骨「ラビリンス」からひもとく人類の足跡
今の人類がアフリカ起源として、その後、どうやって世界中へ拡がっていったのかは依然として謎の部分が多い。ミトコンドリアDNAなどから探る方法などがあったが、蝸牛(かぎゅう)を含む内耳(ラビリンス)から人類の足跡を探ろうとする研究が発表された。
世界中から集めたサンプル群
この論文(※1)は、スイスのチューリッヒ大学や東京大学などの研究グループが米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America、PNAS)のオンライン版に発表したものだ。従来の化石や遺伝情報などからの分析をより精緻にするため、高密度の骨質で歪みなく保存される傾向にある内耳の形に注目したという。
研究グループには、スイス、インドネシア、日本、米国の研究者が参加し、世界各地で得た221の内耳サンプルを3Dの立体データにし、それをこれまで明らかになっている一塩基多型(SNP)と比較した(※2)。これらサンプルには、東大博物館が所蔵する日本人(10サンプル)やアイヌ(10)、中石器時代の縄文人(8)、新石器時代の中央ヨーロッパ(15)など、古今東西の史料が含まれる。
世界中の人類集団で少しずつ内耳の形が違っている。研究グループは、南北アフリカ、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、インドネシア、パタゴニアを含む南北アメリカなどからサンプルを集めた。Via:スイス・チューリッヒ大学のリリースより
頭蓋骨や骨格の化石標本は、各地域ごとの環境の違いにより限定的な情報しか得られないと研究者はいう。一方、高い密度の内耳は頭蓋骨の中でよく保存され、生まれる前の胎児期ですでに成人とほぼ同じ大きさになるので化石標本を比較することが可能だ(※3)。
音を信号に換える蝸牛、前後外の三半規管で構成される内耳の各部位をコンピュータにより3D化し、空間データの物理的な違いを比較した。黒いバーは5ミリ。Via:Marcia S. Ponce de Leon, et al., "Human bony labyrinth is an indicator of population history and dispersal from Africa." PNAS, 2018
その結果、各地域ごとの内耳の違いは、遺伝子の多様性をよくトレースし、人類のアフリカ起源をもはっきりと証明することができた。南アフリカを規準とすれば、距離的に離れれば離れるほど内耳の形が異なる地理的な相関関係もわかった。
人類の足跡を示す貴重なデータに
アフリカ起源の人類がどうやって世界へ拡がっていったのか、という疑問についても研究者はヒントを得ることができたという。例えば、先史時代にインドネシアに住んでいた人の内耳はパプアニューギニアやオーストラリアに土着している人の内耳に似ているが、現在のインドネシア人の多くはそことは違うマレー諸島からの移民と考えられている。
解剖学的にも、内耳の形が時代ごと地域ごとによって微妙に異なることがわかった。内耳に求められる機能は共通と考えられるので、人類のわずかな遺伝的多様性によってこれほど形状を変えるのは驚きだと研究者はいう。
一方、遺伝情報の採取などの目的で世界に残された内耳の史料が壊されてしまう恐れもある。研究者は、古人類学や形態学の分野は急速に発達しているので、物理的に史料が壊される前に3Dデータなどにすべきと主張している。
※1:Marcia S. Ponce de Leon, et al., "Human bony labyrinth is an indicator of population history and dispersal from Africa." PNAS, Doi: 10.1073/pnas.1717873115, 2018
※2:一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism):遺伝子の突然変異により、人類の人種のようなある生物集団の遺伝子(ゲノム塩基)配列(対立遺伝子、allele、アレル)に表れる多様性のこと。一塩基だけではなく数個の場合もある。
※3:Nathan Jeffery, et al., "Blackwell Publishing Ltd. Prenatal growth and development of the modern human labyrinth." Journal of Anatomy, Vol.204(2), 71-92, 2004