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父親がDVで逮捕、母親が自己破産…。過酷な環境で育ったアーティストLinolinoが歌い掛けるもの

斉藤貴志芸能ライター/編集者
撮影/杉﨑恭一

父親が闇金業者でDVで逮捕。母親が占い師を信じて自己破産……。壮絶な過去を持ちつつ、熊本から単身上京して音楽活動を始めたLinolino(リノリノ)。2曲入りのコンセプトEP『SEKIRARA』を配信リリースした。キュートなボーカルでポップなサウンドながら、自らの作詞でタイトル通り赤裸々な想いを歌っている。

朝起きるとクラシックが流れている家庭でした

――音楽に興味を持ったルーツはどの辺ですか?

「原点はクラシックです。母親がクラシックを大好きで、日曜の朝に起きると、ステレオから流れていました。子どもの頃から交響楽団のコンサートを観に行ったりもしていて、特にピアノ曲が好きです。ドビュッシーの『月の光』とか、いまだに眠れない夜によく聴きますね。最近はピアニストの反田恭平さんが好きで、去年サントリーホールでのコンサートにも行きました」

――自分でもピアノを弾いていたとか?

「全然弾けません(笑)。でも、小学校、中学校と合唱部でした。本当は高校も音楽コースに行きたかったんですけど、親にめちゃめちゃ反対されました。『音大に行っても食べていけるわけない』と言われて。それで普通科に行きましたけど、アルバイトをしてお金を貯めて、自分で音大に進もうと思っていたんです。そのお金で声楽のレッスンにピアノと聴音を、半年くらいやってました」

――ポップスはいつ頃から聴くようになったんですか?

「中学生になってからですね。家が厳しくて、そういうCDを買っていい雰囲気ではなかったんですけど、カラオケに行ったとき、友だちが椎名林檎さんを歌って、『何これ? 超カッコイイ!』と。それで初めて買ったCDが『無罪モラトリアム』でした。高校生になって声楽を習っていたときも、結局ポップスのほうが楽しくなっちゃって。ライブに行ったりもするようになりました」

父親にバットで殴られて死にかけて

――「朝からクラシックが流れている」というと上流家庭っぽいですが、お父さんが闇金業者で、LinolinoさんへのDVで逮捕されたとか。

「私が中1のときですね。父親のDVは日常的にあって、お酒を飲むと、私たち子どもに暴力をふるっていたんです。あるとき、私がバットでバーンと殴られて、病院に行かざるを得なくて。通報してくれたのか警察が動いて、父が逮捕されました」

――バットで殴られたって……。

「病院で『あと1~2ミリずれていたら死んでいた』と言われました。それをきっかけに、両親が離婚という形になって。たぶん母は3人の子どもを抱えて、どう生きていくか、ずっと考えていたと思います」

――Linolinoさんも辛い日々だったんでしょうね。

「辛いというか……。幼稚園の頃とかは、みんなそういうふうに育っているものだと思って、ひどい日常のわりには楽観的な子どもだったかもしれません。ただ、成長していくと、うちは他と違うと気づくじゃないですか。でも、自分には何もできない。無力だと感じることは多かったです」

――何かが生きる支えになっていたりは?

「家では障子1枚を開けたところに、ちょっとした自分の部屋があって。閉じこもって、ずっと音楽を聴いたりはしてましたね」

――あと、お母さんも占い師の未来予想を信じて自己破産したとか。

「それはこの数年の話で、父親とは関係ありません。たとえば私が今こうして取材を受けていることも見えるという方のところに母が通っていて、連絡が取れなくなりました。みんなが疎遠になって、家庭崩壊でしたね。今は東京にいる私以外は、仲良くやっているみたいです」

LiSAさんの武道館ライブを観て上京を決めました

――そういう家庭環境で、Linolinoさん自身がグレたり荒れたりはしなかったんですか?

「高校には全然行かなくなりました。バイトのほうが楽しくて、年上のバイト仲間と仕事が終わったあとに、カラオケやラウンドワンに行って、家に帰るのが朝になったり。高校生だった私には、そういう夜遊びがまぶしい大人の世界に感じたんです。逆に、学校はつまらないなと」

――自分で音楽をやりたいと思ったのは、いつですか?

「LiSAさんの2回目の日本武道館ライブ(2015年)を、熊本から東京まで観に行ったときです。歌を歌おう、音楽の道に踏み込もうと、上京することに決めました」

――そのエピソードは聞いてましたが、そこでいきなり思い立ったんですか? 地元でライブ活動をしていたとかもなく?

「してなかったです。高校の頃にちょっとバンドを組みましたけど、ライブハウスに出るまではいかなくて。音楽や芸術に触れる仕事に就きたいとは思っていて、服飾かネイル関係でも良かったんですけど、そこまで覚悟はなくて宙ぶらりん。何となくアルバイトをしながら、やりたいことを見つけよう……という感じでした」

――LiSAさんはいつから好きだったんですか?

「2012年くらいからです。ライブも福岡とか行ける範囲で観に行ってました。そういうときでさえ、田舎者だから熊本を出るのは不安で。まして東京は大都会で怖いところだとずっと思っていて、憧れはあっても踏み出す勇気はありませんでした。あとは家族に依存していたので、離れたらお互い生きていけないかもしれないという。でも、LiSAさんは大好きだったので、東京まで1人で観に行ったら、めちゃくちゃ泣いたんです」

――どの辺できました?

「『シルシ』ですね。LiSAさんが<今日を越えてみたいんだ>という歌詞を伝えようとしている感じがして。『私もここで歌いたい! 音楽で生きていこう!』と、すべてを断ち切って決めた瞬間でした」

「歌いたいんです!」と活動を広げて

――上京を決めても、当てがあったわけではないんですよね?

「なかったです。とりあえず熊本でバイトを三つに増やして、資金を貯めました。それで1年経った2016年の4月に上京したんですけど、普通のバイトで貯められるお金には限界があって。東京で1人暮らしを始めて、家具とかいろいろ買ったら、すぐなくなりました。借金もしましたし、電気が止まったこともあります(笑)。それでもやりたいことをやって、生きていることが楽しいという感覚になれました」

――音楽活動はどういうところから取り掛かったんですか?

「何のツテもなかったので、とりあえず専門学校に通いました。LiSAさんみたいにアニメ主題歌を歌えるアーティストになりたかったんですけど、その学校の歌のコースは声優と半々のカリキュラムで、私がやりたいのは歌だけだったから、すぐ辞めちゃったんです。でも、そこで音楽関係の方たちと知り合う機会があって、『私、歌いたいんです!』と伝えていったら、いろいろ広がった感じです。そういう方たちの協力があって、曲を出させていただいたり、ライブ活動をしていけました」

――曲作りもしつつ?

「作詞はしています。ちょっと作曲もしましたけど、何せ音楽の教養がないので、信頼できる方にお任せしたほうがいいなと。でも、私の曲は絶対に詞が先なんです。書いた歌詞に、曲を付けていただいてます」

ロックをやりたいけど声質はポップ向きと気づいて

――2018年に、1stミニアルバム『Red Journey』がリリースされました。

「その前に流通してないCDを3枚、自主制作で出しています。それでレコ発のライブをしたり、1年半の流れを汲んで初めてミニアルバムを出して、初めてのワンマンもできました」

――ライブの集客も増えていったんですか?

「そこは今でも苦労してます。増えたと思ったら、次はまた減ったり。こればかりはわからないですね」

――『Red Journey』ではポップ色が出ていましたが、目指す音楽性の変遷はありました?

「ずっとロックをやりたいと思ってましたけど、いろいろな方と関わるうちに、私の声質はロックでなくて、ガールズポップ向きだと気づきました。皆さんが私のそういう声を活かすような曲を作ってくださったり、レコーディングの仕方をしていただいてたんです。『声がかわいいのがいいんだよ』と言われて、ロックなことは歌詞に書けばいいなと。自分でもガールズポップを聴き始めて、好きになったので、この方向性で行こうと思いました」

――どんなアーティストを聴いたんですか?

「JUDY AND MARYさんやYUKIさんです」

――ああ、わかります。

「YUKIさんは今でもライブがあれば、通わせていただいてます」

――歌唱力はどう磨いたんですか?

「まだまだ課題はいっぱいありますけど、日々スタジオに入って練習してます。過去の作品から遡って聴いていただくと、変わったのはわかると思います」

元カレとのデートはパチンコ屋さんばかり(笑)

――声と同時に、自分のヴィジュアルも武器にしようと?

「最初はそんなこと、まったく考えてなくて。CDを作るときも、私はジャケットはイラストでいいと思ってましたけど、チームのみんなは『顔を出そう』と言ってくださって。ありがたいことにテレビとかメディアに出ることが増えて、YouTubeも始めたので、ヴィジュアルを武器にするというより、表に立つ以上はきちんとしたい想いはあります」

――普通に地元でかわいいと言われてましたよね?

「まあ、言われてましたけど(笑)、自分で超かわいいみたいに思ったことはないので。見た目に関しても、まだまだ努力しなきゃいけないです」

――モテていたかと察しますが、「元カレとのデートはいつもパチンコ屋」というエピソードもありますね。

「その元カレはバイトで知り合った年上のフリーターです。パチンコとゲーム以外に興味が全然ない人で、パチンコで負けたらごはんを食べないくらいで。だからデートというか、一緒にいること=パチンコ屋さんみたいな何年間かを過ごしました」

――自分のパチンコの腕も上げました?

「ちょっとはやりましたけど、お金もなかったので。当時の私はその人を好きで、一緒にいたいからパチンコ屋さんには行くけど、『私はやらない』と言いました。でも、一緒にやらないと怒る人で、車で来たのに置いていかれたこともあります(笑)。何キロも泣きながら歩いて帰りました」

――だめんずとつき合いがちとか?

「確かに、何人かだめんずが続きました(笑)。今は男性に頼らず、1人の女性として自立して、強く生きていこうと思ってます。東京で環境が変わったので、もうだめんずを好きにならないと信じたいです(笑)」

自分の過去をさらけ出したら怖いものがなくなって

――配信EP『SEKIRARA』は、文字通り“赤裸々”が詞に出てくる2曲が収録されています。どういう経緯で、このコンセプトで作ろうと?

「最初は仮タイトル『ヌード』で曲を書こうと始まったんです。自分をさらけ出す、という意味で。2月にミニアルバム『MAGIC TIME』を出したとき、自分のバックグラウンドも世に出たので、もう何も怖いものがない。今までのこともこれからやりたいこともさらけ出して書こうと決めたら、2曲とも歌詞に<赤裸々>という言葉を使っていたんです」

――先に赤裸々というテーマがあったわけではなくて。

「何も考えずに書いていました。逆に、だったらタイトルも『SEKIRARA』にしようと決めました」

――Linolinoさんの真骨頂というか、やさしいメロディと歌に強い言葉を乗せていますが、『VICTØRY MØNSTER』の<運命なんて覆せ>とか<限界だって超えるから>とか、日ごろ思っていることですか?

「思ってます。人生って、やりたいことを叶えたり、自分が満足するように生きていこうとしたら、やってもやっても尽きない。乗り越えないといけないことはたくさんあるので、そう書きました。もちろん、自分の過去と今置かれている環境を考えて、出てきた言葉もあります」

――最初に出たような家庭環境から、今に至ったことも反映して?

「そこは自分の中では清算できて、引きずってはいませんけど、そういうバックグラウンドが表に出たことも、赤裸々な曲を書くきっかけにはなりました」

どんな環境でも絶望はしないでほしい

――そもそも、なぜバックグラウンドの家庭環境を表に出したんですか?

「仲の良い人に自分の過去を話すと、『ヤバイね。面白い』と笑ってくれることが多かったんです。私も重く捉えられるのはイヤでした。心に傷を抱えているわけではないし、重いものはまったくないんですよね。『親にバットで殴られたことがある人って、そんなにいなくない?』くらいの感じで(笑)」

――まあ、珍しい経験ではありますね(笑)。

「『でも私、死ななかったの』みたいな。基本、暗い話ではないんです。それで今、好きなことをやっているのを『面白いね』と言ってくれる方と、東京でよく出会うようになって。そんな話をしていたのが回り回って、記事になりました」

――では、“過酷な環境から立ち上がって、音楽で生きていく決意をした”みたいなわかりやすいストーリーを、曲にしたわけではないんですね。

「ただ、今まさにそういう環境に置かれている人や、そんな過去があって今もモヤッとしている人はいると思うんです。『同じようなバックグラウンドを持っていて、こういうふうに生きているヤツもいるんだよ』というのは、知ってもらえたら。誰にも助けを求められない状況があることも、孤独を感じるときがあるのもわかります。でも、絶望はしてほしくない。『自分なんて』と卑下しないでほしい。どんな環境に置かれていても、夢や希望は持っていいし、家族がどうあろうと、自分の人生は自分のもの。私は音楽をやりたくて東京に出てきたら、第二の人生が始まったくらい、何もかもが切り替わりました。<生き抜いて掴み取ろう人生を>と歌詞に書きましたけど、生きていれば“必ず”とは言えなくても、思いがけない未来ややりたいことに繋がっていることはあるよと、伝えられたらと思っています」

「ガムシャラな私を見て!」という気持ちで

――『Heart Beat』で<あたしだけ見てたらいいんじゃない?>とあるのは、今出た意味でのアーティストとしての決意表明ですか?

「私には応援してくれる人や良いチームがいて、愛をもらっているおかげで、今こうしていられます。逆に、不安や辛いことがある人は、『Linolinoがこう歌って頑張っているから、自分も頑張ろう』と励みにしてほしくて。私は何があろうと、変わらず突き進んでいくと決めているので、『こんなにガムシャラなヤツを見て!』という気持ちで書きました」

――Linolinoさんも『VICTØRY MØNSTER』にある<泣き虫なモンスター>だった頃もあるんですか?

「いまだにめちゃめちゃ泣き虫です。酔っぱらったりすると、すぐ泣いちゃう(笑)。でも、無駄に泣くことはなくなりました。昔の無力だった頃に泣いていた自分とは、違う涙を流しています」

――上京してから、挫折しかけたこともありませんか?

「熊本に帰ろうと思ったことはないですね。『このまま続けていけるのかな?』と悩んだことはありますけど。ライブでお客さんが3人しかいなかったり、いいパフォーマンスをできなくて『歌ヘタだね』と言われたり、挫けそうには何度もなりました。でも、音楽をやらずに自分が生きている意味は見出せなくて。『これしかないんだ』と思ってました」

普通のMVでは面白くないので謎かけを(笑)

――『Heart Beat』では<人の覚悟笑わないで>とも歌っています。

「覚悟は年々固まっています。コロナでいろいろなことが変わったのも踏まえて、ますます強いものになりました」

――そういうメッセージ性の強い歌でありつつ、MVでは紺野ぶるまさんと共演して、ち○こ謎かけのネタになっていて(笑)。

「はい(笑)。ぶるまさんに出演していただけることになって、ぜひ素晴らしい芸を最大限に活かしていただこうと。自分でYouTubeを始めて、芸人さんをゲストに呼ぶことも多くて、『お笑いってすごくいいな』と思っていましたし、普通のMVにしても面白くない。今までと違う形にしたかったんです」

――強い歌詞にやさしいメロディだけでなく、笑いもほしかったと?

「笑いというか、ひとつのエンターテイメントにしたかったんです」

夢を追い掛けてハミ出した人たちへの想いを歌に

――詞を先に書くとのことですが、メロディも何となく頭の中で流れていたりも?

「ただ書きたいことを書いてますけど、ここがAメロ、Bメロ、サビと、文字数をざっと合わせたりはしています」

――家で書いているんですか?

「圧倒的に家が多いです。ひとつの言葉が浮かぶと、そこからバーッと書きます。でも、テーマとか関係なく、日常的に浮かんだ言葉は携帯にメモしていて。文字数を合わせるときは、パソコンの横で鉛筆で書きながら、Wordに打ち込んでいます。曲が付いてデモができると、その感じからまた言葉が浮かぶこともあるし、レコーディングは生音でしていて、温かい音に触れて、さらに歌詞を書き替えたりもします」

――今回の2曲はスムーズに書けたんですか?

「『VICTØRY MØNSTER』は時間が掛かりました。1番はスッと書けたんですけど、2番以降が難しくて。夢を追い掛けていると、『そんなのできるわけがないよ』と言われたり、社会的にちょっとハミ出ているように見られるんですよね。私もその1人ですけど、今回はそういう人たちをモンスターと例えました。『自分のやりたいことに突き進んでいけば、いつか勝てるよ』と他者に向ける気持ちが強かった分、自分のボキャブラリーの中で、Linolinoらしさがあって、曲にも合っていて、さらに伝わる言葉は何だろうと、ものすごく考えました。それで、なかなか書けなかったんです」

キラキラも欲しいしメッセージも伝えたくて

――同じ言葉でも、どんな音楽に乗るかで伝わり方が違うんでしょうね。

「私が自分の声で歌うなら、どういう言葉を使ったらいいんだろうと、悩みました」

――特にLinolinoさんの場合、最初に出たように、ロックな歌詞をロックでないサウンドに乗せるだけに。

「そうなんです。Linolinoってハワイの言葉で“キラキラ”という意味で、曲にも歌詞にも自分のヴィジュアルにも、キラキラした部分が欲しくて。それでかわいらしさを掛け合わせたい。でも、メッセージも伝えたい。そこは大事にしています」

――『Heart Beat』の<ギリギリナイーブは獏に>というフレーズも耳につきます。

「私の周りに獏(バク)みたいな人がいるんです(笑)。獏って悪い夢を食べてくれるというじゃないですか。自分のナイーブな部分や辛かったことを、飲み込んで笑いに変えてくれる人もいれば、『次は頑張りましょう』と言ってくれる人もいるので、その歌詞は自然に出てきました」

――最後に、5年後のLinolinoさんはどうなっていると思いますか?

「日本武道館でライブをやりたいです。あと、このご時世で今後のことはわかりませんけど、47都道府県を1年かけて回るツアーもできたらいいなと。『何でもやってみる』がモットーなので、メディアにも出たいし、ラジオの番組も持ちたいし、やりたいことは尽きません。でも、Linolinoとして音楽をやることを主軸にして、活動を続けていきたいです」

――辛い環境にいる人に<あたしだけ見てたらいいんじゃない?>と歌うからには、よりビッグになるところを見せたいですよね?

「そうですね。いろいろな方から応援していただいて、愛されていることを今回のリリースで感じたので、自分が売れて、みんなに恩返しをするしかないなと思っています」

撮影/杉﨑恭一

Profile

Linolino(りのりの)

熊本県出身。2016年に上京して、下北沢を中心にライブ活動を開始。2018年4月に1stミニアルバム『Red Journey』を発売。2019年2月に『okonanno』、2021年2月に『MAGIC TIME』、2021年8月に『SEKIRARA』と配信EPをリリース。配信ライブ『Linolino Unplugged ONLINE Live〜Welcome to Lino’s toy box~Lv.4』を9月26日に開催。

公式HP

『SEKIRARA』

iTunes、Spotifyほか各種サブスクにて発売中

芸能ライター/編集者

埼玉県朝霞市出身。オリコンで雑誌『weekly oricon』、『月刊De-view』編集部などを経てフリーライター&編集者に。女優、アイドル、声優のインタビューや評論をエンタメサイトや雑誌で執筆中。監修本に『アイドル冬の時代 今こそ振り返るその光と影』『女性声優アーティストディスクガイド』(シンコーミュージック刊)など。取材・執筆の『井上喜久子17才です「おいおい!」』、『勝平大百科 50キャラで見る僕の声優史』、『90歳現役声優 元気をつくる「声」の話』(イマジカインフォス刊)が発売中。

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