連載「引き延ばし」批判=ビジネスの嫌悪感 「鬼滅の刃」完結の潔さ評価から見えたこと
累計発行部数8000万部を誇る吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)さんのマンガ「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」。人気絶頂のまま4年という短い連載期間で幕を下ろしたことについて「絶賛」の記事を多く見かけます。背景には、人気マンガの長期連載が続出していることへの疑問ですね。しかし連載時期が短いことは「絶賛」することなのでしょうか。
◇「ドラゴンボール」連載“引き延ばし”への批判
鬼滅の刃は、「週刊少年ジャンプ」(集英社)で2020年5月まで連載されました。人を食う鬼を倒す「鬼殺隊」になった竈門炭治郎(かまど・たんじろう)が、鬼になった妹を元に戻そうと奮闘、刃を振るい鬼を倒す……という内容です。鬼滅の刃の考察記事でよく目にしたのは、連載初期から提示されたラスボスを討ち取り、未練なく終わったことについての賛辞です。具体的に言えば、その後もステージを一新するなどして、連載を続けることも可能だったのに、人気絶頂で終わったことが「潔い」という論理です。
そして対比としてよく見るのが、鳥山明さんの「ドラゴンボール」の連載“引き延ばし”でしょうか。なぜかといえば、同作を担当したカリスマ編集者として知られ、週刊少年ジャンプの編集長にもなった鳥嶋和彦さん(現・白泉社会長)が、イベントなどでドラゴンボールの“引き延ばし”を認めるような発言をしたからですね。
鳥嶋さんは、鳥山さんの担当編集で、最初のヒット作「Dr.(ドクター)スランプ」に登場する悪役「ドクター・マシリト」のモデルです。さらに同作で、鳥嶋さんが「ボツ(原稿やり直しの意味)」というセリフをつぶやき、鳥山さんが絶叫するシーンは“お約束”でした。つまり、鳥山さんは鳥嶋さんに頭が上がらない……という関係が読み取れるのです。そうしたイメージもあるのでしょう。「出版社の利益のために、作者の意に反して連載を続けさせられた」という意味の書き込みをよく見か書けます。
確かに近年は長期連載が目立っており、その問題は出版業界でも指摘されていたことでした。人気作が長期連載の弊害を緩和するため、タイトルを変更して巻数をリセットして、新規読者を獲得するなどの取り組みもあります。
◇“強要”で連載続く?
ただし「ドラゴンボール」は、“引き延ばし”があったとしてもその評価は揺るぎません。連載終了から25年が経った今でも世界で人気ですし、アニメやゲーム、果ては別作者によるマンガ連載などのビッグビジネスとして動いており、世界中の人たちを面白がらせています。
ネットを検索すれば、連載“強要”の事例が出るのですが、どこまでが事実で本音なのか……。そもそも、意思に反して連載を強要された出版社に対して、作者が長年付き合うのは妙な話です。作者が許可しているからこそドラゴンボールの多面展開がいまだに継続しているわけで、その事実を見る限りは作者と出版社の間に信頼関係があるようにしか見えません。執筆を強要できるなら「ドラゴンボール」の連載はもっと引き延ばせたはずです。コミックス42巻の最後にも「ムリを言って終わらせていただいた」と書かれていますから、連載継続を望まれながら、終わっているわけです。
またドラゴンボールの“引き延ばし”の“証拠”とされるのが、コミックス17巻の「最終回じゃないぞよ もうちょっとだけ続くんじゃ」のセリフの後、連載が長期にわたりコミックス全42巻になることです。しかし、その“引き延ばし”によってベジータやフリーザなど、作中屈指の人気キャラが生まれています。キャラクターの強さを数字で測定する機械「スカウター」といった、他の作品にも影響を与えたであろうアイデアも登場しています。つまり、イヤイヤ描かされた末に生まれたことになります。
マンガの連載“引き延ばし”をしないことは、「散り際は美しく」という日本の美学に沿うものですね。ただし、一方で連載の継続も否定されるべきことではありません。なぜなら連載継続を望むファンもいるからで、それに応えるのも一つの「美学」です。また人気作は一握りの、選ばれた者の“席”ですから、そのレベルまで来ると、ある程度作者側に決定権があります。出版社や担当編集の“命令”があったにしても、マンガ家が拒否して描かなければ「終わり」です。
◇“強要”という矛盾
もちろん、担当編集に恩を感じたり、懸命の説得に対してマンガ家が考えを変えることはあるでしょう。しかし、それも描く力がなければ、やりようがありません。マンガ家が徹底的に拒否して逃げることもできます。
もちろんマンガ家も人間です。長期連載をすれば、嫌になること、飽きることもあるはずです。お互い人間ですから、担当編集と作家の折り合いが悪いケースもあり、作品の方向性を巡ってケンカをすることもあるでしょう。実際過去にも、人気マンガ家が担当編集の横暴を訴える書き込みをして、ネットで話題になりました。今やマンガ家に不満を持たせると、暴露される時代なのですね。
ですが、「無理やり」という意味では、週刊連載のシステム自体がそうです。締め切りがあるからこそ、マンガ家も追い立てられて作品を作る側面があります。それが「マンガ家に優しくない」のであれば、「週刊連載の廃止」「締め切りを設けずに、マンガ家に自由に描かせるべき」となるはずですが、それは誰も言いません。連載不定期の「HUNTER×HUNTER(ハンター×ハンター)」は、正直感心しないようなネットの書き込みも見かけます。
ちなみに「連載の強要」というイメージについて、出版社側(担当編集)は「自分たちは悪者扱いされても構わない」と思っていますから、反論しません。出版社の担当編集、関係者たちに「担当編集がネットで悪者になるから嫌では?」と聞いたことがありますが、口をそろえて「マンガ家が悪くならないならいい」と言います。マンガ家もプロですが、出版の人たちもプロなのです。
そして、どんな人気のマンガ家でも新作になったら評価はゼロになり、不人気であれば連載は打ち切られます。「キャプテン翼」の高橋陽一さんに取材したとき、打ち切りの厳しさを語っていましたが、実績があっても容赦ないわけです。そして、作品を描かないとマンガ家は生計が立てられないのです。
◇連載期間より中身で評価を
そもそも、連載を終えることは、作品の可能性を摘み取ることでもあります。鬼滅の刃の作者・吾峠さんがファンという、荒木飛呂彦さんの「ジョジョ」シリーズは、30年以上連載が続いています。
ジョジョシリーズは、第1・2部では「波紋」という特殊能力を使っていましたが、初代の担当編集が限界を感じて変更を打診。荒木さんは考え抜いた末に第3部で「スタンド」という新たな能力を生み出し、人気がアップしました。試行錯誤することで、新たな境地を生み出したのです。ジョジョシリーズは、今や第8部(ジョジョリオン)が連載中で、シリーズのコミックスは100巻をゆうに超えています。
そして「ONE PIECE(ワンピース)」屈指の名シーンとされる「エースの死」ですが、コミックスの59巻ですね。鬼滅の刃の倍以上の長さです。この名シーンは、長期連載があったからこそ見られたわけです。つまり、マンガのベストな巻数の長さは、マンガ家の作品作りのモチベーション、作品の方向性、内容などに左右されるもので、作品に応じて変わるものです。
従って鬼滅の刃の潔い完結をフックに、「物語が短くていい」「予定通りで見事」と言う評価することに違和感を感じるのです。そもそも「コミックス20巻ぐらいがちょうどいい」というのも、なぜ「10巻ではなく20巻なのか」という理由が見られず判然としません。そして連載の長短にかかわらず、読者の心を捕らえて離さない名作は、いくつも存在します。
言ってしまえば、読み切りで短くてもつまらないものは途中で読むのをやめますし、面白ければどんなに長くても読むでしょう。そしてマンガは、キャラクターやストーリーはもちろんですが、画の見せ方やコマ割りだけで、読みやすさがガラリと変わる「芸術」でもあります。
【参考】元週刊少年ジャンプ編集者が 漫画家から学んだことを書いていく 第1回 『こち亀』のスゴさは「一致」の技術にあった!1秒で漫画が読みやすくなる方法
潔い完結は素晴らしいことです。しかし作品が潔く終わったことは、一要素にしかすぎません。鬼滅の刃は、仮に連載が続いていたとしても、今以上の評価を得た「可能性」もあるはずです。
◇根底には「金もうけ」に対する嫌悪感
つまるところ、近年は長期連載が目立つことから、連載の“引き延ばし”に対して、敏感になりすぎているのではないでしょうか。もっと言えば「ビジネス」に対する嫌悪感です。つまり連載の長期化と「金もうけ」が結びつき、「美しくない」という考えが根底に見えるのです。ですが、株式会社は営利を目的とする法人ですし、営利があるからこそ生まれるコンテンツもあるのです。
「スラムダンク」や「鋼の錬金術師」など人気絶頂での完結の前例はありますが、それでも鬼滅の刃の連載完結は、多くの人に衝撃だったのでしょう。ですが、作品の判断は、連載期間の長短ではなく、内容考察であって欲しいと思うのです。例えば、鬼滅の刃について、仏教視点から見た考察はユニークです。
【参考】【炭治郎はブッダになる!?】『鬼滅の刃』を「ゾンビ×仏教」で考察すると、新発見だらけだった
特に、多くの人が目にして批判も集中しやすいメディアでは、これだけの大ヒット作に対して大胆な考察をするのは難しいのかもしれません。また誰もが分かりやすい連載期間に注目したい気持ちも理解できますが、それは一つの見方に過ぎず、メインの話ではないと思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。ここ最近の傾向として、潔い連載完結を「是」とする流れにありますが、連載期間を追うのでなく、コンテンツの内容に着目した考察や分析、批評を読んでみたいものです。