米国とロシアはシリアのアレッポ県分割で合意か?
憶測の域を脱しないかもしれない。しかし、6月に入って、米国とロシアは、シリア、とりわけアレッポ県の分割で合意したかのように軍事的攻勢を強めている。
アレッポ県の現況
アレッポ県は現下のシリアでの紛争における最大の係争地である。そこでは、シリア軍、YPG(民主統一党(PYD)が主導する西クルディスタン移行期民政局の武装組織)、ダーイシュ(イスラーム国)、シャームの民のヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動やイスラーム軍などのイスラーム過激派、「穏健な反体制派」と目される武装集団、ロシア軍、イラン軍、イラン人、イラク人などの民兵、レバノンのヒズブッラー、米軍主導の有志連合、そしてトルコ軍が入り乱れて、激しい戦闘を続けている。
シリア最大の商業都市であるアレッポ市は、東部をいわゆる「反体制派」(ヌスラ戦線、そしてこれと連携するシャーム自由人イスラーム運動や「穏健な反体制派」)が掌握する一方、アレッポ市西部と同市周辺一帯は、シリア政府と西クルディスタン移行期民政局の実効支配下にある。「反体制派」の「解放区」は、アレッポ市北部のカースティールー街道を事実上唯一の兵站路として市外と通じているのみで、シリア軍、YPG、そしてロシア軍は「解放区」閉塞に向けて攻勢を続けている。
一方、アレッポ市南部郊外はおおむねシリア政府の支配下に復帰したが、アイス村一帯やイドリブ県に近い県西部一帯では、ヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動、ダーイシュとの関係が指摘されるジュンド・アクサー機構、トルコが積極支援するシリア・ムスリム同胞団系のシャーム軍団やトルコマン・イスラーム党が「新生ファトフ軍」として糾合、イラン人、イラク人民兵を中心とするシリア軍側と一進一退の攻防を繰り広げている。
アレッポ県北西部は、ヌッブル市一帯をシリア政府が、アフリーン市一帯を西クルディスタン移行期民政局が、アアザーズ市一帯をヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動などを基軸とする「反体制派」が、そしてマーリア市一帯をヌスラ戦線以外の「反体制派」がそれぞれ支配する一方、マーリア市以東のダービク村などはダーイシュが掌握している。
アレッポ県東部は、マンビジュ市、バーブ市、マスカナ市といった中規模都市を支配するダーイシュがもっとも有力で、シリア軍がサフィーラ市東部のクワイリース軍事基地一帯に勢力を伸張、またYPGもユーフラテス川西岸のティシュリーン・ダムを確保している。
なお、カタールやサウジアラビアとともに、ヌスラ戦線、シャーム自由人イスラーム運動などのイスラーム過激派を後援するトルコのレジェプ・タイイプ・エルドーアン政権は、トルコ・シリア国境のすべてが西クルディスタン移行期民政局によって掌握されることを嫌い、アアザーズ市一帯とユーフラテス川以西のダーイシュ支配地域へのYPGの進軍を「レッド・ライン」とみなし、そのことが同地域におけるダーイシュの勢力維持・拡大を助長している。
北ラッカ解放作戦
混戦が続くアレッポ県の戦況変化のきっかけとなったのは、5月末にシリア民主軍が有志連合の支援を受けて開始した「北ラッカ解放作戦」だった。
YPGを中核とするシリア民主軍によるこの作戦は、イラク国内でイラク軍がダーイシュの一大拠点であるファッルージャ解放に向けた作戦を開始し、また「北ラッカ解放作戦」が「ラッカ県北部」ではなく、ダーイシュが首都と位置づける「ラッカ市」の解放をめざしていると「誤解」されたため、日本や欧米諸国のメディアでは、ダーイシュ壊滅に向けた軍事作戦であるかのように捉えられた。
確かに、シリア民主軍は数千人の戦闘員を動員して、アイン・イーサー市以南の複数の村・農場を制圧した。だが、ラッカ市は依然として遠く、同市に近いダーイシュの戦略拠点であるタブカ市や第17師団基地(タブカ軍事基地)が攻略される気配もない。
また、有志連合の動きも鈍かった。2014年9月以降、シリア領内で空爆を続ける有志連合の空爆回数は1日3~5回程度ときわめて限定的なもので、ダーイシュを追い詰めるにはまったくもって不十分だったが、「北ラッカ解放作戦」以降も、空爆回数に増加傾向は見られず、そこからラッカ市攻略の意図を読み取ることはできなかった。
そればかりか、「北ラッカ解放作戦」への過大評価はダーイシュを増長させた。ダーイシュはこの作戦に反攻するかのように、アレッポ県北西部のマーリア市を包囲、同地を戦略拠点としてきた「反体制派」を窮地に陥れたのである。
マンビジュ解放作戦
しかし、6月1日に米軍中央司令部(CENTCOM)が5月27日から6月1日までの有志連合の空爆の戦果を発表したことで、「北ラッカ解放作戦」の真意が見えてきた。
この戦果発表で明らかになったのは、有志連合の空爆がラッカ県北部でも、アレッポ県北西部でもなく、アレッポ県東部のマンビジュ市一帯に重点的に行われていたということだった。しかも、空爆回数は1日に10回以上に及んでいた。むろん、CENTCOMの発表はいわゆる「大本営発表」であり、額面通りに受け取ることはできない。だが、こうした数値を発表するという行為は、「北ラッカ解放作戦」が陽動作戦だったことを示していた。
CENTCOMの発表に先立って、シリア民主軍がマンビジュ市南東部のティシュリーン・ダム一帯で攻勢を再開したことは報じられていたが、6月に入ると、その戦果が徐々に明らかになっていった。
シリア民主軍は6月1日までに、同ダム一帯の20カ村と複数の農場をダーイシュから奪取し、これを空爆で支援する有志連合もトルコ国境に位置するダーイシュの拠点であるジャラーブルス市とマンビジュ市を結ぶ兵站路への空爆を敢行、その寸断を試みたのである。
そして、6月2日、マンビジュ市軍事評議会を名乗る武装集団が、シリア民主軍との連名で共同声明を発表し、「マンビジュ解放作戦」の開始を正式に宣言し、ここにシリア民主軍を主導するYPG、そしてそれを後援する米国の目標が明示された。
シリア軍とロシア軍の呼応
「マンビジュ解放作戦」は、「北ラッカ解放作戦」と同様の陽動作戦、ないしは単なるプロパガンダかもしれない。しかし、特筆すべきは、この攻勢に呼応するかのように、ロシア軍とシリア軍が各地で「反体制派」への攻撃を激化させた点である。
とりわけアレッポ県での攻撃は激しい。ロシア軍とシリア軍は6月1日、カースティールー街道一帯やアレッポ市東部への空爆を一気に激化させた。空爆は主に「反体制派」の支配地域に対して行われた、それだけでなくダーイシュが重要拠点とするバーブ市、マスカナ市にも及んだ。
両軍はまた、イドリブ県、ヒムス県、ダマスカス郊外県グータ地方で「反体制派」に対する攻撃を強め、またハマー県東部ではイラリヤー村とラッカ市を結ぶ街道でダーイシュに対する攻勢を再開した。
こうした攻撃は、当然のことながら、多くの「民間人」を巻き込むこととなり、反体制系メディアや人権団体は「無差別攻撃」、「虐殺」といった非難を浴びせた。しかし、米国、そして西欧諸国は、「北ラッカ解放作戦」や「マンビジュ解放作戦」での「コラレタル・ダメージ」を黙殺するのと同じように、ロシア軍とシリア軍の非道な行為への批判を控えた。
「ポスト・ジュネーブ3会議」段階の前兆
2013年夏の化学兵器使用疑惑事件以降、米国とロシアが、シリア紛争解決に向けた和平協議「ジュネーブ3会議」や、ダーイシュ、ヌスラ戦線などとの「テロとの戦い」において連携を強めていることは周知の通りである。
「ジュネーブ3会議」が4月に事実上決裂し、米国・ロシアの合意のもとに発効した停戦(戦闘停止合意)への違反が顕著になったことで、両国は互いを非難し合いはしたが、同時に事態収拾に向けて折衝を続けてきた。
この過程で、ロシアは、停戦を破棄したシャーム自由人イスラーム運動とイスラーム軍を、ヌスラ戦線、ダーイシュと同様に国際テロ組織に指定するよう安保理で主唱、米英仏がこれを拒否すると、5月20日にはダーイシュ、ヌスラ戦線、そして「停戦に応じない武装組織」に対する合同軍事作戦を米国に提案した。米国がこの提案を再び拒否すると、ロシアはさらに25日、「反体制派」に対してヌスラ戦線を排除しなければ、空爆を再開するとの最後通告を突きつけた。
そして、最終的には、セルゲイ・ラヴロフ外務大臣とジョン・ケリー米国務長官が6月1日の電話会談で、ダーイシュ、ヌスラ戦線、そして「そのほかのテロ組織」に対する断固たる措置を講じることを確認したのと時を同じくして、有志連合の支援を受けるシリア民主軍が「マンビジュ解放作戦」を開始、ロシア軍とシリア軍もアレッポ県などで攻撃を強めていった。
米国とロシアがこの間の折衝で具体的にどのような意見を交わし、そしていかなる合意に達したかは知る由もない。だが、シリア国内の戦況から明らかなのは、米国がPYDと連携してダーイシュとの「テロとの戦い」を、ロシアがシリア政府と連携して「反体制派」への「テロとの戦い」をそれぞれ強化したことである。
米国とロシアのシンクロの受益者となる紛争当事者は、言うまでもなくシリア政府とPYDであり、そこにはジュネーブ3会議において「反体制派」を主導していたはずのリヤド最高交渉委員会の姿はない。リヤド最高交渉委員会から脱会したシャーム自由人イスラーム運動、そして同委員会における交渉責任者の地位を手放したイスラーム軍は、米国の黙認のもと、これまで以上にシリア軍とロシア軍の空爆に曝されるようになっている。
こうした状況は、「ポスト・ジュネーブ3会議」段階におけるシリア政治のパワー・バランスを予兆するものであり、そこでは欧米諸国が後援してきた「反体制派」は、ダーイシュ、ヌスラ戦線といったテロ組織とともに阻害され、これらの組織を後援してきたトルコ、サウジアラビア、カタールはこれまで以上に困難な舵取りを迫られるかもしれない。