改憲論者が反対する安保法制――小林節・小林よしのり・宮台真司はなぜ反対するのか
保守派が保守政権を批判する構図
「集団的自衛権は必要だ!」
「立憲主義を守れ!」
安全保障関連法制をめぐって、日本社会が大きく揺れている。
参議院で続く審議は、日程的に佳境に入りつつある。与党は来週17日にも本会議で可決を目指す方向だ。仮にそれが退けられても、衆院で再可決する60日ルールによって安保法制は成立する可能性が高い。
こうしたなかで注目すべきなのは、改憲論者による異議申立てだ。改憲論者の多くは政治的には保守派に位置する立場である。そんな彼らが解釈改憲で押し切ろうとする安倍政権を厳しく批判する。つまり、保守派が保守政権を強く批判するという構図だ。
今回の安保法制のポイントのひとつはここにある。従来の保守対革新(右派対左派)といった素朴な対立構図だけでは、決して読み切ることができない政治状況があるのだ。それは冷戦が終結して以降、四半世紀経ったいまだからこそ生じる政治的な課題でもある。
なぜ改憲論者は安保法制に反対するのか? 具体的に3人の主張を見ていくことで、安保法制の核心も浮き彫りになってくる。
小林節――「立憲主義者」の改憲論者
安保法制の潮目が大きく変わったのは、6月4日の衆議院・憲法審査会だった。自民党も含む3党がそれぞれ推薦した憲法学者が、揃って安保法制を違憲だと判断した。そのひとりが、慶応大学名誉教授の小林節である。
従来、小林節はタカ派の論客として知られていた。むかしよりもその姿勢は軟化させたものの、30年来の改憲論者であることには変わりない。なかでも9条改正を訴え、さらに集団的自衛権にも賛成する。そんな小林節の9条改憲案はシンプルだ。
そんな小林が今回の安保法制には反対する。それは、安倍政権が正式な改憲を経ることなく、解釈改憲で押し通すことを危惧しているからだ。さらに小林は、この法制は集団的自衛権の名のもとに「アメリカの2軍」としてしか機能しないとも述べている(※1)。
今回の安保法制に対し、憲法学者の多くが反対していることはさまざまなマスコミの調査によっても明らかになっている(※2)。憲法学者であれば、それは必然的な姿勢でもあるだろう。しかし、その一方で国際政治学者の多くは集団的自衛権の必要性を主張する。たとえば若手の国際政治学者として注目を浴びる三浦瑠璃は、「憲法学者が提示した違憲論に飛びついて右往左往する日本社会には、国際社会から発せられる緊張感から解放されたいという甘えの構造を感じます」とまで言い放つ(※3)。
このとき注視する必要があるのは、憲法学者が主張する立憲主義の護持と、国際政治学者が主張する集団的自衛権の必要性が、まったく異なる位相にあることだ。つまり、「立憲主義を守れ!」という主張と、「集団的自衛権は必要だ!」という主張が、いまだに正面からは対立していない。
だが、本来的にこの両者は必ずしも対立するものではない。小林節のように、集団的自衛権を可能とするために憲法改正を必要とする考えもあるからだ。そこで主張されているのは、立憲主義に基づく「手続き」を重視するうえでの反対論である。対して国際政治学者の三浦瑠璃は、その眼前の問題に着手することを重視して「手続き」の部分を軽視している。
なお、そもそも憲法とは、統治権力(行政)に対する主権者(国民)の命令であるが、小林節は常々そのことが国会議員にすら周知なされていないことを嘆いている(同前書)。さらに、今回の安保法制によって正当な憲法改正が遠のいたとも述べている。
小林よしのり――「反米保守」の改憲論者
『ゴーマニズム宣言』で知られるマンガ家の小林よしのりは、90年代後半以降、もっとも大きな影響力を持つ保守派の論客だと言えるだろう。しばしば「ネット右翼の生みの親」とも言われるが、そんな小林よしのりも今回の安保法制に強く反対するひとりである。
今年1月に出版された『ゴーマニズム宣言SEPCIAL 新戦争論1』(幻冬舎)では、その政治的な姿勢がより明確に描かれている。保守主義者であることを自認する小林は、今回の安保法制によって日本がアメリカの隷属国「恐米ポチ」になることを強く批判する。
この小林よしのりの姿勢からも明らかなように、今回の安保法制でより明確となったのは、対米姿勢における保守派(右派)の分断である。つまり、安倍政権やそれを支える日本会議のように一貫して対米従属路線の「親米保守」と、小林よしのりのような対米自立路線の「反米保守」の違いである。
安倍総理が2006年の一次政権のときから掲げていたのは、「戦後レジームからの脱却」であった。だが、日本における「戦後レジーム」を強く支えてきたのは、冷戦構造下における対米従属路線である。よって、日米同盟をより強固なものとする今回の安保法制は、その「戦後レジーム」もより強化させるものだと捉えられる。
戦後、対米従属路線を続けてきた日本は、常にその姿勢が批判されてきた。それは冷戦期における左派からだけではなく、自主独立がなされていないことについての保守派からの批判も多かった。なかには、日本がアメリカの傀儡国家だとするという批判も散見された。つまり、「日本=アメリカの満州」説、あるいは「アメリカの植民地」説である。小林よしのりが保守主義者として安保法制および安倍政権を強く批判するのは、まさにこの点にある。
そもそも対米従属路線は、ソ連をはじめとする東側諸国を仮想敵とする冷戦下における枠組みだった。しかし国際情勢が大きく変わった現在、極東においては高度経済成長を続ける中国が存在感を増し、ロシアもソ連時代とは異なる立場を示し始めた。
資本主義対共産主義という枠組みが過去のものとなった時代において、従来の「戦後レジーム」を延長させるかのような対米従属路線をこのまま継続すべきかどうかという議論は、保守系政治家の間では現在ほぼ閉ざされたままである。極言すれば、日本には中国やロシアと同盟関係を結ぶ道もあるにもかかわらず(事実、極東で日本と同じく西側諸国の一員だった韓国は、急速に中国に歩み寄っている)。
なお、かつては田中角栄や鳩山由紀夫、そして小沢一郎のように、対米従属を否定して独自外交を主張する政治家も存在していたが、その勢力が拡大することはなかった。
宮台真司――「重武装中立化」の改憲論者
かつては小林よしのりと強く対立していた社会学者の宮台真司は、現在は小林と「共闘」を宣言する改憲論者である。しかし、宮台の改憲論は現在に始まったことではなく、15年ほど前からのこと。その中身は、一言でまとめれば「解釈改憲を進めないための改憲」である。立憲主義を重視する点では、小林節に近い。
宮台は、かねてから対米従属から脱却したうえでの「重武装中立化」を主張している。つまり、アメリカなどとの同盟による集団的自衛権に頼らず、個別的自衛権を強化するために、スイスのような重武装化および中立化を目指すということである。そして、このときには克服しなければならない課題が3つあると述べている。ひとつが「アメリカの機嫌」、次に「アジア諸国の疑惑や懸念の除去」、最後が「憲法改正に必要な国民意思や、重武装を制御する頭脳(民度)をどう形成するか」である(※4)。
小林よしのり同様に、宮台は対米従属の保守主義者を厳しく批判し、安保法制によって日本がより一層「アメリカのケツ舐め国家」となることを憂いている。同時に、対米従属によって生じている沖縄の犠牲についても目を向けている(宮台真司・仲村清司『これが沖縄の生きる道』2014年/亜紀書房 )。
さらにそれは、必ずしも保守派のみに向けられた批判ではない。憲法9条の護持を叫んできた左派は、「非武装中立」を叫びながらも自衛隊の存在をなかば黙認し、そして米軍駐留という沖縄の犠牲を飲み込んできたからだ。
宮台の視点は、早い段階から確実にポスト冷戦社会を睨んでのものだった。それは素朴な右派対左派といった対立にはとどまらず、それゆえ過去には極論として見向きもされないこともあった。だが、今回の安保法制は、10数年前からの宮台の危惧がいよいよ眼前に迫ってきている状況だと言えるだろう。
2種類の護憲派の欺瞞
ここまで見てきたように、安保法制をめぐる議論は、やはり立憲主義と集団的自衛権の二点の是非に集約される。ただし、それは単純な四象限に分割されるものでもない。
たとえば憲法については、現憲法を護持・解釈改憲・憲法改正の三つの立場があるだろう。集団的自衛権は、国連を中心とした集団安全保障体制を含めると、米国同盟型(新安保法制)・米国同盟型(従来)・国連中心型(集団安全保障重視)・重武装中立型(中立国)・非武装中立型(共産党・社民党)・米国以外の他国同盟型(将来の韓国?)などが論理的に導き出される。
このなかでいま一度検討しなければならないのは、現状の憲法9条を護持する立場、いわゆる「護憲派」である。現在の日本で言えば、共産党と社民党、8月30日の国会前デモを主催した「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」などが強く主張する立場である(※5)。
政治学者の井上達夫はこの護憲派にも二種類あると言う。ひとつが自衛隊と安保法制を違憲だとして「非武装中立」を目指す「原理主義的護憲派」、もうひとつが、専守防衛のためなら自衛隊も安保法制も違憲だとしない「修正主義的護憲派」である(※6)。
井上はこの両者を厳しく批判する。「原理主義的護憲派」は事実上自衛隊も安保法制も容認しているのにかかわらず、政治における戦略カードとして憲法9条を使っており、「修正主義的護憲派」は実質的に解釈改憲を認めているからだ。とくに前者は、その欺瞞性が強いと井上は述べる。
井上のこの両護憲派に対する指摘は、かねてから保守派が気づいていたことでもある。それでも護憲派が機能していたのは、左右両者が冷戦構造をベースとした55年体制の延長線上にあったからだ。つまり、自民党と社会党が互い綱引きをし、その落としどころを自民党の派閥力学が決定するというように。
しかしそうしたバランスが完全に終結し、安倍政権は修正主義的護憲派を倣ってか、憲法改正を諦めて解釈改憲の道を進んでいる。もはや「護憲」という政治的主張は、現在のゲーム(駆け引き)のなかでは機能しない古びた戦略と化しており、まったく右傾化の歯止めにならない現実がある。
サイレント・マジョリティに伝わる言葉
政治をめぐる状況でむかしと大きく異なるのは、インターネットで多くのひとびとが自らの政治的態度を表明し、主張することである。TwitterやFacebook、2ちゃんねる、さらにはこのYahoo!ニュースのコメント欄は、もっとも政治的な主張が見受けられる場所だ。
このときに目立つのは、やはり極端な主張である。今回のケースで言えば、ひたすら中国の危機を煽って安倍政権を支持する主張、あるいはその逆に、ひたすら安倍政権による安保法制の危険性を指摘する主張である。
このとき本来的に必要なのは、理想と現実のギャップを踏まえながら日本の将来をロジカルかつ冷静に議論することである。改憲論者の小林節・小林よしのり・宮台真司、そして9条削除論者の井上達夫(※7)は明確に筋が通った主張となっている。
しかし、それらの明晰な主張は、それがゆえに過激な主張を繰り返す安倍政権支持派や反対派には、ひどく不都合なものと受け止められることもある。先の4者などは、安保法制支持派からは「左翼」と罵られ、逆に安保法制反対派からは「右翼」と罵られることもあるだろう。それは彼らの意見が、従来の右や左という枠には簡単に収まらないからこそ生じる。
昨今の日本の政治は、ネットで目立つような両極端な政治的主張よりも、政治的なポジションを最初から決定していないサイレント・マジョリティ(浮動層)によって大きく変容してきた。それは今後も当面変わらないであろう。たとえば、世論調査では安保法制の反対が大きく賛成を上回りながらも、安倍政権の支持率は30%台後半で推移している(※8)。それはつまり、安保法制は支持しないが、かと言って野党も信頼しないという世論を意味している。
より具体的に言えば、手続きを軽視した現状の安保法制には反対だが、なんらかの安全保障体制が必要だと感じている可能性が高い。
「護憲」が解釈改憲の歯止めとならない現状において、必要とされているのはサイレント・マジョリティに働きかけるアクチュアルな言葉であろう。
※1……朝日新聞デジタル2015年5月4日付「改憲論議を問う 識者に聞く」。
※2……朝日新聞デジタル2015年7月11日 「安保法案『違憲』104人、『合憲』2人 憲法学者ら」、NHK『クローズアップ現代』(2015年7月23日)において、憲法学者ら422人中377人が「法案は違憲」あるいは「違憲の疑い」があると答えた。
※3……三浦瑠璃『山猫日記』2015年6月13日「安保法制(4)――不思議の国の潮目を読む」。
※4……宮台真司『日本の難点』(2009年/幻冬舎新書)。
※5……ただし、現行憲法制定時には、共産党と社会党は必ずしもそれに満足していなかった。1946年、共産党の野坂参三は憲法改正審議において「我が国の自衛権を放棄して民族の独立を危くする危険がある」と反対し、社会党の片山哲委員長も「窮乏からの自由がはつきり盛られていない」と述べた。詳しくは、小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉――戦後日本のナショナリズムと公共性』(2002年/新曜社)など。また、現在デモで大きな注目を浴びているSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)には改憲論者も含まれており、護憲派だけによる集団だとは言い切れない。
※6……井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください――井上達夫の法哲学入門』(2015年/毎日新聞出版)。
※7……このことを簡易に知るためには、前掲書以外にも井上達夫「緊急提言 憲法から9条を削除せよ」などを参照のこと。
※8……TBS Newsi2015年9月6日「安保法案、6割が今国会成立に反対 JNN世論調査」、時事通信2015年9月11日「内閣支持、最低の38.5%=衆院解散「任期満了まで」3割半ば」。
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