ホロコースト生存者で1995年にドキュメント映画も制作されたゲルダ・クライン氏97歳で死去
「死の行進」を生き延び、早くから記憶のデジタル化を理解していたゲルダ氏
米国アリゾナ州に住むホロコースト生存者のゲルダ・ヴァイスマン・クライン氏が97歳で逝去された。ゲルダ氏はポーランドで生まれたユダヤ人で、ホロコースト時代にはナチスに捕らえられてグロース・ローゼン収容所に収容され、戦争終結直前にはナチスドイツが収容所からユダヤ人の囚人らを歩いて移送させる「死の行進」で400キロ以上歩かされた。過酷な「死の行進」では途中で倒れた者はナチスに銃殺された。4000人の女性のうち「死の行進」で生き残ることができたのは120人以下で、ゲルダ氏もそのうちの1人だった。
そして戦後はアメリカに移住しホロコーストの経験を語り継いだり、10冊以上の本を書いて後世に自身の経験を伝えてきた。人権活動家としてホロコースト時代の自身の経験を積極的に博物館や学校で講演も行っていた。
特にゲルダ氏のホロコースト時代の経験を元に1995年に制作されたショートドキュメンタリー映画「One Survivor Remembers」は アカデミー短編ドキュメンタリー映画賞、 プライムタイム・エミー賞 情報番組賞 スペシャル番組部門を受賞するなどとても有名である。1990年代半ばは冷戦が終わったばかりで、ホロコースト生存者もまだ多く生存していた。ホロコースト時代の経験を元にしたドキュメンタリー映画は最近では多くなっているが、この作品は先駆けとなる作品の1つである。特に1995年は戦後50年という節目の年で、ユダヤ人が解放されて50年ということで注目を集めた。
当時はまだ動画の録画やデジタル化は容易ではなかった。ビデオで撮影してテープで保存していたが、その頃からホロコーストの経験を語っていた。学校や博物館で語るのでは、目の前にいる人たちにしか話ができないが、ビデオに撮影しておけば何回でも誰でもいつでも視聴できて、自分の話を聞いてくれるということを理解していた。ゲルダ氏の大量の証言は現在はデジタル化されて、YouTubeでも全世界に公開されている。いずれホロコースト生存者が全員いなくなり、ホロコーストの経験や記憶を語り継ぐ人がいなくなることをゲルダ氏は誰よりも理解していた。自分が死んだ後でもホロコースト時代の経験や記憶が語り継がれるために、インターネットもまだほとんど普及していなかった頃から動画撮影でホロコースト時代の経験や記憶を語っていた。
▼「One Survivor Remembers」トレーラー
進む「ホロコーストの記憶のデジタル化」
戦後75年が経ち、ホロコースト生存者らの高齢化が進み、記憶も体力も衰退しており、当時の様子や真実を伝えられる人は近い将来にゼロになる。ホロコースト生存者は現在、世界で約24万人いる。彼らは高齢にもかかわらず、ホロコーストの悲惨な歴史を伝えようと博物館や学校などで語り部として講演を行っている。当時の記憶や経験を後世に伝えようとしてホロコースト生存者らの証言を動画や3Dなどで記録して保存している、いわゆる記憶のデジタル化は積極的に進められている。デジタル化された証言や動画は欧米やイスラエルではホロコースト教育の教材としても活用されている。
現在、世界中の多くのホロコースト博物館、大学、ユダヤ機関がホロコースト生存者らの証言をデジタル化して後世に伝えようとしている。ホロコーストの当時の記憶と経験を自ら証言できる生存者らがいなくなると、「ホロコーストはなかった」という"ホロコースト否定論"が世界中に蔓延することによって「ホロコーストはなかった」という虚構がいつの間にか事実になってしまいかねない。いわゆる歴史修正主義だ。そのようなことをホロコースト博物館やユダヤ機関は懸念して、ホロコースト生存者が元気なうちに1つでも多くの経験や記憶を語ってもらいデジタル化している。だがホロコーストを経験した生存者は当時の悲惨な体験を子供たちや世間の人に語りたがらない人の方が多い。
▼ホロコースト時代の経験を語るゲルダ氏のデジタル化された動画