プロレスラーたちから志村けんさんへの追悼メッセージ
新型コロナウィルス肺炎で3月29日に亡くなった志村けんさんの死で多くの人が悲しんでいるが、プロレスラーたちも追悼のメッセージを送っている。
プロレス・ファンだった志村さんはプロレスラーとの共演も多く、プロレスラーからも愛された存在だった。
1998年の年末に日本テレビが放送した「’98全日本プロレス総集編」は「志村けんの掟破りの逆エルボーSP」との副題が付けられ、ダチョウ倶楽部の3人を引き連れた志村さんが三沢光晴、小橋建太、秋山準らとちゃんこ鍋を囲みながらのプロレス・トークを繰り広げた。
「バカ殿」のメークをしながらちゃんこ鍋を作った泉田純、寺門ジモンに場外タイガードライバーを見舞った三沢、この番組が最後のテレビ出演となったジャイアント馬場はすでに亡くなっており、改めて番組を見返すと懐かしさがこみ上げてくる。
何歳も年下のプロレスラーと話すときでも敬語を使う志村さんからは、プロレス愛とプロレスラーへのリスペクトが伝わってくる。
番組で共演した秋山は「若い頃、会場にも観戦に来て下さり、渕さんと一緒に飲みにも連れて行ってもらったなぁ」と志村さんとの思い出をシェア。
番組内で志村さんから新必殺技のアイーンチョップを伝授された小橋は、「放送以来、雑誌や新聞の撮影でカメラに向かってチョップを打つ格好すると「アイーン」と言われる様になった」とのエピソードを披露した。
その「アイーンチョップ」を総合格闘技の試合で披露したのは、「グレイシー・ハンター」の異名を持つ桜庭和志。1999年11月21日に開催された「PRIDE.8」のホイラー・グレイシー戦で「アイーンチョップ」を使った桜庭は、「試合でアイーンチョップをやったのがきっかけで、志村けんさんと雑誌で対談させてもらったことがありました」との思い出を綴った。
桜庭の兄貴分の高田延彦は志村さんの訃報に「嘘だろー!家の中でつい大声で叫んでしまった」とツイート。
その高田が率いるUWFインターナショナルと新日本プロレスの対抗戦が1995年10月9日に行われたときに、「東京ドームを押さえろ!」の一言で戦いの舞台として東京ドームを用意したのが、当時、新日本プロレスの現場責任者を務めていた長州力。
昨年末にツイッターを始め、最近はツイッターでの呟きがネットニュースになることが多い長州は、「今こそ!日本で誰よりも一番!!必要な方でした、、、本当に誰よりも!!何故か怒りを覚えるのは私だけですかね!!」と呟いた。10.9東京ドームでの安生洋二との戦いでもキレることがなかった長州だが、志村さんの命を奪った新型コロナウィルスに対しては怒りを覚えて、キレている。
志村さんは居酒屋やクラブなど「夜のお店」に行くことが多かったと聞くが、長州同様に「夜のお店」で志村さんと出会ったのが元新日本プロレスで、現在はWWEで活躍する中邑真輔。「いつかの六本木のクラブで連れションしたのが初対面だったなぁ」と衝撃の出会いの思い出と共にアメリカから冥福を祈った。
世界最大のプロレス団体のWWEのスーパースターで志村さんに追悼のメッセージを送ったのは中邑だけではない。
1ヶ月前に結婚を発表したばかりのカイリ・セインも「悲しすぎる。。。」と志村さんの訃報を嘆いた。
また、プロレスラーではないが、シュートボクシングの世界女子フライ級王者で、RIZINでも活躍している女子総合格闘家のRENAも「収録で一緒させていただいた時も優しい笑顔で接してくださって緊張する私を笑わせてリラックスさせてくれたことを思い出します」と志村さんとのツーショット写真をアップ。
ドラマ「豆腐プロレス」で女子プロレスラー役を演じて、本当にプロレスの試合も経験したハリウッドJURINAこと松井珠理奈も「志村さんと番組で共演させていただいたとき、緊張する私に優しく声をかけてくださったり、快く写真を撮ってくださりました」とRENAと同じように志村さんとのツーショット写真をツイッターにアップした。
この他にもまだまだ多くのプロレスラーが志村さんへ感謝の言葉を述べたり、思い出を語っている。
昭和を代表する3大スーパースター、長嶋茂雄(1936年生まれ)、アントニオ猪木(1943年生まれ)、志村けん(1950年生まれ)の3人は偶然にも2月20日生まれと誕生日が同じ。3人の中では一番若かった志村さんが一番先に天国へ行ってしまった。
これ以上、犠牲者を増やさず、志村さんが愛した笑顔の社会を取り戻すためには、一人一人が感染を広めない自覚を持った行動することが大切だ。