なぜパイロットが行先を間違えたのか? その行程を私的分析してみた。
25日、ロンドンからドイツのデュッセルドルフ行のBAの飛行機が、行先を間違えてスコットランドのエジンバラに到着したというニュースが世界を駆け巡りました。
こういうことをやらかしたのは筆者の知らない会社ではありませんので、いろいろな人から、
「いったいどういうことなんでしょうか?」
「なぜ、そんなことが起きるのですか?」
といった問い合わせがたくさん来ました。
筆者は退職してからかれこれ10年になりますので、正直申し上げて今回の事象がなぜ起きたのかというような情報は一切入って来ません。
そりゃそうです。航空会社にはセキュリティー上で厳しい制約がありますから、かつての職場の仲間に聞いたとしても(聞いていませんが)、会社の内部の情報などは教えてくれるはずもありません。
第一、例えば航空機が墜落したり何か事故があったりすると、社員といえどもすぐにその便の情報にアクセスできなくなります。
会社の中で通常チェックインや予約、あるいは運航管理に使っているシステムから、その便の情報があっという間に消されてしまいますから、誰が乗っていたのかなどという乗客名簿はもちろん、機体の登録番号、運航情報など、みんな消えてしまいます。
実際には本社に緊急対策本部が設置され、情報はそこで一括管理されますから、消えてしまうわけではなくて、各所の端末からアクセスできなくなるのですが、いずれにしても当該現場を含む職員は会社から別途出されるイントラネットや、その他の情報にアクセスすることしかできなくなります。つまり、昔の仲間に聞いても誰も情報を持っていないということです。
ということで、ここから先はあくまでも筆者の経験に基づく推測と見解の世界になりますが、よろしければお付き合いください。
本当にエジンバラへ行った!
まず、今回の事象が起きたBA3271便ですが、ロンドンのシティー空港(LCY)からドイツのデュッセルドルフ(DUS)に向かう定期便です。
ロンドンシティー空港はテムズ川のほとりにある便利な空港として近年では特に便数が増えている空港ですが、空港施設は乏しく、滑走路の長さは1500mしかありません。
1500mの滑走路というと日本では札幌丘珠空港や北海道の奥尻空港などのローカル空港に匹敵する程度の設備ということになります。
シティー空港はロンドンの町中にありますからジェット機が離着陸するためにはいろいろ制約がありますし、滑走路が短いので飛べる飛行機の機種も限られます。そのように制約が多い空港ですが、郊外にあるヒースロー空港やガトウィック空港よりアクセスが便利なことから、ヨーロッパ内を移動するビジネスマンが利用する定期便が数多く設定されています。
最近では便利なツールができました。こちらはFlightrader24というサイトで見たBA3271便の運航情報です。
まず使用した飛行機はBAe146-200型という機種。約100人乗りの比較的小型のジェット機です。
機体登録番号はD-AMGL。飛行機は機体登録番号の頭の文字が所属する国を示していますので、頭にDが付くからドイツの飛行機だということがわかります。
イギリスの飛行機ならG、フランスならF、アメリカはN、中国はB、日本の飛行機はJAで始まる登録番号です。
BAの便にもかかわらず、ドイツの飛行機が使用されているのは、この機体がウエットリースと呼ばれる委託運航会社の所属で、その会社の名前がドイツのWDL Aviationです。
このサイトを見ると、この会社は飛行機の機体と乗務員をセットで貸し出すウエットリースというビジネスをヨーロッパ内で展開していて、デュッセルドルフ便は通常はBAのE170(ブラジル・エンブラエル170)という飛行機で運航されていますが、3月21、22、25日の3日間はWDL社のBAe146型の同じ機体D-AMGLで飛んでいることが飛行記録からわかります。
つまり、何らかの理由で飛行機が足りなくなったのか、BAは契約しているWDL社から機体と乗務員をウエットリースしていたということになります。
過去の飛行記録を見ると、このBA3271便は1月31日と2月1日にもWDL社のBAe146で飛んでいることがわかりますし、エジンバラはもちろん、フランクフルト便などで3月中もほぼ日常的にWDL社の機材と乗務員を使用したBA便が飛んでいることがわかります。そして、このWDL社の飛行機は同じ機体がBA便として飛んだ翌日には他の航空会社の便となって飛んでいたりする会社ですから、良い悪いは別として現在のヨーロッパの航空事情というのはそのようになっているということが理解できます。
鉄道で例えるとすれば、実は東海道新幹線の「のぞみ」は同じ「のぞみ」でもJR東海の車両が来たりJR西日本の車両が来たりしますし、北陸新幹線はJR東日本とJR西日本の「はくたか」が走っているのと同じようなものと考えることができます。日本の鉄道と違うのは、JR西日本の車両でもJR東海の区間に入ればJR東海の乗務員に交代するし、JR東日本の区間はJR東の乗務員が乗務しますから、違うのは車両だけということになりますが、飛行機の場合はパイロットやCAもセットでリースするウエットリースという契約になっていることです。
さて、上の表で青いラインで示されているのが3月25日のBA3271便。
右の方に赤い色がついているのは大幅な遅れや欠航などが発生した印ですが、この便の場合は「Diverted to EDI」と書かれています。
「エジンバラへ目的地変更して降りました。」ということです。
当日の航跡図を見るとデュッセルドルフ(右の青いマーク)ではなく、飛行機は何の迷いもなく北へ向かってエジンバラに降りています。
その前後の日の便は同じ便でもきちんとデュッセルドルフに向かっていますから、本当にこの便だけがエジンバラへ行ってしまったのです。
パイロットは本当に目的地を間違えたのか?
これだけ何の迷いもなくまっすぐにエジンバラへ向かっているということは、本当にパイロットは目的地を間違えてエジンバラへ行ったのかという疑問が思い浮かびます。
通常、定期便の場合、フライトプランという飛行計画を作成し、目的地までの飛行コースや飛行高度などを決め、そのフライトプランを航空局に登録し、そのフライトプランに基づいて燃料搭載量などを決定します。
フライトプランには便名、日付、機種、機体番号、出発地、目的地、目的地の天候、途中の天候、悪天候や緊急事態の場合に備えた代替空港などが詳細に書かれています。
その他に重量バランス計算書を作成します。
重量バランス計算書とは当日の旅客数、貨物や郵便などの搭載物の重量に基づいて、最終的な燃料の搭載量を決め、機体のバランスの位置を割り出すもので、飛行機は機体の重さによって消費する燃料の量が変わりますし、重心位置が狂うと離着陸時の事故につながりますので、大切な計算です。
通常、このフライトプランと重量バランス計算は毎便1機ごとに行って、機長が確認して署名をしなければ飛行機は出発することができません。
そして、出発前のブリーフィングと呼ばれる打ち合わせでは、「便名、日付、区間、機種、機体番号とその機体ごとの基礎重量」を必ず確認すること。そして、飛行機に乗り込んだら、機体番号と基礎重量(Basic Weight)を機長は必ずチェックする手順になっていますから、パイロットは目的地を間違えてエジンバラへ行ったのではなく、最初からエジンバラへ行くフライトプランに従って、そのつもりでエジンバラへ行き、管制塔(航空局)も出されたフライトプランを見て、BA3271便は最初からエジンバラへ行くものとして離陸の許可を出していたということになります。
どんな飛行機にも操縦室内には必ず機体の登録番号、基本重量、重心位置の指標などが書かれています。
今では、紙の書類に代わりiPadで各種情報が送られてきますが、出発前にその情報と実機情報の照らし合わせを行うのは基本的な動作の一つですから、パイロットが乗る飛行機を間違えたとか、目的地を間違えたということは考えられません。
この飛行機は最初からエジンバラ行として飛行計画が出されていたということであり、この飛行計画書を作成した担当職員が、どういう理由かはわかりませんが、行先を間違えた計画書を作成し、機長に送り、航空当局に届け出ていたのです。
なぜこういうちぐはぐなことが起こるのか
チェックインをして荷物を預かって、搭乗ゲートから飛行機に誘導した係員も、機内に入った乗客も地上側のすべての人たちはこの飛行機がデュッセルドルフへ行く飛行機だと疑いもしていなかったでしょう。
ただ、パイロットと客室乗務員はエジンバラへのフライトとして乗務していたということになります。
鉄道であれば車体に「○○行」と表示されています。
乗務員は乗継交代時や折り返しの駅で車両の外側から行先を必ず指差確認して間違いがないかチェックしていますし、お客様もホームに入ってきた電車を見てどこ行きか確認できます。ところが、飛行機の機体には便名も行先も書かれていませんから、お客様としては搭乗ゲートの表示が最終確認ポイントで、向かった先の飛行機の行先の確認をしようがありません。
このBA3271便は月曜日の朝の便です。シティ空港はもともとレジャー客が利用する空港ではなく、ビジネスマンが多く利用する路線です。月曜日の朝のフライトということは、乗客の皆様方も旅慣れた人が多く、乗り込んだらすぐに書類やメールに目を通したり、あるいは出発前から寝に入る人たちばかりですから、機内アナウンスは最小限だったはずです。旅慣れたビジネスマンたちは機内アナウンスどころか、安全のためのデモンストレーションも気にかけている人などいませんから、「この飛行機はエジンバラ行です。」という最小限の機内アナウンスすら耳に入らぬまま、飛行機はドアを閉めて滑走路に向かったのでしょう。
さて、たとえフライトプランが間違えて提出されたとはいえ、なぜ乗務員と地上との間にこんなチグハグなことが起たのか。そして、なぜ離陸まで誰も気づかなかったのかを考えてみましょう。
実際のBA3271便の飛行機はどういう運用になっていたかを調べてみると、この飛行機はBA3270便としてデュッセルドルフを朝6:45に出発しロンドンに7:00に到着します。(ドイツとイギリスには1時間の時差があるため1時間15分の飛行時間です。)
ロンドンに7:00に到着したその機体が、折り返しBA3271便としてデュッセルドルフに戻る運用です。
到着から出発まで100人乗りの飛行機がわずか30分の時間で折り返していく。
ということは、クルーは飛行機から降りることなく、そのまま機内で折り返し準備をする飛行機です。
パイロットも到着後、乗ってきたお客様が降機すると一旦外に出て機外点検をします。でも、その後すぐにお客様の搭乗が始まりますから異常がないことを確認すると、すぐコックピットに戻り、次の便のフライト準備に取り掛かります。
地上職員と会話をするとしたら飛行機のすぐ近くにいる整備士かコーディネーターと呼ばれるスタッフに「燃料の追加量」を伝えるだけです。エンジニアもコーディネーターも短い折り返し時間の間に燃料の給油、貨物や荷物の取りおろし、搭載、機内清掃、お客様の搭乗などてきぱきと作業を進めていくだけであっという間に10分、20分が過ぎていきます。クルーと詳細な打ち合わせをする行程はここにはありません。
一昔前でしたら、パイロットはいったん空港事務所に入り、次の便へのブリーフィングを行い、便名、目的地、搭載燃料などの打ち合わせをしますが、今はそんなことはせずにコックピットのiPadに情報が送られてきます。その情報を元に目的地とルートを機体の航法コンピューターにインプットし、給油された燃料を確認し、チェックインが締め切った段階で、お客様の数、貨物の搭載量などが事前にブリーフされていた数値と大きな変更がなければ飛行機はドアを閉めてそのまま出発します。
ドアを閉めて機体のパーキングブレーキが外されると、その情報が自動的にコントロールセンターに飛びます。
ドアを閉めたということは出発準備が整った状態ですからこれ以上お客様の人数も搭載重量にも変化は発生しません。そこでコントロールセンターの担当スタッフが、トリムという離陸時の機体のバランスを支持する数値を計算して、その数値を飛行機に衛星システムを使って送ります。
すると、コックピットにその数値が表示されて、機長はその数値を機体にセットします。
これがだいたい地上滑走中で、この数分後に飛行機は滑走路から飛び立っていきます。
このぐらいのタイムスケジュールで行かないと、折り返し時間30分などというオペレーションはできすはずもなく、LCC(格安航空会社)など存在すらできないのです。
コントロールセンターはどこにあるのか
出発前のフライトプラン作り、重量計算など、コントロールセンターが行なう仕事ですが、そのコントロールセンターというのはいったいどこにあるのでしょうか。
以前は出発地の空港にあって、クルーが出勤してきてたくさんの紙を見ながら対面で、あるいは折り返し便であれば駐機中の飛行機からクルーが降りて事務所にやって来たり、地上係員が書類を持ってコックピットに入ってブリーフィングをしていました。
以前であれば1便1便そんなやり取りをしていましたが、それはもう大昔のことで、今は、機長の手元のタブレットにデータから送られてくる時代ですから、各地の空港でフライトプランや重量計算をやる部署があるわけではありません。
今、BAのコントロールセンターはアジア太平洋地区は香港にありますし、ヨーロッパ地区はドイツにあります。
成田や羽田の便も全部香港のコントロールセンターが計算して飛行機に伝送しています。
つまり、全く違う場所で、目に見えないところの飛行機の飛行計画を立て、それをデータとして飛行機に送信しているのです。
出発地の空港にはフライトプランや重量バランス計算、チェックインコントロール、危険物取扱いなどのすべての知識を持った管理者が1名いて、遠く離れたコントロールセンターと目の前にいる飛行機との間に問題が発生した時に対応する体制です。
筆者はその管理者として長年長距離便(東京-ロンドン便)の担当をしていました。
長距離便であればクルーは自宅から出勤して来たり、滞在中のホテルから空港にやってきますから、必ず出発地の地上職員とクルーとの間でコミュニケーションをとることができます。でも、短距離便で折り返し時間30分の便だとおそらくそういうコミュニケーションを取る時間はないはずです。出発地の地上職員、この場合はシティ空港の地上職員であれば誰しもが目の前の便の行先が「デュッセルドルフ」ということがわかりますから、クルーと地上職員の間のコミュニケーションがあれば、「えっ?」「おや?」という瞬間があったはずです。
それともう一つ。
飛行機のパイロットもCAも自分の会社の便であれば便名を聞いただけでおよその目的地を判断できます。
例えば日本航空の国内線の場合、500番台の便名は北海道方面、300番台は福岡方面、900番台は沖縄方面など便名を聞けば方面別の目的地がわかります。BAの場合もシティ空港からデュッセルドルフへ向かう便は3200番台ですが、エジンバラ行の便は8700番台と全く異なります。
つまり、自社便であれば便名と行先を聞いて、「おや?」「あれ?」と誰もが気がつくのですが、実際にこの日のこの便を運航したのはWDLという別会社のクルーですから、毎日毎日違う会社の違う便を運航している人たちです。そういう人たちが便名を聞いただけで「おや?」っと勘を働かせるチャンスはほぼありませんね。
地上職員とのコンタクトもなく、出されたフライトプランを何の疑いもなくその通りに飛行する乗務員が、時間に追われている心理状態にありますから、だれも何も疑問に思うことなく、飛行機は提出されたフライトプランに従って、お客様が向かうべき目的地とは全く別のところに飛んでいったということです。
コントロールセンターの職員がなぜフライトプランを間違えるなどという初歩的なミスを犯したかは今後いろいろな調査が行われるでしょうし、再発防止対策も行われるはずです。
それでも飛行機は飛んでいく
筆者がこの事象で興味を持つのは、誰も間違いに気づかないという偶然が積み重なったような「ありえない事態」が発生しているにもかかわらず、飛行機はきちんと安全に、何の問題もなく目的地まで飛行しているということです。
ヒューマンエラーをシステムがきちんとカバーしているのです。
このところ続いている新型航空機の連続事故は機体そのもののトラブルが原因とされていますが、飛行機は機体トラブルやテロとして狙われる以外に、基本的には安全に飛んでいく乗り物だということです。
今後はコントロールセンターでフライトプランを作成している職員、出発地の地上職員、機長や客室乗務員とのコミュニケーションをどう取って行くかということが再発防止の要になると思います。
強いて言うならば、飛行機そのものが当日の便名、区間、時刻などを覚えていて、機長が航法コンピューターに間違った目的地やコースをインプットすると、「目的地が違います。もう一度確認してください。」という反応を、飛行機が自動的に教えてくれるぐらいの装置が搭載されれば、ヒューマンエラーを防ぐことができるかもしれません。
航空会社には今回の事象をヒヤリハットとして、さらなる安全性の確立に努力していただきたいと、かつての業界人としては願うばかりです。
※フライトプランを作成する会社はコントロールセンターとは別の会社となりますが、今回は説明を簡略化するために省略いたしました。
※使用した写真はおことわりのあるもの以外は筆者撮影です。