幡ヶ谷バス停での殺人の衝撃…。事件翌日に現場に立ち、自分ができることは「映画」だと誓った
バス停のベンチで座りながら眠っていた女性が、近隣の住民に殴打され、命をおとすーー。2020年11月、東京・幡ヶ谷のバス停で起こった、ホームレス女性の殺人事件は、世の中に大きなショックを与えた。
なぜ彼女は殺されなければならなかったのか。どうしてバス停のベンチで夜を過ごしていたのか。単なる殺人事件を通り越して、現在の社会状況と照らし合わせ、我が事のように心を痛めた人が想像以上にたくさんいた。
「もしかしたら、わたしが彼女だったかもしれない」と。
この事件は犯人が逮捕・起訴されるも、保釈中に自殺。心を傷めていた人たちは、さらに複雑な思いにかられることになる。
声をかけてペットボトルを差し出しただろうか…
「以前、あの幡ヶ谷のバス停の近くに住んでいて、事件の翌日に現場を訪れました」
脚本家の梶原阿貴も、この事件に衝撃をおぼえた一人だ。作品として何かを訴えることも仕事である彼女は、現場のバス停で突き動かされる感情を抱く。
「現場に花を供えて、自分に何ができるかを考えました。もし私が生前の被害者女性を見かけたら、何をしていたのだろう。声をかけて、ペットボトルの水を差し出すくらいはしただろうか。実際に会っていないのでわかりませんが、何もできなかったことに戸惑い、自分は映画を作る人間なのだから、彼女を助けられなかったにしても、今から何かやれることがないかと思いを巡らせました」
そして梶原は、自らの発案で『夜明けまでバス停で』の脚本を手がけることになる。脚本家の「何かを届けたい」という純粋な衝動から生まれた、ある意味で稀有な作品でもある。
とはいえ、脚本家の衝動だけで映画を完成させることは難しい。絶好のタイミングによって、製作が決まったのも事実だ。板谷由夏が主演で高橋伴明監督(『TATTOO<刺青>あり』『愛の新世界』『光の雨』など)が撮る企画が動いており、その脚本が梶原にオファーされていた。
「板谷さんの同世代の女性ライターということで、声がかかりました。監督と板谷さんだったら何がベストなのかを考え、2つ目に出したアイデアが、この幡ヶ谷バス停事件です。高橋監督は実録モノには定評がありますから。ただ、被害者女性(事件時64歳)と板谷さんは20歳くらい年齢差があるので最初は迷いました。でも深夜、渋谷のバス停で女性がうずくまっていたら、60代でも40代でも危険度は変わらないですし、もともと当事者について綿密に調べ、そのまま再現することには抵抗感もあったので……」
当初、この事件を発端にすることに高橋伴明監督は「ぴんと来ない」と言ったそうだが、脚本家として大きな確信があったという。
「事件の後に、渋谷で女性たちによる『彼女は、わたしだ』というデモが起こったりして、『あした自分の身に起こるかもしれない』という意識の広がりを実感しました。この題材は多くの人に届くはず。そして、こんな世の中だからこそ、作られるべき映画だと信じることができたのです」
事件が2020年11月16日。企画を出したのが2021年の4月。そして製作が決まり、一周忌に合わせて映画はクランクインとなる。
50年先に残したい、コロナ禍の日本
しかしこの『夜明けまでバス停で』という作品、梶原が「当事者の再現ではない」と語るように、被害者の人生をたどる物語ではない。バス停での事件は描かれるものの、主人公は架空のキャラクターだ。
「多くの人が『彼女は、わたしだ』と訴えたわけで、つまり『わたしの物語』だと間口を広げたいと思ったのです。しかも脚本段階で事件は公判前であり、結局、犯人も自殺したことで、詳細が明らかにならないままで終わってしまった。無責任なことは書けません。一方で、この時代を映像で残したいという気持ちも強かったのです。10年後、20年後、または50年後に『コロナ禍の東京はこうだった』と伝えたい。テーマは守りつつ、実録をやろうとは思いませんでした」
幡ヶ谷の事件から映画のクランクインまでの期間、そしてそれ以降も、コロナ禍の日本は激動の日々だった。『夜明けまでバス停で』には、「わたしの物語」に現実で起こったことが、ニュース映像も使われたりして重ねられていく。おそらく基本の脚本が完成してから、多くの要素が追加されていったはずだ。
「2稿目、3稿目と、新たに起こったことを入れてどんどんアップデートしていきました。(クランクイン前に)オリンピックの旗が撤去されてしまうので、そこだけ脚本が完成する前に撮影してもらったり……。映画が完成した後にも、安倍元首相が殺されるという想定外の事件が起こったので、この作品の印象も変わるかもしれません。ただ安倍政権から菅政権への移行と、コロナの時代の東京は、おこがましい言い方ですが“記録的”に描けたのではないかと思います」
『夜明けまでバス停で』で板谷由夏が演じる、45歳の北林三知子は、コロナの影響で働いていた居酒屋を突然、解雇され、社宅でもあったアパートを出ることになる。次の仕事も見つからず、行く当てもなくなった彼女は、やがてバス停で寝泊まりするようになる。今の時代、コロナに限らず、さまざまな社会不安が主人公の運命に込められていると、梶原は語る。
「もともと三知子は、社会全体で例えるなら、階段の2段目くらいに座っていた存在です。アルバイトでも何でも、働きさえすれば生活をすることができました。ただコロナ禍になり、誰もが下に“落ちる”危機に遭ったとき、階段の5段目くらいの人は落ちても3段目か2段目。でも、もともと2段目の人は一気に最下段へ突き落とされる。そのような状況の中、政府は『自助・共助・公助』、そして『絆』という言葉を持ち出したりして、そこへの怒りもありましたね」
正直者がバカを見る社会でいいのか
こうした状況は、まさに幡ヶ谷バス停の被害者女性に当てはまるが、事件後のニュースで被害者の生真面目な性格が伝えられたように、『夜明けまでバス停で』の北林三知子も、正義感が強いキャラクターとして描かれている。
「正直者がバカを見る、という暗示ですけど、正直者がバカを見る世の中がいけないんですよ。要領よく行動をしたり、嘘で人を騙したり、そんなことができないからって、人生を転落させていいわけじゃない。私だったら、どうしても生き残るためという名目があれば、誰かを騙してしまう可能性はゼロではありません……。だからこそ、それができない正直な人を描きたかったのです」
こうして作り手の意図を紹介していくと、ガチな社会派映画のような印象をもたれるかもしれない。しかし主人公のキャラクターや、俳優たちの演技も含め、要所には明るく軽やかなムードも充満し、エンタテインメントとして入り込みやすい作りにもなっている。そして気づけば、主人公に「わたしだ」と感情移入し、彼女の目線で社会を見渡すことになる。
脚本家の「何かを書いて伝えたい」という、ある意味で純粋な動機から生まれた『夜明けまでバス停で』。その強い思いが、どこまで伝わっていくのか。公開後の反応が楽しみである。
『夜明けまでバス停で』
配給:渋谷プロダクション
(c) 2022「夜明けまでバス停で」製作委員会
10月8日(土)より新宿K’s Cinema、池袋シネマ・ロサ他全国順次公開