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中山美穂さん、パリでのぞかせた素顔 夢は「いつかフランス映画に出たい」

斉藤博昭映画ジャーナリスト
(写真:アフロ)

中山美穂さんが亡くなったニュースは多くの人に衝撃を与えた。まだ54歳。アーティストとしてこれからも様々なチャレンジがあっただろうと考えてしまう。

15歳で俳優デビューして一気にトップスターの仲間入りをした美穂さんなので、人々から「特別な存在」として認識される人生を歩んできた。そこは想像に難くない。このようなスターは、周囲からもある程度の特殊な扱いを受けることに慣れているものだが、その点で彼女は少し違った印象がある。

私は美穂さんのミュージシャンとしての活動で一時、仕事で携わった経験があるが、彼女のクリエイティヴへの意識は非常に高いことを目の当たりにした。特にロゴなどのデザインには細かくアイデアを出し、作品としての「見せ方」にこだわった。つねに“アイドル出身”という自分に抗い、アーティストとしての自意識を必死に追いかけているようにも見えた。一方で関係者での食事の場などでは、事務所に入ったばかりで何をやっていいのか迷っている若いスタッフを、美穂さんが自ら気遣い、飲み物などを頼んであげるという、人としての細やかさも失わない人だった。

結婚で中断していた仕事。再起をかけて…

俳優としての仕事で私が深く関わったのは、彼女の人生で重要な場所となったパリでの作品。撮影現場での取材を任された。

映画俳優・中山美穂の代表作といえば1995年、岩井俊二監督の『Love Letter』。そして天才カメラマン、アラーキーの妻を演じた1997年の『東京日和』が挙げられるだろう。これらの傑作によって俳優としての飛躍が期待されつつ、2002年、辻仁成(辻の正式表記は点が2つ)との結婚でパリへの移住が決まり、芸能活動をストップする。

そして2010年公開の主演映画『サヨナライツカ』で、ようやく演技者としての復活をとげるわけだが、同作はパリ移住前にストップしていた企画だった。復帰後の再起をかけて挑んだのが、その次の主演作『新しい靴を買わなくちゃ』である。パリで生活している美穂さんが、そのパリで映画を撮影するという、ある意味、念願のプロジェクトでもあったのだ。

『新しい靴を買わなくちゃ』の撮影は2011年、パリで行われた。監督と脚本は、2001年の美穂さん主演のドラマ「Love Story」の脚本家である北川悦吏子。プロデューサーを務めたのは『Love Letter』の岩井俊二という、これ以上ないコンビ。美穂さんも含め、この3人で企画段階から進めた作品だ。そして相手役に「ゲゲゲの女房」などで当時、人気が急上昇していた向井理。共演は綾野剛と桐谷美玲、『パルプ・フィクション』などのアマンダ・プラマー。さらに音楽監督で坂本龍一が参加……と、いま考えると信じられない顔合わせだった。

日本映画でも異例のオールパリロケなど話題性も豊かな『新しい靴を買わなくちゃ』だったが、残念ながら成績は芳しくなかった。美穂さんと向井理の“年齢差”恋愛ストーリーが、時代に合っていなかったという評も聞いた。しかし人と人が惹かれ合う心の機微を美しく表現した作品として、そして何より、俳優・中山美穂の繊細な演技力を実感する映画として、忘れ去られるべき仕事ではない。

パリでの撮影。しかも各所を自由に動き回る体制なので、日本での同様の作品に比べると余計な関係者などもいない。美穂さんも地元のパリということで、撮影場所などに気軽にアイデアを出していたし、ランチで設置されたケータリングのテーブルに、若いスタッフらも混じって食事を楽しむなど、他の現場でよく目にする「特別扱い」とは無縁な雰囲気だった。パリでの撮影は困難も多く、そんな混乱を全員で乗り切るムードが漂っていたのである。

15歳から背負ってきた計り知れぬプレッシャー

撮影後に美穂さんにインタビューした際、こんなことを語っていた。

「パリで生活していて、たまに映画館でフランス映画を観ることがあるんです。そんな時、『いつか私もフランス映画に出てみたいな』という、ポワンとした憧れ、夢が浮かびます。夢って、こうして誰かに話していると叶うっていうじゃないですか」

同時に「この映画で『パリでお芝居する』という夢は実現しましたけど」と満足そうな笑みも浮かべた。

その素顔に一瞬触れたのは、打ち上げの時だった。パリでの撮影がすべて終わり、セーヌ川に浮かんだ小さな船でパーティが行われたのだが、船内で盛り上がる喧騒を抜け、ひとり私がデッキに出ていると数分後、現れたのが美穂さんだった。

「大丈夫なんですか、主役が抜け出してきて」と聞くと、彼女は「ちょっとね、ああいう雰囲気で中心に居続けるのは」というニュアンスの言葉が返ってきて、どこか寂しそうな表情も浮かべた。その瞬間、15歳からずっと背負ってきた、一般人には計り知れないプレッシャーを垣間見た気もした。

残念ながら、その後、美穂さんがフランス映画に出演するチャンスは訪れなかった。2024年まで俳優としての仕事も着実にこなしていたが、では『Love Letter』や『東京日和』のように“俳優・中山美穂”の新たな代表作が生まれたかというと、答えに窮してしまう。しかしその唯一無二の魅力が生かされ、50代後半から、演技者として何か新境地を開く作品、役に巡り合っていたはずだと信じたい。セルフプロデュースも深く考えていた彼女のことなので、実現させたい企画もあっただろう。そんなことを考え、切なく胸をかきむしられる人も多いのではないか。

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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