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「シューマッハvsヒル、雨の鈴鹿対決」伝説の日本GPをF1公式SNSが放送。タキ井上もF1デビュー!

辻野ヒロシモータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト
1994年、ベネトン時代のミハエル・シューマッハ(写真:アフロ)

コロナウィルスの感染拡大の影響でグランプリ開催がストップしている「F1世界選手権」。ファンのためにF1の公式SNSでは「F1 CLASSICS」と題した企画で、数々の伝説を生んだレース映像が放送、公開されている。

日本時間の2020年4月23日(木)午前3時に公開されるのは1994年に鈴鹿サーキット(三重県)で開催された「F1日本グランプリ」だ。その見所をご紹介しよう。

セナ亡き後の王者を争う1戦

過去31回の歴史を数え、幾つもの伝説を生んできた鈴鹿の日本グランプリ。

今回「F1 CLASSICS」で選ばれたのは、1994年である。

94年といえば、5月のサンマリノGPでローランド・ラッツェンバーガー(シムテック・フォード)、アイルトン・セナ(ウィリアムズ・ルノー)が不幸な事故死を遂げたシーズンだ。アクシデントが多発し、F1が安全性の向上に対応を迫られた1年でもあった。

アイルトン・セナ亡き後もレースは続き、F1を牽引する中心人物は誰になるのか。それを決する戦いがシーズン終盤にやってくる。

当時は全16戦開催だったシーズンの第15戦として開催された94年・日本グランプリでチャンピオンを争ったのは、フル参戦3年目のミハエル・シューマッハ(ベネトン・フォード)と当時の最強チームで新エースとなったデイモン・ヒル(ウィリアムズ・ルノー)。

当時デイモン・ヒルが乗ったウィリアムズFW16B。前年王者プロストが引退したため、ヒルはカーナンバー「0」番を使用した。(写真:DRAFTING)
当時デイモン・ヒルが乗ったウィリアムズFW16B。前年王者プロストが引退したため、ヒルはカーナンバー「0」番を使用した。(写真:DRAFTING)

両者5点差で迎えた日本グランプリで、ミハエル・シューマッハはポールポジションを獲得。シューマッハはこのレースでヒルに対して10点の差を付ければチャンピオン決定だ。

そしてフロントロー2番手にデイモン・ヒル。後半戦に3連勝を含む5戦連続の表彰台獲得で勢いに乗る。シューマッハに一矢報いることができるのか、という戦いだ。

しかし、決勝レースは雨模様。途中のアクシデント発生により、レースは2ヒート制となった。こういう場合、当時は第1ヒートのレース結果と第2ヒートの結果のタイム合算で争われることになっており、スピンやコースアウトのリスクも多いウェットコンディションの中で、シューマッハとヒルがライバル心むき出しの走りを展開した伝説の戦いである。

セナの追悼セレモニーも開催

「F1 CLASSICS」では当時のBBC(イギリス国営放送)の映像などをそのまま使用して、伝説のレースを公開している。英語の実況映像で、日本語字幕が無いのが残念だが、ハイライト映像のまとめとは異なり、当時の雰囲気も映像を通して楽しむことができる。

94年の日本グランプリでは、亡くなったアイルトン・セナの追悼セレモニーが決勝スタート前に開催されているが、もしかするとその時の映像も放送されるかもしれない。

アイルトン・セナ(写真:DRAFTING)
アイルトン・セナ(写真:DRAFTING)

ホンダと共に戦い、日本を愛し、男女問わず当時を生きた日本の若者に愛されたセナの死を悼み、冠スポンサーのフジテレビ、開催サーキットの鈴鹿サーキットから、日本のファンからのメッセージボードが遺族に贈られた。

セナの姉、ビビアーニさんらがセナのヘルメットのカラーリングが施された特別仕様のヘリコプターに乗って登場するシーンを覚えている人も多いかもしれない。

この時の鈴鹿の空はシーズン中に起こった辛い出来事を悲しむかのように号泣していた。

しかし、戦いの時はやってくる。

94年に安全性の向上に対して様々な改革を行なってきたF1だったが、今では恐らくレース決行はできないほどのヘビーウェットのコンディション。驚くほど高く舞い上がるウォータースクリーンの中、アクセルを開けていく当時のF1ドライバーたちの走りは凄まじい迫力だ。

片山右京、野田英樹、井上隆智穂も参戦

94年のF1日本グランプリには3人の日本人ドライバーが参戦している。

F1デビュー3年目の片山右京(ティレル・ヤマハ)は混乱のシーズンの中で度々予選上位につけ、自身初のポイント獲得(当時は6位以内)も実現するなど、キャリア最高潮のシーズンを過ごしていた。

そして、前戦・スペインGPでF1デビューを果たしたのが野田英樹(ラルース・フォード)。野田は現在のF2にあたる国際F3000で表彰台を獲得するなど、将来を嘱望される若手だった。残念ながら野田がF1を走ったのはこのレースを含む3戦限りとなるが、現在14歳ながらフォーミュラカーでレースをする女性ドライバー、Jujuこと野田樹潤(のだ・じゅじゅ)の父がF1で走る姿を見ることができる。

さらにこのレースは、ツイッターやコラムで歯に衣着せぬ物言いでモータースポーツ界のご意見番的存在の「タキ井上」こと井上隆智穂(シムテック・フォード)のF1デビューレースでもある。井上も野田と同じくヨーロッパが舞台の国際F3000で活躍していた。

(タキ井上こと井上隆智穂のツイッター)

現在は日本人F1ドライバーが長らく不在だが、レギュラー参戦する日本人に加え、当時はシーズン終盤のフライアウェイ戦(ヨーロッパを離れるレース)で日本人がスポット参戦を果たすケースが数多くあった。

今ではなかなか見られない3人もの日本人ドライバーが参戦するF1日本グランプリ。そういった部分も含めて当時を知る人も知らない若者も映像を楽しんでみてはいかがだろう。アーカイブはF1公式YouTubeに残される。

モータースポーツ実況アナウンサー/ジャーナリスト

鈴鹿市出身。エキゾーストノートを聞いて育つ。鈴鹿サーキットを中心に実況、ピットリポートを担当するアナウンサー。「J SPORTS」「BS日テレ」などレース中継でも実況を務める。2018年は2輪と4輪両方の「ル・マン24時間レース」に携わった。また、取材を通じ、F1から底辺レース、2輪、カートに至るまで幅広く精通する。またライター、ジャーナリストとしてF1バルセロナテスト、イギリスGP、マレーシアGPなどF1、インディカー、F3マカオGPなど海外取材歴も多数。

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