88歳、中島貞夫監督が語る「映画に求められるもの」とは
1964年に「くノ一忍法」で映画監督デビューし「893愚連隊」、「懲役太郎 まむしの兄弟」シリーズ、「木枯し紋次郎」、「極道の妻たち」シリーズなど数々の話題作を生み出してきた中島貞夫さん(88)。2018年に公開された監督作品「多十郎殉愛記」の撮影現場などを記録した映画「遊撃」(松原龍弥監督)も公開中です。「結局、それだけなんです」と語る映画、そして、映画監督に求められるものとは。
過密からの学び
生まれは関東で大学までは東京にいたんですけど、卒業して東映に入り、京都に来ました。
当時の東映京都撮影所には大御所の役者さんもたくさんいたし、作る側にも怖い人がたくさんいたんです(笑)。なので、会社としては「生意気な新人が入ってきたし、京都でどれくらいもつかな」という感じで行かせたんだと思います。そうしたら、そのままもっちゃったというね(笑)。
僕が京都に来た頃は時代劇の全盛期でした。次々とスターが生まれて、現場にも何とも言えない活気というか、止まらないエネルギーみたいなものがありました。
今では“働き方改革”みたいなことが言われていて、労働環境がひどくならないように考えられています。もちろん、それは大切なんですけど、僕が京都に来た頃は講習的なことなんて受ける前に現場で泥だらけになる。徹夜の仕事が続く。新入社員だろうがなんだろうが関係ない。そこでやるべきことが山のようにあって、とにかくそれに邁進する。そんな状況でした。
いわば過密労働の最たるものだったんですけど、その中に飛び込んで過密を楽しむ精神がその中で作られたように思います。今だったらいろいろと問題があるんだろうけど、過密の中で自分がやりたいことをやって、それがスクリーンに反映されるかもしれない。そして、いつかは自分が作品を撮るんだ。そんな思いでやっていたので、過密が楽しかったんですよね。
荒い時代だったとは思うけど、今でもね、どれだけ環境が穏やかになってもしんどくなる人はいるし、過密を楽しむヤツもいる。結局、その職場が楽しいのかどうかというのは、本人の判断によるものが多いんだと思います。
あとはね、とにかく酒を飲んでました。誰かスターと一緒に酒を飲む。僕が本当に仲が良かったのは中村錦之助(萬屋錦之介)、錦ちゃん、錦兄(きんにい)と呼んで一緒にいたんだけど、その中でもあらゆることを教わりました。
今以上にスターがスターだったし、スタッフがスターと現場で気楽に話す空気ではなかったんです。だからこそ、酒の場が大切だったし、その場では互いにあれこれ話せるのが酒の力、値打ちでもあったんです。
こっちもあれこれ言うし、スターの側も言ってほしいんですよ。今以上にみんなに神輿に乗せられていた時代だったと思いますけど、神輿に乗りながらもね、賢いスターはちゃんと見てるわけですよ。
格好よく神輿に乗りながらも、きちんと何が求められているか。その聞き取りを酒を飲む中でサラッとやってるわけです。
このあたりの機微は本当に勉強になりましたし、こちらもただただお座敷をまわって酒を飲んでるだけじゃ、どこかでバカにされますから。そうやって日々酒を飲みながらも、しっかりと本を書いて自分の作品を撮る準備を進めておく。それがないと、こちら側の迫力が出ないし、何のためにここにいるんだとなりますから。
そう思うとね、そりゃ、乱暴なところがたくさんあったとは思いますけど、昔の現場は旧態依然としているようで、実は含蓄があった。それも今になって感じることです。
監督という仕事
もう90歳近くまでこの仕事をしてきて思うのは、あらゆるもの作りの仕事の中でも、最大級に“幅が広い”のがこの仕事かなと。
だからこそ、自分一人が「これを撮りたい」と言って撮れるものではない。会社なり、多くの人から同意を得ないと作れない。実際、そんな柵にがんじがらめになっていた人もたくさんいました。
だからこそ、何作も撮り続けるのは本当に難しいんですけど、残ってる人間に共通していること。これはね、確実に言えるんですよ。「とことん映画が好き」。この思いを持っている人が残ってますよ。
数だけの問題じゃないかもしれないけど、10本作った人は10回、20本作った人は20回、会社をだませたということだから(笑)。少なくとも、自分の考えに周りが賛同してくれたわけですからね。そこに必要なのはやっぱり気持ちだろうし、熱なんだと思いますよ。
そしてね、映像というのはいろいろな使われ方をするものです。映画は映像だけで見せるものですし、映像を使って舞台演出をする場合もあるし、今は映画を映画館ではなく配信で見る世の中にもなっています。
映像の可能性がさらに広がっていると言えるのかもしれませんけど、これもね、行きつくところは一つです。その映像が面白いか、面白くないか。それだけです。
いくら思いを込めようが、金をかけようが、面白くなければダメ。もちろん、作った本人にはいろいろな考えはあるんだろうけど、悪いけど、ダメなもんはダメなんです。
生意気なテーマの作品を作っても多くの人を引きずり込んだら成功だし、大衆性あふれるテーマにしても入り込めなければダメだし。大衆性あふれる作品というのは、作ってる本人も大衆性の中に入ってちゃ面白くならないんですよ。大衆性っていうのは、大衆をどこかでバカにしてるくらいじゃないと面白くならない。
ま、本当にいろいろとやってきましたけど、僕みたいに90歳近い男が作るものと、19歳の若者が作る映画が同じだったらおかしいわけで、その人間にしか撮れないものがあるはずだし、その中で面白いものを撮る。結局、行きつくところはそれだけなんですけどね。
…あれこれしゃべりすぎたかな(笑)?でもね、本当に思っていることばかりですし、いくつになっても、いつまでも持っておきたいものでもあるんです。
(撮影・中西正男)
■中島貞夫(なかじま・さだお)
1934年8月8日生まれ。千葉県出身。東京大学に入学し、倉本聰らと「ギリシャ悲劇研究会」を結成する。大学卒業後、東映に入社。「くノ一忍法」(64年)で監督デビューし、京都市民映画祭新人監督賞を受賞。67年からフリーの監督として、やくざ、風俗、任侠、時代劇、文芸、喜劇などなど様々な方向性の作品を手がける。代表作は「893 愚連隊」、「まむしの兄弟」シリーズ、「木枯し紋次郎」シリーズ、「日本の首領」三部作、「真田幸村の謀略」、「序の舞」(インド国際映画祭監督賞受賞)、「極道の妻たち」シリーズなど。京都府文化功労賞、牧野省三賞、京都映画大賞など受賞多数。映画作りへの思いなどを記録した映画「遊撃」(松原龍弥監督)が公開中。2月17日からはイオンシネマ高松東、23日からはイオンシネマ草津で公開される。