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男子バレー古賀幸一郎が現役引退を発表 誰もが「追い続けた」ベストリベロであり続けた理由

田中夕子スポーツライター、フリーライター
今季限りでの現役引退を発表した古賀幸一郎(写真提供/ウルフドッグス名古屋)

「追いかけ続け、届かなかった兄の背中」

 3月7日、Vリーグ男子、ウルフドッグス名古屋の公式ホームページで古賀幸一郎の今季限りでの現役引退が発表された。

 Vプレミアリーグで連続試合出場日本新記録を持ち、10/11シーズン、13/14シーズン、さらに15/16シーズンからから18/19シーズンまでは4年連続で、計六度サーブレシーブ賞を受賞し、13/14シーズンから18/19シーズンまでは実に6年もの間、ベストリベロに輝いた。日本代表としてワールドカップや世界選手権、数ある国際大会への出場こそなかったが、バレーボールファンならば間違いなく古賀は日本が誇るベストリベロの1人。突然の引退発表に、惜しむ声が多く寄せられた。

 かつては共に豊田合成に在籍、フィンランド、フランス、ポーランドと海外に渡り、現在はFC東京でプレーする弟、古賀太一郎も自身のTwitterにコメントを寄せた。

「追いかけ続けた兄の背中は届かないままこの日を迎えてしまいましたが最初で最後の『兄弟対決』楽しみたいと思います。お疲れさん。ブラザー」

FC東京でプレーする弟の古賀太一郎。背を追い続けた兄に「兄弟対決を楽しみたい」「お疲れさん」とTwitterでコメントを寄せた
FC東京でプレーする弟の古賀太一郎。背を追い続けた兄に「兄弟対決を楽しみたい」「お疲れさん」とTwitterでコメントを寄せた写真:長田洋平/アフロスポーツ

アキレス腱断裂も嘆くのではなくポジティブに

 引退発表の数日前だった。

「28日に決まりました」

 引退するにあたり、どこで終わりにするか。国内バレーボールのシーズン最後の大会となる5月の黒鷲旗か、はたまた公式戦とは別の機会に引退試合を設けるか、Vリーグの最終戦にするのか。それが決まればそこに向けて一生懸命練習するだけ、と言っていた古賀からの連絡は、ユニフォームを着て臨む最後の試合が決定したことを告げるものだった。

 3月28日、レギュラーラウンド最終戦。対FC東京。

相手に太一郎がいるチームであること。そして、会場となるパークアリーナ小牧は、古賀がコートを離れるきっかけとなったアキレス腱断裂という大けがを負った場所でもある。

 試合出場がかなえば、奇しくも重なる2つの偶然に「すごく驚きました。でも支えて下さったファンの皆さま、両親、家族。たくさんの方々に最後の姿を見せられるのはこの日しかない。兄弟対決は最高の親孝行になる」とどこか嬉しそうだった。

 突然の現役引退。おそらく多くの人たちは、アキレス腱断裂が契機となった決定であり、もしあのケガがなければ、そう思ったはずだ。

 しかし周りから見れば選手生命をも揺るがす大ケガは、むしろ古賀にとってマイナスではなかったと振り返る。

「試合が終わって病院で検査してもらった時点で、(アキレス腱が)切れてるね、と。手術するしかないし、完治まで時間もかかる。たぶん100人いたら99人はこの状況に嘆くと思うけど、俺は逆。もう一度、自分自身を見つめ直す機会を与えられたとポジティブにとらえることができました」

20年2月2日のパナソニック戦でアキレス腱断裂。選手生命をも脅かすケガも、古賀はプラスに受け止め「チャレンジできる要素」とポジティブにとらえた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)
20年2月2日のパナソニック戦でアキレス腱断裂。選手生命をも脅かすケガも、古賀はプラスに受け止め「チャレンジできる要素」とポジティブにとらえた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)

「何回倒れても起き上がるエネルギーがあればいい」

 100人中99人が嘆く状況も「チャンス」と捉える。思い起こせば、古賀の話を聞く時はいつも、どれだけ深刻なテーマでも最終的には笑える話に変わる。どんな時も常に驚くほどポジティブだった。

 国際武道大からNECブルーロケッツに入団。内定選手として合流した直後から試合出場を重ねるも、チーム成績は振るわず、経済不況も重なりチームは09年に無期限の活動休止。どんな事情があるにせよ、休部、廃部という現実は選手にとって重い。だが、同年から豊田合成(現ウルフドッグス名古屋)に移籍し、試合出場を重ね、16年11月には244試合出場でVリーグ男子の連続試合出場数日本新記録を樹立(以後記録は更新され現在325試合で歴代1位)。

 偉業を成し遂げ、称える声に対しこう応えた。

「どれだけ自分の調子がよくても、試合に出られるか、出られないかは監督が決めること。どんな状況でも、自分を信じて起用し続けてくれた、NEC、豊田合成、これまでの監督に心から感謝したい」

 時に大きな壁にぶつかり、信じた道が途切れても、それですべてが終わるわけではない。アキレス腱を断裂した直後もまさにそうだった、と古賀は言う。

「日本では、できるだけ失敗しないように。転ばないように、と考えられがちだけど、実際は何があるかわからない世の中で、転ぶことも倒れることもある。だったら、大事なのはそこから。倒れないように一生懸命頑張るんじゃなくて、何回倒れても起き上がるエネルギーさえ持っていればいい。1つの方向から見たらネガティブにしか見えなくても、違う場所から見たらポジティブなこともある。たくさんの見方があるんだ、と理解できれば、何だって、それほど大きな問題じゃないってことですよ」

発信する力、圧倒的な技術を備え、コート内で古賀は常にリーダーであり続けた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)
発信する力、圧倒的な技術を備え、コート内で古賀は常にリーダーであり続けた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)

どれだけやったか、ではなく、何をやったか

 現役選手である時間は無限ではなく、いつか終わりは来る。

 そうわかっていても、コートに立ち、味方からすれば頼もしく、相手からすれば嫌で仕方ない。そんな雄姿を見続けて来ただけに「終わり」と言われても、寂しさは消えない。

 いとも簡単そうに受け、返すサーブレシーブもNECに在籍した頃、体育館から駅までのシャトルバスが出るギリギリの時間まで練習していた成果だった。だがベテランと呼ばれる年齢に差し掛かり、若手選手たちからもレシーブやリベロとしての心得、さまざまなことを尋ねられる機会が増えた中、伝えるのは至ってシンプルなことだと言う。

「体育館に何時間いた、何時に来て練習したというのが評価基準になっているなら、それは変えるべき。大事なのはどれだけいたかじゃなく、そこで何をやるか。だって、子どもに『1時間勉強しなさい』と言っても中身はゼロ。座っているだけですから(笑)。それと同じで、どれだけ練習したかじゃなくて、何を意識しながら練習したか。そっちのほうが、ずっと大切だと思いますね」

 若かった頃、重ねた練習で「この場所、角度で取れば必ず返る」と自信を持てるポイントをつかんだのは間違いない。だが、やみくもにやるだけだったら同じ結果につながったわけではない。むしろサーブ戦術が高まり、個々のサーブ力も格段に向上した昨今、「ストロングサーブは無理に返さず、上に上げればいいと言われるのが一番難しかった。古賀はそう言って笑う。

「このポイントに当たれば絶対返る、というところがあるから、逆に言えば“上に上げろ”というのが一番難しい。返す方法はわかるけど、どうしたら上に上がるか。その方法はわからない。だったら、返すほうがよほど楽ですよ(笑)」

 これだけやった、と努力を人に見せ、アピールする必要などない。コートで見せるプレーが、いつもその証明だった。

サーブレシーブの質、正確性は周囲の群を抜く。どれだけやったかではなく、何を意識して練習するか。重ねた成果はいかんなく試合で発揮され続けた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)
サーブレシーブの質、正確性は周囲の群を抜く。どれだけやったかではなく、何を意識して練習するか。重ねた成果はいかんなく試合で発揮され続けた(写真提供/ウルフドッグス名古屋)

3月28日。最初で最後の兄弟対決

 サーブも打てず、前衛でジャンプすることも、得点を取ることもできない。だが記録にはならずとも、1本のレシーブ、ブロックフォローでつないだボールが確実に「リベロの取った得点」であること。派手なフライングレシーブだけがスーパープレーでもファインプレーでもなく、むしろ何食わぬ顔で正面で取った1本のスパイクレシーブが、実はその場でリベロが取るために計算し尽くされ、周りを動かした末の1本で、打ったスパイカーにとっては計り知れないダメージが与えられること。

 バレーボールの奥深さや面白さ、楽しさを何度も何度も見せてもらった。そして、周りの評価など気にせず、時に辛辣なまでにストレートに言い放つ試合後の記者会見も、おかげでずいぶん鍛えてもらった。

 ボールを使った練習は2月になって始めたばかりで、どれだけ感覚が戻るかはわからない。1年以上試合からも離れているため、実際コートに立ってどれほどプレー時間があるかも全くの未知数だ。

 だが、たとえその時間が限られたものであろうと、ユニフォーム姿でコートに立つ姿が見られるチャンスはまだ残されている。

 3月28日、ウルフドッグス名古屋対FC東京。レギュラーラウンド最終戦、そして試合後の引退セレモニーでどんな姿を見せ、どんな言葉を発するだろう。過去ばかり振り返るのではなく、初の兄弟対決も実現するその日を楽しみに、古賀の雄姿を見届けたい。

15/16シーズン、Vリーグ初優勝。主将としてトロフィーを掲げた。3月28日のFC東京戦後には引退セレモニーも開催される(写真提供/ウルフドッグス名古屋)
15/16シーズン、Vリーグ初優勝。主将としてトロフィーを掲げた。3月28日のFC東京戦後には引退セレモニーも開催される(写真提供/ウルフドッグス名古屋)

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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