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女子バレー宮下遥、川島亜依美が引退会見で語った「忘れられない試合」

田中夕子スポーツライター、フリーライター
今季限りで現役引退、引退会見に臨んだ川島亜依美(左)と宮下遥(左)(筆者撮影)

デビュー戦で放った「最初で最後のバックアタック」

 15年に及んだVリーグでのバレーボール選手生活に、別れを告げた。

 5月の黒鷲旗で現役引退を表明していた岡山シーガルズの川島亜依美、宮下遥の引退会見が16日、岡山市内で行われた。

 晴れやかな表情で登壇した2人は、苦楽を共にしてきた日々を振り返り、それぞれ、印象に残る試合を問われると、川島はデビュー戦と引退試合となった黒鷲旗決勝を含む3試合、宮下は岡山と日本代表から2試合を挙げた。

 九州文化学園高では試合出場の機会がなかった川島にとって、Vリーグのデビュー戦は大げさではなく「自分にとってほぼ最初の試合」。リリーフサーバーとして出場し、「人生初めて、最初で最後のバックアタックを打った」と笑顔で振り返りながら、「ほぼ経験のない自分を使ってくれた監督への感謝も込めて、自分の中ではとても印象深い」と笑みを浮かべた。

引退会見の会場内にはデビューからの写真が展示された。交錯して宮下の前歯が欠けたデビュー戦の写真も飾られ、宮下自身も懐かしそうに見つめるシーンもあった(筆者撮影)
引退会見の会場内にはデビューからの写真が展示された。交錯して宮下の前歯が欠けたデビュー戦の写真も飾られ、宮下自身も懐かしそうに見つめるシーンもあった(筆者撮影)

「心が折れていた」タイとの五輪予選

 一方の宮下は、Vリーグで準優勝した13/14シーズンのセミファイナル。負けられない状況から、チームが一つになって勝ち切った、という試合を挙げた後、日本代表で経験した「あれ以上はないだろう、というプレッシャーだった」という2016年のリオデジャネイロ五輪最終予選、タイとの第5セットを振り返った。

「6対12ぐらい点数が離れていて、正直心が折れていました。そこから何がどうなって逆転したか、もうわからないぐらい。オリンピックに行くために、必死で、その試合を逆転で取り切って、何とかオリンピックの切符を獲ることにつながった。あれ以上の経験はないだろうというぐらいのプレッシャーの中で、ああいうゲームが取り切れたのはものすごい達成感もあり、オリンピック出場につながった。果たせた、という試合でもあったので、ものすごく印象に残っています」

「監督がいなければセッターになることもなく、今ここにもいなかった」と宮下(右)は河本監督への感謝を述べた(筆者撮影)
「監督がいなければセッターになることもなく、今ここにもいなかった」と宮下(右)は河本監督への感謝を述べた(筆者撮影)

「チームにとって大事な、偉大な選手」

 両選手と共に登壇した河本昭義監督も、長年チームに在籍しただけでなく、主将、副将として岡山シーガルズの象徴でもあった2人を「彼女たちのことなら1時間以上しゃべれるのではないか」と笑みを携え、手放しで称えた。

「遥は自分に厳しく貫くような、突き通すような集中力があります。川島はそれとは違う色のややぎこちなさをどこかに持ちながら、だけど自分を信じて自分ができることを貫く強さがあった。チームにとって大事な、偉大な選手でした」

 奇しくも引退会見の日は、パリ五輪出場を目指す女子バレー日本代表が、フルセットの末に世界ランク1位のトルコに勝利した日でもある。同じ日に、かつて日本代表でもプレーし、多くのファンに愛された2人は、最後まで笑顔で引退会見を終えた。

 まだできるのではないか、ではなく、よくやった、と心からの拍手を浴び、満面の笑みを携えて。それぞれの道へと歩み出していく。

(筆者撮影)
(筆者撮影)

スポーツライター、フリーライター

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、月刊トレーニングジャーナル編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に「高校バレーは頭脳が9割」(日本文化出版)。共著に「海と、がれきと、ボールと、絆」(講談社)、「青春サプリ」(ポプラ社)。「SAORI」(日本文化出版)、「夢を泳ぐ」(徳間書店)、「絆があれば何度でもやり直せる」(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した「当たり前の積み重ねが本物になる」(カンゼン)などで構成を担当。

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