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台風6号が沖縄接近 168年前には西北西進したペリー台風が那覇のすぐ南を通過

饒村曜気象予報士
沖縄に向かう台風6号の雲と南シナ海の熱帯低気圧の雲(7月19日5時20分)

ペリーが那覇へ

 日本の開国に大きな役割をした、マシュー・ペリー提督がアメリカ大統領フィルモアの親書をもってアメリカのノーフォークを出発したのは、1852年11月(嘉永5年)のことです。

 そして、ペリーは1853年5月26日(嘉永6年4月19日)に琉球王国の那覇港に来航、首里城を訪問しています。

 その後、ペリーは、6月9日(5月3日)から6月18日(5月12日)まで、小笠原諸島を探索しています。

 そして、7月2日(5月26日)に軍艦4隻を率いて浦賀に向けて出航しています。

 これが、ペリーの最初の日本訪問で、江戸幕府に衝撃を与えています。

 大統領の親書を江戸幕府に渡したペリーは、7月25日(6月20日)に再び那覇に戻っています。

 この間、ペリーは毎日の風向と気圧、海水温や海流等の観測を行い、それらを気象学者のウイリアム・レッドフィールドに渡し、解析を依頼しています。

 こうしてできたのが、ペリー提督への報告書簡「西太平洋のサイクロン(台風の意味)に関する観測」です。

 日本が開国するかどうかで右往左往している時、ペリーをはじめ、各国は着々と日本周辺の調査を進めていたのです。

ペリー台風

 「西太平洋のサイクロンに関する観測」の中に、7月中旬に江戸をたって那覇に向かっていたペリー提督が遭遇した台風の概要が書かれており、この台風を「ペリー台風」と名付けています。

 今から168年前のことです。

 那覇に停泊していたアメリカの補給船の最低気圧976ヘクトパスカルなどという観測から、7月21日から7月22日にかけてゆっくり西北西進をし、那覇の南約150キロを台風が通過したと考えられています(図1)。

図1 ペリー台風の経路
図1 ペリー台風の経路

 ペリー台風の時代は、気圧計の観測で、気圧が急降下することから台風の接近を知り、体感での風向観測から台風のいる方向を知るのがやっとでした。

 このため、台風が襲来すると大きな被害が発生していました。

 今は、5日先までの台風予報が行われ、近年は予測精度が向上していますので、かなり前から防災活動ができます。

 また、気象衛星で現在位置は確実にわかっていますので、日本の南海上から日本付近にやって来る台風は、まれに外れることがあっても、防災活動をする時間は十分あります。

台風6号の進路予報

 沖縄県の南大東島付近にある台風6号は、次第に発達しながら西進し、沖縄本島の南海上を通過する可能性が高くなっています(図2)。

図2 台風6号と発達中の熱帯低気圧に関する進路予報と気象衛星画像(7月19日9時)
図2 台風6号と発達中の熱帯低気圧に関する進路予報と気象衛星画像(7月19日9時)

台風6号の進路予報につきましては、最新のものをお使いください

 このため、沖縄本島南部では、21日未明から、宮古島では、21日昼過ぎから暴風域に入る確率が15パーセントを超えます(図3)。

図3 沖縄本島南部と宮古島が暴風域に入る確率
図3 沖縄本島南部と宮古島が暴風域に入る確率

 台風6号の進路は、その北側にある太平洋高気圧の動向に左右され、予報円は非常に大きなものとなっています。

 加えて、南シナ海の熱帯低気圧が今後24時間以内に台風に発達する見込みで、もし台風となれば、台風6号と相互作用をおこして進路が複雑になるかもしれません。

 最新の気象情報を入手し、警戒してください。

【追記(7月19日15時)】

 南シ海の熱帯低気圧は、7月19日9時に台風7号となりました。

タイトル画像、図2の出典:ウェザーマップ提供。

図1の出典:「沖縄気象台(1992年(平成4年))、沖縄気象百年史資料編」をもとに筆者作成。

図3の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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