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アジアカップ、日本は浮かれて負けたのか?大迫の存在意義と足りなかったピース

小宮良之スポーツライター・小説家
アジアカップ準決勝、イラン戦で先制点を決めた大迫勇也(写真:ロイター/アフロ)

 今回のアジアカップは好むと好まざるとにかかわらず、FW大迫勇也の存在が浮き彫りになった。

「決定力不足」

 森保一監督も認めたように、大迫不在の試合は得点機会を作りながらも、仕留め切れていない。大迫が先発から外れた5試合中、1-0が3試合。それも、得点はPKが2点、CKが1点だった。

 大迫が出場したトルクメニスタン、イラン戦で合計4得点している事実を持ち出すまでなく、前線の決定力不足は明らかだったと言える。

 しかし、大迫が欠かせない理由は別にあったのだ。

日本は批判されるようなプレーだったのか

 日本は準決勝でイランに3-0で勝利するまで、その戦い方が批判を浴びている。「守備的すぎる」。「格下に複数得点ができない」。「受け身の戦いで、正々堂々としていない」。そんなところだろうか。

 しかし、日本が極端に守備的だったわけではない。数多くチャンスを作った試合もあった。守りに入りながらもカウンターを仕掛ける、それも戦術の一つの正解だった。

 決定力の問題は抱えていたが、「FIFAランキングで“格下”と言える相手ばかりだったからこそ、得点は難しくなった」とも言える。どんなチームであれ、守りを固められた場合、崩しきるのは骨が折れる。それは日本だけの話ではない。ブラジル、スペイン、ドイツなど世界の強豪国でも、同じことである。

 率直に言って、日本はスペクタクルと創造性に溢れるサッカーをしていたわけではない。しかし、例えばラウンド16のサウジアラビア戦などリトリートして作ったブロックは堅牢だった。繰り返すが、それは一つの戦術で卑怯な手ではない。

 では、なぜ不満感が高まったのか?

格下に5-0で勝てないなら、強い相手に勝てるはずはないのか?

 準々決勝までの森保JAPANは、守備そのものは機能していたものの、攻守のバランスが悪くなる時間帯はあった。守備を固めた相手に対し、無理に手数をかけて攻め懸かることで、罠にかかったようにカウンターを浴びる。その悪癖は出た。

 日本が後手に回っていたように映って、印象は悪かった。

 もっとも、サウジ戦を除いたら、他の試合は攻めていた時間のほうが長い。ボールを運び、ゴール前に迫っている。スコアが動かないことに、見る側がストレスを感じた、というのが大きいだろう。

「格下に5-0で勝てないなら、強い相手に勝てるはずはない」

 なんの確証もない批判が、未だに罷り通るのが、根深い問題だろう。

 試合には、それぞれ難しさがある。完全に引いた相手、高い攻撃力で挑み懸かってくる相手、どちらも簡単ではない。

 苦戦が予想された強豪イラン戦は、相手が四つに組んできてくれた。そのおかげで、日本のチャンスも生まれやすく、3-0での勝利に終わった。何もイラン戦で劇的にプレーが改善したわけではない。

 しかし、想定以上に賞賛が巻き起こってしまった。

 では、日本はそれに浮かれて決勝、カタール戦に敗れたのか?

 その答えを導くヒントは、準々決勝のベトナム戦にある。

大迫が流れを変えた

 ベトナム戦、日本は5-4-1で堅守カウンターに舵を切ったベトナムの粘りに、かなり攻めあぐねている。堂安律のPKで先制したものの、決定機の数は変わらないほどだった。ボールを持っていても、攻め切れていない。結果、チームとして前がかりになった隙を突かれ、カウンターで危機を迎えていた。

 しかし後半27分、大迫が交代で出場してとき、潮目は変わった。

 一転して、日本の攻守のバランスは改善された。大迫が巧みなポストワークでボールをキープし、味方に時間、空間を与える。周りは自由に動き出すようになった。攻撃が流れだし、守備までが落ち着きを取り戻した。そして試合を勝利でクローズしたのだ。

大迫とベンゼマ

 攻守を優位にする前線のプレーメーカーとして、大迫は欠かすことができない。

 これはどんなレベルでも、同じことが当てはまる。

「ベンゼマはたとえ得点できなくても、チームに欠かせない」

 レアル・マドリーを欧州三連覇に導いたジネディーヌ・ジダンはそう断言している。フランス代表FWカリム・ベンゼマは得点力不足を批判されていたが(2018-19シーズン、リーグ戦はわずか5得点)、ジダン監督がベンチに下げることはなかった。なぜなら、ベンゼマが味方を前線で動かし、攻撃を司ることで、守備も好転させていることを、名将は心得ていたからだ。

 大迫はベンゼマと同じく、前線で起点を作った。おかげで”全軍が弾を込め、体勢を立て直す”時間、空間を与えられた。

 では、その大迫が先発出場した決勝で、なぜ日本は一敗地にまみれたのか?

もう一つ必要だったピース

 カタール戦、日本は攻守の両輪が噛み合っていなかった。単純な話である。中盤でバランスを取っていたMF、遠藤航が不在だったのが響いていたのだ。

 遠藤は長谷部誠がやっていたように、FWとDFのラインを結びつけるようなポジションを取り、ボールを配球できる。ポジショニングに優れ、判断が迅速で正しく、周りの選手のプレーを簡単にし、“プレーの補修”ができる。局面でボールを奪ったりするだけでなく、チーム全体を動かせる。

 トルクメニスタン戦もそうだったが、遠藤が不在の試合、森保JAPANは攻守がノッキングし、リズムを生み出せていない。

 大迫は健闘していたが、もう一つのピースが足りなかった。大迫と遠藤は森保JAPANにおける「心肺」のようなもの。どちらも欠かせない存在なのだ(これについては大会前のコラムで詳しく書いているhttps://news.yahoo.co.jp/byline/komiyayoshiyuki/20181116-00101287/)。

決勝戦、日本は負けるべくした負けた

 カタール戦の前半、日本は5-3-2という守備布陣を組んだ相手に対し、確率の低い中央からの攻めに固執した。トルクメニスタン戦もそうだったが、攻撃への比重が高すぎ、守備に綻びも出ていた。前半12,27分と、いずれも中盤のラインを簡単に突破されての連続失点だった。

 このツケは大きく響いた。

 後半は大迫を中心に攻め、リスクをかけた攻撃によって、1点は返している。カタールは足が止まって、日本は一気呵成だった。しかし再びカウンターを浴び、それがCKからのハンド→PKにつながっている。

 アジアカップ、森保JAPANは教訓を得た。

 大迫の存在価値が浮き彫りになった。同時に、遠藤の役割の大きさも出た。二人がいない戦術バリエーションを増やすか――。単純に二人のバックアッパーが必要になるはずだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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