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映画『インフォーマント!』が描いた実在する理解不可能な変人

松谷創一郎ジャーナリスト

[この記事は、2009年に書いた筆者のブログエントリをもとにしています]

実際の国際価格カルテル事件

唐突なようだが、5年前に公開された映画のことを書く。

『トラフィック』や『オーシャンズ11』などで知られるスティーヴン・ソダーバーグ監督の『インフォーマント!』という作品だ。マット・デイモンとソダーバーグの『オーシャンズ11』コンビで、ハリウッドメジャーのワーナー・ブラザースの作品だが、日本では小規模で公開されたのでほとんど目立たなかった。

その内容は、1990年代に実際起きた事件をもとにしたブラックコメディである。それは、アミノ酸のリジンという飼料添加物をめぐる大手企業のカルテル(価格協定)だった。しかもこの事件には、日本の味の素と協和発酵も関与しており、映画にも日本のシーンが出てくる(他はアメリカの2社、韓国の1社)。映画化されるくらいだから、もちろんこの事件は発覚し、アメリカだけでなくEUなどでもカルテルに関与していた企業は多額の罰金を支払った。

ただ、『インフォーマント!』は映画の中心にこの事件を置いているわけではない。それよりも、タイトルの「インフォーマント」が「内部告発者」を意味するように、この一件を告発した人物にスポットをあて、彼の視点で映画が進んでいく。

自己保身のためのウソ

この内部告発者は、このカルテルに参加していたアメリカの企業・ADMの重役だったマーク・ウィテカー(マット・デイモン)という人物だ。彼はコーネル大学を卒業し、栄養生化学で博士号も持つ秀才だった。30代前半で関連会社の社長になるなど、ビジネスの才もあった。この事件までは、順風満帆の人生を送っていたのだ。

そんなある日、リジンを作る工場でウィルスが発生してしまう。すると彼は、それが日本の味の素社の仕業で、さらに恐喝されていると会社に説明する。これらはもちろんウソである。彼は自分に責任が及ばないために、ウソをでっち上げたのだった。

しかし、ADM社は慌ててFBIに通報する。すると今度は、やってきたFBIの捜査官に対し、ウィテカーはADM社が競合他社と価格カルテルを結んでいると告発する。そしてウィテカーはFBIの内通者(インフォーマント)となる。

ネットの炎上劇に似た展開

中盤までのこうした流れを見ていると、ウィテカーがいったいなにをしたいのかさっぱりわからない。それらはウィテカーの視点で語られてはいるのだが、彼は目の前で起きていることとはまったく関係ないことを考えたり、挙句の果てには「私は0014」(007の倍)などと言ったりもする。楽観的なのか現実逃避をしているのかわからないが、自分の置かれている深刻な事態をどうも理解していないようなのである。さらに、日本やハワイなどで、カルテルを結ぶ現場をFBIに録画させたりするのだが、現場ではノリノリなのである(後にこの映像は実際に公開され、大きな注目浴びた)。

映画の後半、結局この事件がウィテカーのウソが雪だるま式に膨れ上がっていく顛末だということがわかる。彼は自己保身しか考えておらず、ウソをついて取り繕うとする。しかし、このとき彼には中長期的な視野が完全に欠落している。ウソは常に場当たり的で、それをごまかすためにさらにウソを重ねて、周囲を巻き込みながら雪だるま式に事態は大騒動になっていく。あまりにもお粗末である。

この事件は90年代前半から起きたことだが、こうしたウィテカーの一連の言動による事態の悪化は、ネットでの炎上劇を連想させる。自身に決定的な非のある人物が保身を考えて適当なウソをつき、さらにそのウソがばれて批判されたり、べつの騒動に飛び火したりする。しかし本人は事態がどんどん悪化しているにもかかわらず、さらにウソをつき続ける。

こうした炎上劇において、その人物のパーソナリティ(性格)が必ずしも見えてくるとはかぎらない。しかし、それを本人の視点で描いたのがこの『インフォーマント!』という映画なのである。この点において、とても珍しい映画ではある。主役=変人なのだから。

とは言え、この映画を見るとウィテカーがどういう性格かわかるかというと、実はそうでもない。最後までも観ても、なぜ彼がこんなにめちゃくちゃなことをしたのかはわからない。近いのはサイコパス視点の映画かもしれない。『ヘンリー』や『キラー・インサイド・ミー』、あるいは日本の『悪の教典』などだ。これらは凶悪な事件を起こすサイコパスの内面も描かれるが、それが説得的に感じられることはない。しかしこれらとも違うのは、ウィテカーは大量殺人や猟奇殺人を起こすわけではなく、ひたすら場当たり的なのである。

昨今の日本で起きている複数の出来事を見ているとき、私はこの『インフォーマント!』のことを思い出さずにはいられなかった。「なぜそんなことをしたのか?」というわれわれの素朴な疑問に対し、この映画は明確な回答を出すことはしない。あまりにも不可解な行動の人物から感じるのは、その動機の不明瞭さと杜撰さから生じる強烈な不気味さである。

存在する理解不可能な変人

社会科学において、「動機」はとても重視される。たとえば法律では、殺人罪と障害致死罪が明確に区分される。「殺す」という動機(殺意)が認められれば殺人罪として扱われるが、たとえば殺意がないまま相手を殴り続けて死んだ場合は、傷害致死となる。

こうした動機の有無は、社会学では「行為」と「行動」という表現として区分される。「動機がある行動」を社会科学では「行為」と呼ぶことが一般的だ。「行動」とは、この動機を問わない(「動機がない」ということではない)ケースで用いられる。

しかしこの映画や昨今の出来事から感じるのは、こうした「動機」の取り扱いが非常に難しい時代になっているということだ。明確な動機を持たず、目先のことしか考えずに行動してしまう存在はいる。しかも、中にはこのウィテカーのように十分な業績と才能を持った人もいる。極端な例では、ビリー・ミリガンのような多重人格もいる(が、これはこれでわかりやすいか)。

一方、それと同時に彼らに感じる「不気味さ」とは、いかにわれわれが個々人のパーソナリティ(とそれにともなう動機)に説得力を感じてしまうかということを逆照する。ときに過度な人格崇拝が業績などの客観的な判断を狂わせ、状況を悪化させることもままある(日本はこの弊害が大きい)。さらには、納得できるわかりやすい物語を欲しがってしまうがあまり、吊るしあげて「動機」なるものを引き出そうとしたりする。しかし、世の中にはこうしたわれわれの安心感を満たしてくれる人物ばかり存在しているわけではない。この映画が教えてくれるのは、世の中には理解不可能な変人がいるということだ。

最後に、マーク・ウィテカー本人(現在は他社の重役)は、この『インフォーマント!』のマット・デイモン演じる自分自身の姿を見て、このような感想を漏らしている。

「彼は、本当にどういう人間かわからないよね。だって、僕自身もよくわからないんだから(笑)」

知らんがな(´・ω・`)。

・関連

塩田宏之「FBIが隠し撮り──暴かれた味の素/協和発酵らの謀議」『nikkei BPnet』(2000年)

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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