「のびのびした子」に育てる裏技←元祖「心理学者」が示唆
子どもに勉強してもらいたいのに子は部活ばっかりやっている。子どもに医者になってもらいたいのに子は勉強に対するやる気がまったくなく、模試の結果は惨憺たるものだ……。などと頭を抱え、ブツブツ言う親がいます。
他方で、親という漢字そのものを体現している親もいます。すなわち「木の上に立ってわが子を見る」ことに徹する親もいます。
さて、どのように子育てをすればのびのびした子に育つのでしょうか?
今回は心理学の開祖であるキルケゴールが書き残した日記や主著『死に至る病』などを参考にお話しましょう。
「永遠」と呼ばれる心の領域がある
キルケゴールは、私たちの心には「永遠」と呼ばれる領域があるといいます。永遠とは簡単に言えば、論理的に言葉で説明できない気持ちであり、本人もなぜそういった気持ちを抱いたのかを十分に説明できない気持ちのことです。
たとえば、中学に入ったら吹奏楽部の活動に夢中になった子に「なぜお前はそんなに吹奏楽に夢中なのか」と尋ねても、究極的にはこれといった答えを子は言わないはずです。「なんとなく先輩に誘われて吹奏楽部に入っただけだし」「じゃんけんで負けたからホルンを吹いてるけど、そのなにがいいのか自分でもよくわからない。でもなんか楽しいんだよね」というのがおそらく、子どもが発する精一杯の答えでしょう。
性格は隔世遺伝
このことをある精神分析家の思想に依拠して解釈するなら、「性格は隔世遺伝だから」と言えるでしょう。もちろん性格は生物学ではないので遺伝という言葉で表すことはできないのですが、わかりやすく言えば隔世遺伝。すなわち祖父母の性質を私たちは受け継いでいます。
とすれば、吹奏楽に夢中になる子の祖父母は音楽好きだった可能性があります。あるいは、吹奏楽という音楽はどこかしら神がかったものを内包することもありますから、 4人いる祖父母のうちの誰かが、崇高なものにひかれがちな性格だったのかもしれません。
ちなみに、親子関係は凸凹関係です。オセロに例えるなら、親が黒であれば子は白。その子が子を産めば「黒」が生まれてくるという具合です。
だから、親は「勉強しろ」と言い、子は「勉強なんかしない。部活する」と言うのです。
わが子をのびのびした子に育てる秘訣
私たちはみな、「本当はこうしたい。本当はこう生きたい」という気持ちを抱いています。それは「こうすべき」という気持ちと正反対の気持ちです。「こうすべき」という思いは言葉で説明可能です。「勉強していい大学に行くべき。なぜなら〇〇だからだ」「野球部員は髪の毛なんか気にすべきではない。なぜなら△△だからだ。だから坊主にしろ」など、因果関係をあきらかにして語れます。
他方、「本当はこうしたい。本当はこう生きたい」という気持ちは、その気持ちを抱く本人すらその発生原因がわかりません。気づいたら吹奏楽にハマっていた。気づいたらマーラーの交響曲2番「復活」の神がかった演奏に酔いしれる自分がいた。なぜかはわからないのだけれど……。
わが子をのびのびと育てようと思えば、子どもの心に宿る永遠、すなわち「本当はこうしたい。本当はこう生きたい」という気持ちを否定してはいけません。
親自身が折り合いをつける必要がある
子の永遠を否定しない親になろうと思えば、親自身が自分の永遠をよく知る必要があります。
たとえば、本当は小説家として食っていきたいのだけれど、文学賞に応募してもかすりもしなかったので仕方なくサラリーマンをやっているという人は、自分の心に宿る永遠に蓋をして、すなわち我慢して、サラリーマンをしています。その必然の結果として、子どもにもそのような生きざまを押しつけがちです。
そういう親は、自分の永遠と現実の折り合いをつける必要があります。そのためには、蓋をしてしまった気持ちをいま一度、日の当たる場所に引きずり出し、「それが何なのか」を知る必要があります。「それが何なのか」というのは、「それはじつは何を意味しているのか」ということです。あなたが蓋をした夢は、じつは何を意味している? 何の象徴?
というわけで、わが子をのびのびした子に育てようと思えば、子どもの永遠を否定しないこと。また、親自身が自分の永遠と現実との折り合いをつけること。この2つのことが重要です。私はキルケゴール哲学に端を発する「おちこぼれの哲学」をそのように解釈しています。