Yahoo!ニュース

悠仁さま成人をきっかけに再確認する皇位や皇族へのモヤモヤが生じる奈辺

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
移ろいゆく菊への思い(写真:イメージマート)

 悠仁さまが9月6日の誕生日をもって成人となられます。同時に高校3年生でもあって、「東大へ推薦入学するのでは」といった進路に関する憶測もかまびすしく、なかには「皇室特権」「特別扱い」と疑問視する向きも。

 はて? 日本国民はそもそも皇族という「世襲に基づく高い身分」および、それに附随する特権を認めています。特権階級が特権を行使したとして何がおかしいのでしょうか。とはいえ一部を苛立たせている以上、そこに何らかの合理性もあるはずです。改めて皇族が有する特権を確認しつつ、モヤモヤが奈辺から生じるのか考察してみます。

成人すれば「大勲位」

 悠仁は民法改正に基づく男性皇族初の18歳成年。ちなみに皇太子(天皇の男子)の場合は民法にかかわらず皇室典範の規定で18歳成年です。

 宮内庁によると悠仁さまの「成年式」は本来の9月6日でなく高校卒業以降の「適切な時期」に行うとします。その時に授与される勲章が大勲位菊花大綬章。最高位の大勲位菊花章頸飾は儀礼的な外国元首などへの贈与を除くと現憲法下では天皇陛下のみなので、存命中に授与される勲等としては事実上のトップです。

 近年、存命中にこの大勲位菊花大綬章を受けた皇族以外の人物として著名なのが中曽根康弘元首相。現役の国会議員ながら1997年に受章しました。中曽根氏は101歳没(2019年)と長命で、「大勲位」は氏の半ば憧れ、半ば揶揄的な響きも含むあだ名として用いられていったのです。言い換えるとそれぐらい「偉い人」を意味します。それを悠仁さまは18歳にして授与される権利を得るのです。

皇族費は年換算で915万円

 成年になると同時に皇室経済法が「皇族としての品位保持の資に充てるため」支払われる皇族費も増えます。悠仁さまが該当する「独立の生計を営まない親王」は年換算して915万円。所得税と住民税は課されないし、社会保険には加入していない(≒できない)から金額は手取りとみなしていい。これを雇用者の賃金で置き換えると年収(額面)約1300万円に相当します。

 秋篠宮ご一家が住まう赤坂御用地(東京都港区)の所有者は国(皇室財産)で無償で供されています。所有していないから固定資産税の範ちゅうになく、賃貸とみなしたらタダといってもいいでしょう。

 天皇だけは憲法で「国事に関する行為を行ふ」義務が生じるものの皇族には「○○をしなければならない」といった意味での義務はありません。明治憲法下では男性皇族は陸海軍の武官(軍人)になる決まりがありましたが戦後消滅。まあ軍自体が廃されたので当然といえば当然ですけど。

ただし皇族すべてに当てはめられる

 つまり悠仁さまは18歳に達するだけで勲等トップ級の「大勲位」に叙せられ、手取り915万円が毎年支払われます。だからといって「しなければならない何か」は別にないのです。

 ただしこうした規定は悠仁さまだけでなく戦後の皇族すべてに当てはめられてきました。象徴天皇制(憲法1条に定められたありよう)自体を否定する論者など一部を除いて、こうした特権がやり玉に挙がった大きな動きはなかったし、今でも悠仁さまを別してその点を批判する声が高いわけでもありません。

天皇になる人生のみを課せられる辛さ

 反対に、一般の国民にはあって(概念も含む)悠仁さまにはない権利も。まず悠仁さまが仮に「皇族なんて辞めたい」と願っても三権の長などで構成する皇室会議が認めない限りできません。

 三笠宮家の寛仁さまが1982年、熱心に行ってきた障害者福祉支援に専念したいという理由で「皇族の身分を離れたい」と宮内庁に申し出て大騒動になった際は昭和天皇を含む周囲が懸命に説得して自ら撤回した前例があります。皇室会議の手前で阻止されたのです。結婚も皇室会議の承認が必要で「両性の合意のみ」とはいきません。要するに特権階級(身分)ゆえの強固な縛りに甘受しなくてはいけないのです。

 何より皇位継承順が父の秋篠宮さまに次ぐ2位で、秋篠宮さまが今上天皇の弟で5つしか違わないのを勘案すると「唯一の次世代の皇位継承者」となります。天皇になる人生のみを課せられる辛さはいかほどでしょうか。しかも皇室典範が改正されない限り実質的に「順調に成長し、三権の長が認めるお相手を見つけて結婚し、最低限1人の男子を授からなければならない」という義務を課されています。

高校生の進路という微妙なテーマへの批判は気の毒

 そう考えると真偽は別にして推薦であれ何であれ、ご本人が東大に進学なされたければ別に認めていいのではないかとも思えます。特別扱いだとか不公平だといっても、そもそも特別な方なのだし、離脱もかなわないわけで。「大勲位」からの志願理由に「将来、天皇になるにあたって貴校の学びが不可欠である」と書かれたとして、いったいどこの大学がダメ出しできるのやら。

 それ以前に、いくら皇位継承者とはいえ高校生の進路という微妙なテーマについて何も発表されていないのに「東大進学なんてズルい」的な批判を浴びせるのは気の毒です。東大推薦を狙っていたとしても進学がほぼ確約される指定校推薦でなく、選考がなされる(=落ちる可能性も大いにある)学校推薦型選抜だから、衆人環視の元で受験に挑まれるのは酷ではないでしょうか。

封建的論理では本家の子こそ家督を相続すべき

 にもかかわらず悠仁さまの進路にああだこうだと議論百出するのは、やはり愛子さまの存在が大きいはずです。お二人の意思に関わらないという点では大変にお気の毒。ありていに申せば背景に「次代の天皇は愛子さまがふさわしい」との思いです。

 「世襲に基づく高い身分」の封建的論理でいえば、本家(天皇ご一家)こそ家督を相続すべきとの思想。現天皇の直接の祖にあたる119 代光格天皇から126代の今上天皇まで踏襲してきました。皇室典範が継承者を男系男子に限るため、愛子さまが除外されているとはいえ、典範は同時に第2条で直系重視で順を定めているのです。対して悠仁さまは現状、分家(秋篠宮家)の跡継ぎに過ぎません。

 この条文(2条)を仮に男系男子から「男系の子」へ広げてみると序列1位の「皇長子」が愛子さまで2位から5位まで不在。6位の「皇兄弟及びその子孫」でやっと秋篠宮さまと悠仁さまが該当するのです。しかも佳子さまが悠仁さまの上位。古い価値観とはいえ、何しろその価値観を皇室に関しては認めているのだから疎かにできません。

 かなりの方が上記のような理由で「愛子天皇こそ本来はふさわしい」と望み、その方が皇族の学校と広く認知されている学習院を出られたのに悠仁さまは……という文脈が見え隠れするのです。

06年に決まりかけた次代の「愛子天皇」

 しかも将来の「愛子天皇」は2006年に決まりかけていました。前年の「男系の子」を認める「皇室典範有識者会議の報告書」を受けて当時の小泉純一郎首相が皇室典範改正案を06年1月から始まった通常国会へ提出すると施政方針演説で明言。成立すれば皇太子(今上天皇)の次が愛子さまとなったのです。

 ところが翌月、秋篠宮妃紀子さま懐妊の兆しが伝わると報告書の「早晩、皇位継承資格者が不在となるおそれ」という「問題の所在」自体が変質したのもあって提出見送り。そして9月に男子(悠仁さま)誕生となって「よかった。よかった」とばかりに立ち消えとなって今に至りました。

 当時の小泉首相は05年9月の郵政選挙で圧勝し、かつ06年9月の総裁任期満了で辞めると公言していたので無敵状態。ご懐妊、ないしは男子出産がなかったら十中八九通っていた法案でした。

 なおこの改正案における主要な反対論は女系天皇へ道を開くという懸念で、女子とはいえ男系である愛子さまの皇位継承自体は保守派もおおむね賛同していたのです。男系女子の天皇は過去に8人いらっしゃいましたので。

平成から令和へ移っての変化

 あれから約20年。愛子さまの存在感は一層高まっているようです。誕生時の父(皇太子)は天皇に即位し、母も皇后へ。「ご本家の一人娘」の意味は輝きを放っています。

 他方、秋篠宮さまは皇太子と同格の「皇嗣」になられたものの外形は未だ分家の長のままで悠仁さまの「分家の跡継ぎ」も変化なし。

 この位置取りは意外と厄介です。宮号はあくまで父の文仁親王個人を指し、悠仁さまは跡継ぎゆえ新たな宮号を賜れません。つまり「独立の生計を営む親王」に、いつまで経ってもなれないのです。また平成の天皇が譲位して今上天皇が即位した結果、典範2条の順序も4位の「皇次子及びその子孫」から前述の通り6位へ下落。

 雅子皇后と紀子さまも微妙なところで「差」が生じます。例えば日本赤十字社名誉副総裁にはすべての宮妃が就任します。そして雅子さまが皇后となると総裁へ昇格。紀子さまは当然、副総裁のまま。平成から令和へ移って天皇ご一家と秋篠宮家の位置づけも変化しました。

オギャーと生まれた赤ちゃんに何もかもを背負わせて先送り

 こうなると愛子さまが皇位を継げない現状に改めて焦点が当たって不憫ないしは不合理といった感情が強まり、それが悠仁さまへの厳しめな目線へと変換される感は否めません。

 でも何でも申しますがこうした身分制のロジックを認めているのは主権者国民で、もっといえば愛子さま・悠仁さま自身には何もできないばかりか、状況への意思表示さえ許されていないのです。「愛子さま派」もまた06年の皇室典範改正が悠仁さま誕生の祝賀ムードで雲散霧消した責任を負っているのを忘れてはいけません。オギャーと生まれた赤ちゃんに何もかもを背負わせて先送りしたのです。

寛仁さまに次ぐ「第二の皇室離脱宣言」へ発展しかねない

 もし悠仁さまが現在、あるいは今後こうしたありさまに強い疑念あるいは落胆を覚えて行動したら、寛仁さまに次ぐ「第二の皇室離脱宣言」へ発展しかねないのです。お2人とも宮家の跡継ぎというポジションは同じ。寛仁さまは皇室会議に至る前に翻意されたからよかったものの、断固として離脱を貫いたら多分止められません。皇室典範は皇太子および皇太孫の離脱を許しませんが、悠仁さまは該当しないのです。

 現行法でさえ離脱の道が残っている上に、天皇ですらご本人の意思を尊重して法改正できるという先例が平成の天皇の退位で実証されています。典範の「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」という条文は薨去までの終身在位を事実上規定しているのに、特例法制定などで実現したのです。

 この課題が最終的に国会が解決したのは憲法の天皇の「地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」が根拠で「国民の総意」を「国権の最高機関」たる国会とみなしたから。他方で「国政に関する権能を有しない」天皇が「国政に関する権能」そのものである国会を動かしたのもまた間違いありません。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

坂東太郎の最近の記事