「正社員」は特権階級となり、長時間労働は当たり前。ワーカホリック量産法案の罠
「私は正社員です」
「すっごいすね〜。超エリートですね〜」
と、“正社員”はごくごく一部のエリートたちの身分の証となり、
「え? できなかった? だったら残念だけど辞めてもらうしかないなぁ。契約だもんね」
「いえ!来週までには必ず結果だしますので、もう少しだけお時間ください」
と、長時間労働にあえぐ契約社員たち。
そんな未来の風景が、容易に想像できる“改革”がジワジワと進められている。
そう。例の「残業代ゼロ法案」である。
「残業代ゼロ制度、年収1075万円以上で調整 政府案」との見出しで、朝日新聞が報じたのは、1月8日。
その報道から一週間も経たない1月14日には、
「裁量労働、一部営業職も 厚労省審、残業代ゼロ拡大検討」と、これまた朝日新聞の一面で報じられた。
で、今朝(16日)の日経新聞の朝刊には、
「労働時間規制の除外 IT技術者も対象」と見出しが……。
まさしくアリの一穴。いかなる制限がつこうとも、一旦法案が通れば、なし崩し的に労働時間規制緩和の対象が一般社員におよぶようになる。
なんせ、昨年の審議会では、「幹部候補」などを対象とするとしており、この案がいずれ採用されれば、年収の問題をどうにかクリアし、課長代理などにも適用されることになるだろう。
ペイ・フォー・パフォーマンスとしながらも、そのパフォーマンスに見合ったペイを算出する能力が企業側にあるかどうかの検討されることもなく、ただただ企業側のいいなりになるしかない。
法案賛成派の人たちは、「海外で勝つためには必要だ!」と言うが、欧米では労働時間規制の適用除外のための具体的ルールが、かなり細かく決められているにも関わらず、だ。
もちろん労働の成果と時間は、必ずしも比例するものではないので、成果で評価される制度があってもいいし、未だに根深く残る、Time macho=「長時間労働を美徳とする社会」を変えるには、時間と賃金の関係をなくすことは、有効な手段の1つになりうるかもしれない。なので、すべてがすべて「反対!」というわけじゃない。
ただ……、なんかこうしっくりこないのですよ。なんというか、ちっともワクワクしないっていうか。「ワクワクしない~」などと稚拙な表現で情けないけれど、これが世界に誇る雇用環境の実現なのか、と。この働き方のどこが、世界に誇れるものなのだろう、と。まったく腑に落ちない。
残業代がなくなれば、一時的に企業の生産性は高まるのは、サルにだってわかる。
だが、働く人が肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、健康で、仕事に満足して、意欲的に働くような状況にならない限り、従業員の生産性は向上しない。
政府案では、「会社にいる時間の上限規制▽勤務の間に一定の休息時間を設けるインターバル規制▽年104日の休日取得規制といった、長時間労働を防ぐいずれかの仕組みを導入することを条件とする。医師の面接指導を義務化することも検討する。」
としているが、残業代だってちゃんと払わず、サービス残業が横行するこの国で、いったいどれだけの企業がこのルールを守るだろうか。
明確な罰則規定をもうけるならまだしも、「義務」という言葉だけでは、すり抜ける術を考える輩はやまほどいる。
だいたい今回の改訂を、世界トップレベルと豪語するなら、「労働者の健康と満足感と、職場の生産性や業績には相互作用があり、互いに強化できる」とする、健康職場(Healthy Work Organization)を目指すべきだ。
アベノミクスが目指す「世界」では、知的な労働者には連続した休暇は不可欠として、週休とは異なる連続休暇を労働者の権利とする試みは、20世紀の初めから存在している。
有名なのは、フランスのバカンス法(正式名称:マティニョン法)だ。私なんぞ、毎年夏になると、「あ~、ここがフランスだったらいいのに……」などとマジに思う。
なんせ、バカンス法では、年間5週間の有給休暇を取得する権利が、労働者に与えられている。「5週間も休める……」。そう考えるだけで、ワクワクする。おそらく春頃から、バカンスへのカウントダウンが始まり、「よっし、あと3カ月。がんばって働くぞ!」なんて気分になるに違いない。
しかも、労働者の連続休暇取得を、雇用主の責任としているため、「取りづらくてとれない」なんて事態は起こらない。
雇用主には、毎年3月1日までに従業員代表に対し、有給休暇取得計画のガイドラインを報告する義務があり、万が一、取得できなかった場合は、退職時に「有給休暇手当」として支払う義務がある。また、労働者の都合で取れなかった場合には、「休暇積立口座制度」に積み立てることができる。
※「休暇積立口座制度」とは、年間最大で22日の有給休暇を積み立てることができ、原則2カ月以上の休暇取得の際に(サバティカル休暇)、給与補償として充てることができる制度。
徹底的に、連続した休暇を取らせる制度を、国が作る。そういう常識の上に、ホワイトカラーエグゼンプションが存在しているのである。
欧米諸国の中でも、比較的労働時間の長い米国でも、長期休暇は当たり前だ。私が子どもの頃、米国にいた時には、それサンクスギビングだ、それクリスマスだ、と、家族で車で1週間ほどの旅行に出るなんて、日常茶飯事だった。子どもたちの3カ月間の夏休みのうち、少なくとも2週間は父親も休んでいたように記憶している。
「世界トップの雇用環境の実現」と豪語するのであれば、連続休暇も世界並にしてもいいと思うのだが、残念なことに、今回の法案には、インターバルの文字はあっても、「連続休息」の文字は1つもない。
法案推進派の人たちは、
「働く時間と賃金を切り離せば、働く個人が自由に働く時間と休みを決めやすくなり、連続休暇だってとれるようになる」
と、いとも簡単に言うけれど、その逆もあることを決して忘れてはならない。
三度の飯より仕事が好きで、仕事を遅くまでやることに生きがいを感じ、仕事への満足感が異常に高い、“ワーカホリック”が量産されるリスクもはらんでいるのだ。
東京大学社会科学研究所が日本版総合的社会調査(JGSS)2000年~2003年の合併データを分析した結果、ワーカホリックと思われる人が調査対象者の16.2%(555人)もいて、特に、中小企業に多かったことがわかっている。
なぜ、中小企業に?
「大企業に比べ、残業規制が緩いこと」――。これが原因ではないか、と考えられているのである。
また、管理職あるいは専門・技術職で、高収入、かつ高学歴といった人が、ワーカホリックになりやすいことが、欧米の調査では示されている。
最近では新エリート層と呼ばれる“コスモクラット”(米国でMBAを取得し、自国語より英語で話し、自国民より海外の同じ階層の人と交流がある人々)と、ワーカホリックの属性が似ているとの調査結果もある。
コスモクラットは、格差社会を拡大させ、長時間労働の増加をもたらし、社会的連帯が衰退することを辞さない“新自由主義的政策”の推進者とされる階層の人々のこと。
「自分は長時間労働が苦にならないし、多少しんどくても頑張って働いている。だから、たくさんおカネをもらえて当たり前。頑張ってもいない人は、賃金が低かろうと文句を言うべきじゃない」
「もっと稼ぎたかったら、自分たちのように働くべきだ。そんな楽をしている人たちのために、何で自分たちが働いて稼いだおカネを回さなくちゃいけないんだ」
コスモクラットやワーカホリックたちは、こんな言い草で、部下たちを厳しく評価する。
ワーカホリック、コスモクラット……、そんな人たちが、企業のマネジメント層を牛耳るようになったとき、労働者に求められる「成果」は、果てしなく高いものになる。そんなことはないだろうか?
ん? まさか、残業代ゼロ法案のホントの目的は、一億総ワーカホリックが目的だったりして……。いやいや、さすがにこれは思い過ごしだ。うん、考え過ぎだ。
だって、ワーカホリックはその名の通り、中毒症状。アルコール中毒者がアルコールをやめられないように、ワーカホリックも仕事を辞められない、極めて危険な状態なのだ。
時には治療が必要とされる、深刻なワーカホリックの治療には、連続した休暇を義務付け、仕事から遠ざけるしかない。そして、何よりよりも、ワーカホリックはうつ病や過労死との関連が強く、心臓疾患などの心身症状につながる、こわ~い“病気”であることを、どうかお忘れなく。