「つなみ」が国際語になったのはハワイ州を襲ったアラスカ州の地震津波から
ロシア帝国からアメリカ合衆国が買収
北アメリカ大陸の北西端にあるアラスカは、もともとはロシア帝国の領土でしたが、1867年3月30日にアメリカ合衆国はロシア帝国から買収しています。慶応3年、大政奉還が行われた年のできごとです。
買収金額は720万ドル、1平方キロメートルあたり5ドルもしなかったのですが、当時は高い買い物として、担当の国務長官ウィリアム・スワードは愚行と批判されました。
その後、金が発見されるなどアラスカは急発展し、明治45年(1912年)5月11日にアラスカ準州、昭和34年(1959年)1月3日にアメリカ合衆国49番目の州であるアラスカ州となっています。
アラスカ州の地震とハワイの津波
アラスカ州南部には、マッキンリー(標高6190メートル)などの高い山がほぼ東西に連なっており、南東部のアラスカ半島は西へ突き出し、アリューシャン列島につながっています。
アラスカ州南部からアリューシャン列島は、北アメリカプレートと太平洋プレートの境界付近に位置し、海溝型の巨大地震がしばしば発生し、津波が太平洋に広がっています。
津波の伝わる速さは、海の深さで違います。深い海ほど速度が早く、深さが4000メートルの海では秒速200メートル、1000メートルの海では秒速100メートル、10メートルの海では秒速10メートルです。
このため、太平洋に広がったアラスカ州の巨大地震津波は、ハワイ近海に集まってきてハワイを襲います。
太平洋戦争終結の翌年、昭和21年(1946年)4月1日にモーメントマグニチュード8.1の地震がアラスカ準州のアリューシャン列島で発生し、発生した津波がアメリカ合衆国の準州であるハワイを襲っています。ハワイ以外の太平洋沿岸では大きな被害がなかったのですが、ハワイでは死者・行方不明者165名という大きな被害が発生しました。
太平洋津波警報センター
津波被害を受け、アメリカ合衆国は地震警戒システムを作り、この組織が昭和24年(1949年)に「太平洋津波警報センター(Pacific Tsunami Warning Center)」という名称になっています。
ハワイの地政学的重要性を意識したアメリカ合衆国は、明治31年(1898年)にハワイ共和国を併合し、米自治領ハワイ準州としています。
大正13年(1924年)に排日移民法の施行によって日本からの移民は不可能になりましたが、それまでに移民した日本人の数は約21万人と言われています。
このため、ハワイで起きた津波の惨事について、多くの日本人やその子孫が使っていた「つなみ」という言葉が、アメリカ合衆国の組織の名前に使われ、「Tsunami」という単語がアメリカ合衆国において津波を意味する学術用語化しています。そして、その後、国際語化しています。
太平洋津波警報センターができて10年後、昭和34年(1959年)8月21日にハワイ準州は、アメリカ合衆国50番目の州に昇格しています。
太平洋津波警報センターは日本なども協力し、太平洋沿岸各国の津波防災に大きな役割をしています。平成30年(2018年)1月23日にアラスカ湾で発生したマグニチュード7.9の地震に際して、カリフォルニア州からオレゴン州、ワシントン州に加えて、ハワイ州に津波注意報を発表居てしています。
太平洋を挟んで日本とチリ
太平洋を挟んで津波が遠くの対岸に大きな被害を出すことは、アラスカ州とハワイ州だけではありません。日本とチリにもこの関係があります。
図は、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災により海外に伝わった津波です。
アメリカのクレセントシティで2メートル47センチ、チリのアリカで2メートル45センチなどが高い津波の観測ですが、チリで多くの地点で2メートル以上の津波を観測しているのがわかると思います。
日本で巨大地震が発生すると、チリに大きな津波となって伝わります。
逆に、チリで巨大地震が発生すると、日本に大きな津波となって伝わります。
昭和35年(1960年)5月21日に発生したチリ地震による津波は、太平洋を渡って23日、5~6メートルの大きな津波として日本に襲来しました。死者・行方不明者142人、倒壊家屋1599棟等大きな被害が発生しました。
このときの教訓から、遠地地震津波の被害を防ぐため、気象庁はハワイの太平洋津波センターと津波情報を直ちに交換しています。
というのは、チリ地震津波がハワイに達したという情報が気象庁に入らず、不意討ちの津波襲来となったからです。
図の出典:気象庁(平成23年)、海外での津波の観測、地震・火山月報(3月号)。