タバコをやめて欲しい家族がいる
先日、仕事の打ち合わせをしていたら、先方の60代前半とおぼしき男性が「自分はタバコは吸わないし、受動喫煙など吸いたくない人にタバコの煙を吸わせることが悪いのは大前提だが」とまず言ってから「人さまに迷惑をかけないのなら、自己責任でタバコくらい吸わせてやろうよ」と語り始めた。彼は「タバコを規制して喫煙者を追い詰めたら、何か別のこと、たとえば覚醒剤とかギャンブルに移行するだけじゃないか」と主張する。
「上から目線」にカチン
人間というのは、自分の行動を「上から目線」で批判されることを嫌う。いわゆる「パターナリズム」、家父長的温情主義は、役人、教師、医師といった立場からの指導的な介入であることが多い。
悪いことだとわかっていてもやってしまうのが人間なら、それについてトヤカク言われると「何を偉そうに」とカチンとくるのも人間だ。その悪いことが、社会的にも認められていているのにもかかわらず、どこか後ろめたさを伴うならなおさらだろう。ギャンブルしかり、過度の飲酒しかり、喫煙しかりだ。
受動喫煙の害が声高に批判され、喫煙者の肩身は狭い。政府は喫煙の害を唱える一方、タバコの販売を規制しようとはしない。ダブルスタンダードもいいところだし、喫煙者が「そんなに悪いことなら政府はなぜ放置している」と異議を申し立てるのも理解できる。冒頭の意見も、こうした視点からのものだろう。
ところで、日本人でタバコを吸ってもかまわない20歳以上の総人口は約1億人だ。喫煙率はほぼほぼ20%程度になっているから、喫煙者は約2000万人。その中でタバコをやめたい禁煙希望者が約3割、600万人いるようなので、禁煙するかどうか決めかねていたり本数を減らしたりしたい喫煙者も含めたタバコをやめるつもりは当面ない人はざっと約1400万人ということになる(図)。
禁煙希望者は、タバコをやめようと自分で考え、禁煙外来へ行ったり、禁煙本を読んだり、何らかの行動を起こすかもしれない。依存症というのは、自分の行動に疑問を持ち、自らそこから脱しようとするだけでもかなり治療できる可能性がある。
タバコをやめない人たち
問題なのは、自分の依存行動を正当化し、悪いことと知りつつ、その責任を他者へ押しつけ、上から目線の批判にはむしろ強く抵抗し、自分が依存している対象が取り上げられてしまうのではないかと恐れている人たちだろう。そうした人たちはおそらくこの記事を読んではいないし、厚労省や医師の言葉には耳を傾けないのではないだろうか。
仮に、他人にタバコの煙を無理に吸わせるような害をおよぼさず、自分だけ喫煙所で吸っていれば問題ないとしよう。社会には何の害も与えていないし、莫大なタバコ税を払っているのでむしろ社会に貢献している側だ。
疫学だのなんだのと言っても、タバコを吸っている人間の全てが深刻な病気にかかるわけでもない。その確率がちょっと上がる程度だろう。
だが、タバコを吸う人も吸わない人もちょっと考えて欲しい。
役人や医師はいい。でも家族はどう思っているだろうか。子どもも含めて家族全員が喫煙者という家庭は少ないはずだ。女性の喫煙率は10%以下でもある。
先日、自民党の受動喫煙防止対策についての会合で、喫煙者の男性議員が「うちは子どもや孫がたくさんいるが、オレがタバコを吸っていても何も文句を言わない」と発言し、ほかの女性議員が「それは言えないだけだよ」と反駁していたが、亭主関白な家庭ではよくみられる光景なのかもしれない。
30代から50代まで、働き盛りの男性の喫煙率は35%を超えている。彼らの健康について心配しているのは、役人や医師だけではない。むしろ奥さんや子ども、孫などの家族だろう。
禁煙してほしい家族の存在
父母や配偶者、祖父母の健康を家族が心配するのは当然だ。タバコを吸っていることで深刻な病気にかかる確率がちょっとでも上がるなら、家族は父親や祖父にタバコをやめてもらいたいだろう。
だが、家族は禁煙治療の専門家でもなんでもない。「タバコをやめてください」と説教じみたことを言っても、逆に喫煙者は心を閉ざし、反発して「絶対にやめてやるもんか」となる。
ではどうするか。次回からは、タバコをやめるつもりのない家族に対し、どう接すれば禁煙に気持ちが動いてくれるのか、といった禁煙サポートの様々な手法について専門家の話を聞きながら考えていきたい。