SKE48・高柳明音 卒業前に語るアイドル人生11年 「ロケバスでこっそり泣いてたこともありました」
SKE48の中心メンバーとして11年に渡り活躍してきた高柳明音がグループを卒業する。ラストシングルとなる「ソーユートコあるよね?」が発売間近で、3月15日の横浜アリーナでの卒業コンサートも近づいてきた。アイドル人生の総決算の中で思うこと、これから進む女優への道について語ってもらった。
次からCDに私の声は入らないんだなと
――「ソーユートコあるよね?」のレコーディングやMV撮影では「これが最後」という感慨はありました?
高柳 「青空片想い」(2010年発売)からずっと選抜に入れていただいて、自分の声が毎回CDに入っていることは誇りだったので、「次から私の声はないんだ」と思うと、寂しさはありました。でも今回は明るい曲だし、周りも私のラストを意識しているようには感じなかったので、「1人で浸っても」とMVは普通に撮り終えたんです。全部終わって、江籠(裕奈)さんが「お疲れさまでした」と涙を流してくれたとき、初めて「本当に終わるんだ……」と実感しました。
――卒業に関して「自分で『今なのかな』とわかった」と、ラジオの『生まれてこの方』で話してました。
高柳 「これがきっかけ」というものはなくて、6年くらい前から卒業の話は出ていました。アイドルを辞めたいというより、選抜での立ち位置が後ろになったりして、「もうSKE48で私がやれることはないかな」と思ってしまって。でも、NMB48と兼任になったり、「みんなでもう一度、総選挙の上位を目指そう」と話したり、何だかんだで「(2018年の)SKE48の10周年までは」とか延び延びになっていたんです。10周年以降は、自分の中ではラストスパート。去年の初めには「卒業発表をしたい」と伝えました。
――ラジオでは「『やり切った』とは永遠に言えない」とも話してましたが、SKE48に入ったときに持っていたアイドルとしての夢は、ほぼ叶った感じですか?
高柳 アイドルという存在自体がどんどん変化しましたからね。私がモーニング娘。さんに憧れていた頃は、アイドルはテレビの中にいて歌番組に出る日が楽しみとか、生写真を集めて「かわいい」と眺めるだけ。SNSもなくて、モーニング娘。さんはオーディションの映像は流してましたけど、アイドルをやっている姿しか見ていませんでした。でも、私たちは泥臭いところも見せて、「会いに行けるアイドル」として身近に感じてもらうグループ。私のもともとの理想とは違う戦い方になりましたけど、自分の中にあったアイドルとしての信念はブレずに、やり抜いたと思っています。
喜怒哀楽の感情を失ったこともありました
――ラストシングルに収録されるソロ曲「青春の宝石」は、“何度も諦めかけた”とか“逃げ出さないでよかった”とか、歌詞がそのまま自分と重なる感じですか?
高柳 後輩や楽屋が浮かぶところもあれば、辛かったことを誰にも言わずに乗り切ったというのも、確かにその通りでした。SKE48としての悩みはみんなに話しましたけど、個人的なことはほぼ誰にも言わなかったので。それと、“頑張ったねと自分を褒めてあげたい”というのは、卒業の瞬間に思えたらいいなと。今はまだ振り返るより、もうちょっと頑張りたい気持ちが強くて。最後までギアを上げて、走り抜けた一瞬にこう思いたいです。
――作詞の秋元康先生には、選抜総選挙のスピーチで「チームK2に公演をやらせてください」と訴えたことがありましたが、直に話すこともあったんですか?(*K2の2はローマ数字表記)
高柳 ほぼなかったです。私には遠い方だったので。でも、この曲は高柳のことを考えて書いてくれたと聞きましたし、想いを汲み取っていただけたと思います。「キミは原石から宝石になれたよ」というメッセージと受け取って、歌いました。
――詞に出てくる“嬉しかったこと 悔しかったこと”も実際に多々あって?
高柳 それはもう、本当にたくさんありました。「何でこんな気持ちになるんだろう?」とも思ったし、喜怒哀楽がなくなるくらい感情を失ったときもありました。
――それは聞いてもいい話ですか?
高柳 はい。くだらないことです(笑)。バラエティ番組で私の鳥好きをネタに、鳥の丸焼きを出されて号泣したんですよ。ファンの方は大笑いでしたけど、私は当時、伸び悩んでいて、その番組に賭けていた部分があったので「はーっ……」となってしまって。
――他にもいろいろ重なっていた中でのことだったんでしょうね。
高柳 そうだったと思います。あの時期は本当に感情がなくなっていました。あと、私はお芝居がやりたくて頑張ってきたのに、SKE48初のミュージカル『AKB49~恋愛禁止条例~』でノドを潰してしまって。声が完全に出ないし、思うように歌えない。舞台が終わったあとも声帯結節という状態で、治らなかったんです。
――2014年のことでしたね。
高柳 握手会でも息切れしたり、酸欠で頭が回らなかったり。せっかく会いに来てくださったファンの方と満足にやり取りできなくて、嫌な気持ちで帰らせてしまう。「今日は塩だった」とか「テレビで見るのと全然違う」と言われるのは、本当に辛かったです。このノドでは歌えないし、アイドルもできない。本当に諦めかけたんですけど、2年経って意を決して手術したら、良くなって。声が嗄れないし、歌も握手会も大丈夫になりました。でも、声が出なかったから気づいたこともあって、辛い経験もすべてが今に繋がってます。
次世代が推されて頑張り方がわからなくて
――体調のこと以外でも“こっそり泣いたあの部屋”みたいなときはありました?
高柳 ありました。撮影の合間に誰にも気づかれないように、ロケバスで泣いたりしてました。それが最初に卒業を考えた時期です。総選挙でファンの方たちは私を上位に入れてくださったのに、SKE48では次世代の子たちが前に行って、私の立ち位置は12番手くらいまで下がって……。結果を出しても報われない悔しさはありました。
――努力が実を結ばない感じ?
高柳 というより、頑張り方がわからなくなって。どう頑張れば、また認めてもらえるのか?「SKE48の未来を作っていくのは次世代だ」というのもわかるんです。でも、私も5年目くらいで、卒業どころか「まだまだこれから前に行きたい」と思っていたのに、「もう次の世代に」と言われたら、自分は必要とされてないように感じて、葛藤しました。
――その次世代エース候補たちは結局、相次いで先に卒業しました。どんな想いで見送っていましたか?
高柳 単純に「先に行っちゃうの?」って寂しかったのと、「期待していたのに!」という悔しさもありました。私が卒業した後、彼女たちがSKE48のために頑張っていくと、勝手に想像していたので。でも、みんなそれぞれやりたいことへの想いがあって、人生は一度きりだから、「残ってよ」ということはなかったです。
――高柳さんは意識してかわかりませんけど、さっきも出たようにアイドル活動について、「戦い」という言葉を使いますよね。
高柳 人生は戦いですから(笑)。アイドルは憧れていた世界で、夢のような時間ではありましたけど、何をするにも頑張らないといけなくて、自分との戦いでもありました。私はもともと人見知りで、人間関係をすぐ築けないタイプで、誰かに何かをひとつ打ち明けるだけでも、すごく体力も精神力も使うんです。でも、そこで頑張った先にはちゃんと結果が出て、かけがえのない存在になったりもしました。だから、戦いも楽しかったです。戦いのない世界で、上には行けませんから。
――幸せなアイドル人生だったかと思いますが、特に幸せを感じたのはどんなときですか?
高柳 最初はステージに立てて、見てくださるファンの方がいたこと。自分の名前が付いた衣装が増えていくのも嬉しかったし、1曲ごとに自分の声が入っていくこともそう。当たり前に思われることのひとつひとつが、アイドルをやっている証なので。
お芝居で本当に恋愛してないのがバレて(笑)
――アイドルとして、恋愛禁止ルールに息苦しさは感じませんでした?
高柳 まったくなかったです。自分の理想のアイドルは絶対に恋愛はしない。だから、自分がなりたいアイドルになるためには、そこは絶対タブーでした。恋愛をしていたら、たぶん私はアイドルを続けられません。うまくやれる人もきっといると思うんです。でも、私は自分で許せないので、無理でしたね。そのポリシーを崩す気もなくて、恋愛するという脳はなかったです。
――ときめくこともなかったですか?
高柳 そうですね。「恋愛はしない」とフィルターをかけてました。外で舞台に出ると、稽古終わりにみんなでごはんに行って、必ず「アイドルって本当に恋愛してないの?」と聞かれるんです。「私はしてません」と話しても「そんなこと言っちゃって」となるんですけど、お芝居をすると「本当にしてないんだね」ってバレるみたいで(笑)、めちゃくちゃ恥ずかしかったです。
――恋愛のシーンでニュアンスが違っていたり?
高柳 去年やった舞台『+GOLD FISH』で、私の役は婚約者と元カレがいて、三角関係になっていたんです。そこで恋に関する繊細な表現が自然でないというか……。演出家さんにも元カレ役の方にも「恋愛してないって本当だったんだ」と言われました(笑)。
――アイドルとしては誠実かと思いますが、そこは卒業したら経験を積もうと?
高柳 いい恋愛ができたらいいですけど、無理にしたいとは思わないし、何歳までに結婚という願望も全然ありません。卒業しても、できればお芝居を毎日したいし、きれいごとに聞こえるかもしれませんけど、私はアイドルやお仕事に恋をしていたので。そこにすべてをぶつけたい気持ちのほうが強いです。
MVはアイドルの集大成より次への一歩に
――女優志向になったのは、どのくらいの時期からでした?
高柳 SKE48に入って、わりとすぐです。入る前はただ歌を口ずさむのが好きなくらいだったのが、劇場に立つようになって、ひと公演の中で10数曲それぞれの主人公になったつもりで、演じるようにいろいろな表現方法で歌うのが、すごく楽しいと思いました。私はただ歌って踊るのでなく、曲の世界を自分の頭の中で映画のように上映しながら歌うタイプなんです。それで、演じる人になりたいと思いました。
――『プリパラ』とか『ReLIFE』とか、外部の舞台に出演するようにもなりました。
高柳 お芝居の楽しさも厳しさも教えていただきました。役を演じているときは高柳明音のことは考えずに、その役として生きられて、全然違ういろいろな人生を歩めるのが楽しいです。
――卒業を決めた要因には、女優として戦える自信がついたこともありますか?
高柳 年に3本くらい舞台に出てきましたけど、お芝居の経験はまだまだなので、初心で頑張っていきたいと思います。ただ、今まで「明日までに覚えて本番」とか、すごいスケジュールの中で仕事をしてきたので(笑)、「肝は据わっているね」とどこに行っても言われます。
――これまでは舞台中心でしたが、映画やドラマも視野に入れてますか?
高柳 卒業したら舞台も続けつつ、映像に挑戦したいという想いはスタッフさんに伝えました。離れて暮らす家族にわかりやすく頑張りを見てもらえるのはテレビドラマだとも思うので、出られるように頑張っていきたいです。
――自分で好きなドラマや映画はどんな作品ですか?
高柳 わりと偏ってるかもしれません。恋愛モノはあまり観なくて、ミステリーや事件モノが好きです。でも、『おっさんずラブ』にハマったので、複雑な恋愛モノは好きかもしれません。
――「青春の宝石」のMVを手掛けた堤幸彦監督の作品は?
高柳 『TRICK』とか観ていましたし、映画も何作か観ています。あと、繋がりのあるアーティストさんのMVに参加させてもらったことがあって、『SICK'S』にも名古屋弁を話す役で呼んでいただきました。
――今回の撮影で堤監督ならではの演出はありました?
高柳 私は高岡早紀さんが演じる大物女優さんの付き人をしながら、女優の夢を追っている役で、フェイクドキュメンタリーだったんですね。だから、わりと素の状態で撮られて、監督から即興で指示を受けながら、ほぼ自分の感覚でキャラクターに肉付けしました。過去最大にアイドル感ゼロのMVになってます(笑)。
――それは高柳さんの希望もあって?
高柳 アイドルの集大成となるような作品を残すか、次への一歩となるものにするかと考えて、堤監督に撮っていただくと決まったとき、次への一歩のほうを選びました
ライバルの壁を最後に乗り越えたい
――卒業までにしておきたいことはありますか?
高柳 アイドルだからこそできることをひとつでも多くしておきたいので、やっぱりライブですかね。1人で歌うことは今後もあるかもしれませんけど、アイドル衣装を着てメンバーと歌って踊ることは、たぶんもうできないので。あとは『ラムネの飲み方』公演をやって終われたら、本望です。
――選抜総選挙で秋元先生に直訴して、実現した公演ですね。
高柳 あの公演をやらないと、死ねないくらい(笑)。私が初代公演メンバーの最後の1人になりましたし、私自身が救われた公演で、もしなかったら、たぶん心が折れてました。それから、メンバーとは仲間でもライバルという意識が強くて、ほど良い距離をずっと保ってましたけど、もう卒業するので、「壁を乗り越えたい」とやっと思いました。みんなとのあと少しの時間を、1人の人間として関わって、みんなのためになることを伝えてあげたいです。
――ライバルだと思っていたのは、わりと年の近いメンバーに対して?
高柳 いや、全員に。江籠さんはいろいろ越えてきてくれて、(古畑)奈和とか(大場)美奈とか、他にもそういうメンバーはいますけど、4~5人くらいです。あかりん(須田亜香里)も同い年でつき合いが長いので、心を許した関係で、そういうメンバーが1人でも増えたらいいなと。年の離れた子もたくさんいて、友だちという感じでもないですけど、ずっと見守ってあげたいと思うくらいの関係になれたら。
――センターで歌いたかった、というのはないですか?
高柳 ああ……。あまり口にしてこなかったんですけど、最後のシングルでセンターでないとわかったとき、ファンの皆さんが「明音ちゃんのセンターを見たかった」と言ってくれたんです。他のメンバー推しの方やかつて応援してくださっていた方にもそう言われて、「『センターになりたい』と言って良かったんだ」と思いました。
――あえて言わなかったんですか?
高柳 そうですね。勇気がなかったのではなくて、それがSKE48のためになるのか、わからなかったんです。
――「次世代」という声が耳に入っていたから?
高柳 自分がセンターになったら、SKE48のファンの人を悲しませたり、「なぜ高柳が?」と批判されるかもしれないと思って。卒業発表してから、「なってほしかった」という人が多かったのに気づきました。
――それも含め、卒業発表後に自分の存在の大きさを自分で知った面もあったのでは?
高柳 そんな過大評価はしませんけど(笑)、自分が思っていたより、ずっとみんなに愛してもらっていたのはわかりました。「今は他のグループを応援してますけど、明音ちゃんがきっかけでアイドルを好きになったので感謝してます」とか、「推しではないけど、ずっと気に掛けてました」とか、本当にたくさんの言葉をいただいて。握手会とかあると、目に見える人数=自分のファンと思いがちですけど、見えないところにも私を好きでいてくれた方がたくさんいたのを、知ることができました。もっと自信を持って、1回ぐらい「センターになりたい」と言える自分だったら、アイドルとしてもう少し変われていたかもしれません。
――でも、それだけ愛されていたことは、これから女優としても糧になるのでは?
高柳 そうですね。アイドルグループでセンターになれなかったけど、「今はこんなに活躍しているんだね」と言われるような女優になれたらと思います。
Profile
高柳明音(たかやなぎ あかね)
1991年11月29日生まれ。愛知県出身。
2009年3月にSKE48の2期生オーディションに合格。同年6月に劇場公演デビュー。2010年3月発売のSKE48の2ndシングル「青空片想い」から、2020年1月発売の26thシングル「ソーユートコあるよね?」まで選抜メンバー入りを続けた。女優として、映画『ONLY SILVER FISH』、舞台『ReLIFE』、『+GOLD FISH』、『斬劇「戦国BASARA」天政奉還』などに出演。ラジオ『高柳明音の生まれてこの方』(ラジオ日本)でパーソナリティ。卒業写真集を3月4日に発売。卒業コンサートとなる『SKE48アリーナコンサート in 横浜アリーナ 私の兆し、皆の兆し ~あかねまちゅりだ!~』が3月15日に開催される。
「ソーユートコあるよね?」
1.15 発売
TYPE-D
初回生産限定盤(CD+DVD)
(高柳明音ソロ曲「青春の宝石」収録)
1676円(税込)