【茶の歴史】奈良時代からあった!日本でお茶はいつ頃から飲まれていたの?
茶は、果たしていつ日本へやってきたのでしょうか。
その正確な時期は、あたかも霧に包まれた山々の如く曖昧模糊としています。
ただ、「天平元年(729年)」、聖武天皇が宮中で僧に茶を賜ったという記録が『公事根源』に見えることから、茶の登場は奈良時代には遡るのでしょう。
805年、最澄が唐より帰国し、嵯峨天皇に茶を献上したことは、その茶文化の序章として語られるべき逸話です。
伝えられるところによれば、唐の友人たちとの別れを惜しみ、酒ではなく茶を囲みつつ詩を詠んだというではないでしょうか。
そんな折、比叡山の日吉茶園には、天台僧が育てたとされる茶樹が揺らめいていたかもしれません。
翌年、空海もまた茶の種を持ち帰り、弟子の堅恵大徳がその種を撒き、「大和茶」の始まりとなったと言われています。
平安時代においては、茶は嵯峨天皇の行幸に際して僧の永忠により献上されたという記録が『日本後紀』に残っています。
その後も畿内や丹波など諸国に茶樹を植える命が下され、宮廷人の間では香茗を搗きつつ詩を吟ずる嗜みが続いていたとのこと。
しかし、遣唐使の停止とともに、唐風の文化と共に茶の風習も一時的に衰退してしまいます。
この沈黙を破ったのは、12世紀末の栄西です。宋から持ち帰った茶の種や苗木が、新たな風を吹き込むこととなります。
栄西の教えによる抹茶の飲み方は、やがて禅寺を中心に広まり、茶は薬としてのみならず嗜好品として復権を果たすのです。
戦場では眠気覚ましの濃茶が兵たちを支え、貴族たちの間では闘茶が流行します。
だが、その華やかな遊びもやがて静謐なる「茶の湯」へと収束するのです。
戦国時代には、茶の湯が武将たちの手により外交の一環と化しました。
茶室は、喧噪の外に心の平穏を得るための小宇宙であったのです。
千利休が完成させた「わび茶」は、その冷え枯れた美の中に、戦国の荒波を乗り越えた精神性を漂わせています。
江戸時代には、茶は徐々に日常に浸透し、贅沢品から生産者にとっての現金作物へと変貌します。
しかし、茶室で交わされる礼儀作法は、高尚で敷居が高いとされ、次第に趣味人の専売特許のような存在へと収まりました。
時代を超え、明治から昭和へ、そして現代に至るまで、茶は形を変えながらも私たちの暮らしに寄り添い続けています。
今や緑茶だけでなく、烏龍茶や紅茶、そしてティーバッグまで、多種多様な茶が市場を賑わせているのです。
その一方で、茶の湯の精神は趣味人による個人的な文化として息づき、旅茶セットや野点セットなどの新しい道具が現れたことで、誰もが茶を気軽に楽しむ時代となりました。
茶を巡るこの悠久の物語は、葉一枚の揺らめきから広がる人間の営みと創意工夫、そして精神的な豊かさを象徴しているのかもしれません。
飲む者は時代を超え、その香りと味わいに思いを馳せるでしょう。
参考文献
ビアトリス・ホーネガー著、平田紀之訳(2020)『茶の世界史』、白水社