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家族同伴・有名人参加の入社式に見るフジテレビの「仲間意識」とその変遷 

てれびのスキマライター。テレビっ子
フジテレビ社屋(写真:アフロ)

4月8日放送の『Love music』(フジテレビ)では「門出をお祝いスペシャル」と題して、さだまさし、谷村新司、ゆず、AKB48ら豪華アーティストが出演したフジテレビの入社式の模様を放送していた。

この有名人が出演し、家族同伴の入社式こそ、フジテレビの「社風」の象徴だと指摘しているのが、『フジテレビはなぜ凋落したのか』である。

これはフジテレビの元社員・吉野嘉高が元社員だからこそ分かるフジテレビの盛衰の歴史を描いたものである。

その社風とは、「仲間意識」の強さである。

フジテレビは社員同士で仲間意識を共有しているだけではない。その「仲間」の領域は、社員の家族にまで広がっている。フジテレビ社員とその家族によって擬似家族「フジテレビ共同体」がつくられていると考えれば、理解しやすいだろう。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

それを象徴するのが入社式だ。だが、決してそれが悪いとは言い切れない。「問題は、この入社式の模様をフジテレビの情報番組などでトピック・ニュースとして放送していることだろう」と吉野が言うように、この「仲間意識」の表し方に、今の時代とのズレを感じざるを得ない。なにしろ、今年はそれを番組にしてしまったのだから(番組制作費としてでなければブッキングできないというような事情もあったのかもしれないが)。

フジテレビでは、社員とその家族だけではなく、出演者と番組スタッフもその立場を超えて、同じ仲間という意識を強く持っている。(略)つまりスタッフは、番組ではなくタレントに帰属しているというイメージだ。このようにフジテレビでは、タレントと番組担当者が一体感を共有し、運命共同体のように、長期にわたって仕事をすることがある。(略)フジテレビでは、タレントだろうが管理職社員だろうが関係はない。立場を超えたところで、同じ地平に立ち、強い仲間意識を共有しながら番組制作に取り組んでいたのである。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

では、こうした強固な「仲間意識」はどのように形成されたのだろうか。

■「大部屋主義」の誕生

それは70年代まで遡る。

70年代、フジテレビは「暗黒時代」を迎えていた。視聴率は低迷。「振り向けば12チャンネル」などと言われ民放4位にまで落ち込んだ。

その原因のひとつが「70年改革」と呼ばれる組織改革だった。これは番組を制作する「制作部」を解体させ、社外の制作プロダクションに出向。そこに番組制作を発注するという構造にしたのである。つまり、それまでフジテレビ社員として制作していた社員が、いきなり下請け会社の社員に格下げされ「使われる」立場になってしまったのだ。これではモチベーションが下がるのは当然だった。

そんな状況を改善したのが80年に副社長に就任した鹿内春男が中心になって行った「80年改革」だった。プロダクションとして切り離されていた制作部門を社内に一本化したのを手始めに様々な改革を断行し、フジテレビの「古い体質」を変えていった。

その一つが「大部屋主義」の導入である。

「編成」「制作」「報道」「スポーツ」「営業」の各セクションを、新宿河田町にある旧社屋三階の同じフロアに置くとともに、テレビ局の中心部「編成」と現場の「制作」を「大部屋」にまとめて収容したのだ。これで、社員同士が顔を突き合わせて話ができる環境が誕生した。

番組制作に関わる人間にとって広い共有領域ができたことで、これまでのようにセクションが違えば、滅多に顔を合わせないということはなくなり、社員間のコミュニケーションはスムーズに、意思決定は迅速にできるようになった。また、直接顔を合わせることで、微妙なニュアンスや体温が伝わるようになり、「硬いこと言わずに、そこを何とかよろしく」というような臨機応変な対応も可能になった。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

これにより、フジテレビ全体の「仲間意識」が熟成されていく。

そして「楽しくなければテレビじゃない」を標榜し、「軽チャー路線」を突き進み、フジテレビは黄金期を迎える。この過程は『1989年のテレビっ子』に詳しい。こうした「軽チャー路線」はバラエティ部門のみならず、情報番組、果ては報道部門にまで「大部屋主義」を通して浸透していったのだ。そしてその「仲間意識」は「楽しさ」を欲する視聴者まで伝播していった。

だが、この路線の成功がいつまでもつづくわけではない。

80年代後半には早くも陰りが見え始め、フジテレビを徹底的に研究した日本テレビによって90年代半ばにはその王座を奪われていった。

だが、遮二無二視聴率を追求する日本テレビに対し、フジテレビには「数字ばかりを追い求めるのは下品」という意識があったという。視聴率こそ少し負けているが、自分たちは新しくてカッコいい番組を作っている。そんな「一流意識」が、「仲間意識」をいつしか「選民意識」に変容させていった。

■「大部屋主義」の消失

そして、「一流意識」を決定づけたのが、97年のお台場への社屋移転だ。

このことは以前書いた「なぜ“ダメ”になってしまったのか? フジテレビの凋落と未来の可能性」でも触れたとおり、新宿まで電車で45分かかるお台場という土地への移転のためカルチャーとの接触機会が以前より困難になり、庶民感覚を喪失していった。

もうひとつ失われたものがある。それが前述の「大部屋主義」だ。

会社の成長に合わせて、編成、制作の人員も増えてきた。新社屋の構造上、ひとつのスペースに編成と制作の大所帯を詰め込むことは不可能で、編成局は12階、政策局は13階というように、タテに分断された。

こうして組織は分断された。一つ一つのセクションが外との接触を避けて閉じこもる“タコツボ化”が進むおそれのある社内システムができあがったのだ。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

そうして、いい意味での「仲間意識」が薄れていき、「選民意識」だけが増幅されてしまったのだ。

こうした奢りは、2011年におこった「韓流ゴリ押し」デモへの対応にもあらわれていた。

このような状況に対してフジテレビは、丁寧に説明をして反論することはなかった。(略)フジ側の「あんなものを相手にするわけにはいかない」という「上から目線」の対応を、ネットの住民は敏感に感じ取って、益々バッシングが強まるという結果を招いてしまったのではないだろうか。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

「一流企業」化したフジテレビは70年代に逆戻りしたように、企画案に対する意思決定の速度が遅くなり、「失敗できない」という保守的な理由から冒険的な企画が通りにくくなってしまった。せっかく新しさもあり普段テレビを見ない層を開拓するような番組を作っても、目先の視聴率の悪さで短命に終わってしまうことも少なくない。だから制作会社も「これぞ」という新しい企画は他局に持ち込んでしまうことが少なくないという。

上は局長から下は若手のディレクターまで、皆が納得するような最大公約数的番組は、無難な出来上がりになってしまい視聴率を取るのは難しい。例外は、これまでのヒット番組の焼き直しだろう。実績があるだけに、比較的外す可能性は低いかもしれない。

フジテレビが昔の栄光にしがみついているように見えるのは、異論が少ない最大公約数的番組を優先して放送する、こうした組織構造が原因だろう。

出典:『フジテレビはなぜ凋落したのか』

こうしてフジテレビの“凋落”の原因を辿って行くと、その「一流意識」こそが復活への大きな足枷になっていることが分かる。

ならば、今こそが最大のチャンスである。

2014~2015年の年末年始には、テレビ東京にも視聴率で抜かれ民放最下位にもなった。まさにどん底である。

「一流企業」であるという奢りを捨てるいい機会だ。

かつて80年代のフジテレビは「権威」をぶっ壊すことで視聴者から支持を集めていた。

だがいつしか、フジテレビこそが「権威」そのものになってしまった。

だったら、その「権威」の元凶である「一流意識」をぶっ壊せばいいのだ。

選民的な「仲間意識」を脱却しなければ、視聴者を「仲間」にすることなんてできないはずだ。

ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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