なぜ“ダメ”になってしまったのか? フジテレビの凋落と未来の可能性
2009年以降、お正月の恒例になっている『新春TV放談』(NHK総合)が今年も2日に放送された。
司会は引き続き千原ジュニアが担当し、パネラーにはテリー伊藤、羽田圭介、ヒャダイン、ヒロミ、YOU、吉田正樹が招かれた。
近年この番組では、元気がないフジテレビについて話題にあがることが多い。
10~60代の男女1000人を対象に番組が行なっった「2015年人気番組ランキング」ベスト10に、ドラマ部門でフジテレビの作品が入ったのは、なんとゼロ。お家芸とも言えるバラエティ番組でもわずか1本にとどまった(ちなみに、バラエティ番組の上位3本を日本テレビが独占した)。
そんな現状に対し、フジテレビでもレギュラー番組を持つヒャダインが言う。
■フジテレビとサブカルチャー
確かにいま、フジテレビは嫌われている。だが、かつては「テレビ」=フジテレビと言っても過言ではないくらいテレビを象徴するものだったし、愛されていた。
実際、番組が実施した「復活して欲しい番組ランキング」にはベスト10に6本フジテレビの番組がランクイン、つまり半分以上を締めているのだ。
まさに当時のフジテレビ社員として、『夢で逢えたら』や『笑う犬』シリーズ、『トリビアの泉』など数々の人気番組を手がけた吉田正樹は言う。
吉田が言うように、ダウンタウンはもともとメジャーな芸風とは言いがたかった。事実、ダウンタウンはのちに自身の出世作となる『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)を日曜夜8時にレギュラー化するという話に大きなチャンスにも関わらず反対していた。松本に至っては当時のマネージャー・大崎洋に「ありえへん! その枠では俺たちの笑いは成立せえへん。絶対に嫌や! 死んでもやらへん!」と強硬に拒否したという(常松裕明:著『笑う奴ほどよく眠る』)。
当時、日曜夜8時といえば、大河ドラマが強力。そのうえ、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)も人気を誇っていた。ファミリー層に受けなければ視聴率が獲れない枠だ。そこに自分たちのマニアックな笑いは通用しないと本人は思っていたのだ。
しかし、結果はご存じの通り。ダウンタウンはそこでアナーキーな笑いを駆使しながらも、高視聴率を獲得し、トップ芸人の一組に踊り出た。
タモリもそうだろう。もともとの芸風は“サブカルチャー”そのもの。そんなタモリをお昼の帯番組『笑っていいとも!』の司会者に抜擢し、カルト芸人から国民的タレントにしたのは間違いなくフジテレビの功績だ。
タモリを『いいとも』に起用することに決めた横澤彪は、サブカルチャーを積極的に取り入れた。
『いいとも』の構成作家を務めた高平哲郎によると、横澤は「会議は短いほうがいい」と4時半に始めて1時間で終了させたという。なぜなら、5時半に会議が終われば、夜から始まる芝居や映画を観に行くことができるからだ。特に横澤は小劇場を観に行きことを勧めた。その成果が、東京乾電池やワハハ本舗をいち早く番組に起用したことに繋がっていた(高平哲郎:著『今夜は最高な日々』)。
かつてフジテレビは「テレビ的」ではないとされていた新しい血を積極的に吸収していったのだ。そのダイナミズムこそが「テレビ的」だった。
だが、いま物理的にフジテレビにはそれが難しいと指摘するのは、高堀冬彦氏だ。「現代ビジネス」に掲載された記事によると、その元凶は97年のお台場への社屋移転だという。
かつてのフジテレビは新宿河田町にあった。だからすぐに劇場や映画館に行くことができた。だが、いまは横澤が行ったように会議をはやく切り上げたとしても、時間的に間に合わないことが多くなってしまっているのだ。
一方、たとえば現在好調なテレビ東京。そこで『ゴッドタン』や『ウレロ』シリーズなどを手掛ける佐久間宣行は自著『できないことはやりません』の中で、「テレビの世界とは別の分野で、自分が本当に好きなジャンルを持つ」ことが大切だと説いた上でこう付け加えている。
その言葉通り佐久間は、自分の好きなジャンルである演劇に現在も足繁く通い、その世界から次々に新進気鋭の人材を積極的に起用している。
■フジテレビの未来
そんな中でフジテレビにもヒャダインが冒頭で触れているように、若い人材が育ってきている。
たとえば、吉田正樹が挙げるのは『人生のパイセンTV』の“マイアミ・ケータ”こと萩原啓太だ。まだ20代のディレクターである。
雑誌『クイックジャパン』で毎年恒例の特集「テレビ・オブ・ザ・イヤー」の放送作家座談会でもこの番組と萩原については話題にあがっている。
萩原は、打ち合わせはもちろん、ロケにも自ら行き、編集、ナレーション原稿、テロップに至るまで全部自分でやっているという。しかも、画面にも積極的に登場する。どこか、かつてイケイケだったフジテレビの作り手たちを思わせる。
70年代、フジテレビは「振り向けば12チャンネル」と揶揄されるほど低迷していた。
それを一気に変えたのが『THE MANZAI』を契機に始まったマンザイブームだ。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない!」を標榜し、横澤彪を中心として『笑ってる場合ですよ!』、『オレたちひょうきん族』、『笑っていいとも!』と次々に人気番組を生み出し、視聴率3冠王に躍り出た。
一方、現在王者の日本テレビは60~70年代前半、一度黄金時代を迎えたが、この頃はフジテレビやTBSの後塵を拝し、低迷していた。今では想像がつきにくいが、特にバラエティ部門は瀕死の状態だった。だが、90年代半ばになると、世代交代がようやく実を結び、フジテレビを抜き去り王者になったのだ。
いま、フジテレビの状況は、70年代と似ている。
あのときフジテレビはどん底から這い上がり栄華を極めた。
ならば、再びフジテレビが復活を遂げることは、決して不可能ではないのだ。
そこに不可欠なのは、若い力である。最後に萩原啓太の言葉でこの稿を締めたい。