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「目を覚ませと、頬っぺたでも引っ張られたみたいな気分だ」野田秀樹が英国で原爆の物語を上演。その反応は

木俣冬フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人
NODA・MAP「Love in Action」(c)Alex Brenner

野田秀樹「正三角関係」英国公演報告会見

「出演者全員が一流の役者だ」だという劇評は稀


「Love in Action」は日本では「正三角関係」と題し、2024年7月11日(木)から10月10日(木)まで、東京、北九州、大阪で計76公演を行った。それからロンドンへーー。NODA・MAPと東京芸術劇場の主催で10月31日(木)から11月2日(土)の3日間、サドラーズ・ウェルズ劇場にて4ステージを上演した。

海外で新作、さらには原爆を題材にした作品を上演するという挑戦を終え、帰国した作・演出・出演の野田秀樹さんが11月中旬、都内で報告会見を行った。

おりしも今年度、ノーベル平和賞を日本被団協が受賞や「オッペンハイマー」がアカデミー賞作品賞など7部門で受賞するなど、世界的にも核兵器の存在への関心が広がっている。野田さんの演劇はイギリスではどのように受け止められたのか。

成果も反省も率直に語った野田さん  撮影:緒方一貴
成果も反省も率直に語った野田さん  撮影:緒方一貴

「正三角形」とは

野田秀樹作、演出「Love in Action」(「正三角関係」)では松本潤、長澤まさみ、永山瑛太が「カラマーゾフの兄弟」になぞらえた3兄弟を演じた。舞台は戦中の長崎。花火師の一家・唐松族の長男(松本)に父殺しの容疑がかかり、裁判が行われている。裁判の途中、空襲警報が鳴り、防空壕に避難しながら、裁判は続く。そして次第に明るみになっていく唐松族の秘密……。

12月2日から世界配信が行われる。

気持ちが届いたんだな、と感じました

報告会の会場で野田秀樹は笑顔で挨拶した。

「結果的に大成功で大好評でした。前回の『Q』(英題「A Night At The Kabuki」)(22年)も全部ソールドアウトで、今回も満員でした。見た人から直接感想を聞くととても良かったという声が多かった。日本人が原爆を取り上げた公演を行うとは予想だにしていなかったようで、ずしっと深く刺さっているような印象を受けました。初日の開幕コメントにも書きましたが、私の中で一番印象的な観客の言葉は『目を覚ませと、頬っぺたでも引っ張られたみたいな気分だ』というものです。気持ちが届いたんだな、と感じました」

見たことのない芝居だとか、幻覚をずっと見ているようだという声もあったそうだ。ただ、いくつかそうとばかりも言えない現状というのも感じたと野田さんは言う。

「日本のみならずアジアのお客さんが圧倒的に多く、これは松本潤を起用したことが影響しているのかなと思います。それは決してネガティブな意味ではなく、日本の文化がそういう形でイギリスにも浸透しつつあると認識しましたが、私としては、せっかくロンドンに行ったのだから、イギリス人の観客にもう少し見てほしかったなとも思いました。これは今後の課題になるのかなと。ただアジアの人がたくさん来て、劇場が満員になっていることを喜んでいるイギリス人もいました。そういうことがこのロンドンで起こるようになったことを面白く感じたようです」

サドラーズ・ウェルズ劇場は「ハリーポッター」でおなじみのキングス・クロス駅の隣、エンジェルという街にあり、ピナ・バウシュと共同制作などを行う、コンテンポラリーダンスの殿堂として有名なところである。

野田さんは92年にイギリス留学したとき、ここで開催していたテアトル・ド・コンプリシテのワークショップに参加していた。「ひじょうに思い出深い劇場」だという。

その後、野田さんが大英博物館に展示されている鐘に想を得て書いたのが「パンドラの鐘」(99年)だった。大平洋戦争開戦前夜の長崎と歴史から遠く忘れ去られた古代王国を重ねて描いた壮大な物語の誕生から四半世紀、今度は長崎に投下された原爆を題材にした「正三角関係」を英題「Love in Action」としてイギリスで上演したのだ。

花火職人を演じた松本潤さん(中央) NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner
花火職人を演じた松本潤さん(中央) NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner

英国人は「源氏物語」も知らない

「イギリスのジャーナリストは自分より若い人が増えて、劇評も若い人の言葉だなと感じました。原爆という題材が思いがけないという反応は当然で、若い彼らがイギリスで暮らしていたら、原爆が投下された側(日本)のことなど、恐らく考えたこともないでしょう」

原爆を題材とした日本の演劇が海外で上演される例は「はだしのゲン」などが先行作としてあるそうだが、極めて少ない。日本人の原爆体験を外国で上演する。これが今回のチャレンジであった。


「ロンドン公演をやることは戯曲を執筆しているときから決まっていましたし、今回は私の作品にしては珍しく最初から着地点が決まっていました」

イギリス人が日本の歴史や文化をどれだけ理解するか。過去、野田さんはあまり理解されない経験をしていた。

「以前『ザ・ダイバー』という『源氏物語』をモチーフにした芝居をやったとき、イギリス人は、日本の文化を全く知らないと如実に感じまして。いや、日本に関心を示そうとする層と、そういうことを全く分からないという層とが二分していました。他国との文化、政治、経済などの違いを日本は100年ぐらい前に乗り越えて、我々日本人は少なくとも『ロミオとジュリエット』の概要は知っている。でもイギリス人は『源氏物語』をまったく知らない。そういう状況に一石を投じていきたいと思いました。おりしも、核廃絶問題が世界的に課題になっていますし、日本人は『唯一の被爆国として』という言葉の使い方をよくしますが、現実にどれだけ我々日本人が認識できているのか。ロンドンで上演することで再認識したいと思いました。私の芝居の特徴柄、笑いも多いので、どういうふうに受け止められるだろうか、なかにはこんなに軽々しく原爆を表現していいのかという意見も出るかなと懸念しましたが、それはなかったです。そのわけは、今回、自分のスタイルの中ではいつもよりもテーマに集中して向かっていく作り方をしたからかなと思います」

物理学者を演じた永山瑛太さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner
物理学者を演じた永山瑛太さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner

(以下ネタバレありますので配信ではじめて見るかたはご注意ください)

「Love in Action」(「正三角関係」)は世界的名作・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を下敷きにしていて、現地の劇評には「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』に始まりテネシー・ウイリアムズの『欲望という名の電車』に至るまで、西洋の文化的試金石に溢れている」というものがあった。

日本と海外をつなぐものとして欧米の文化を戯曲に盛り込む一方で、劇中、日本では有名な「焼き場に立つ少年」の写真を思わせる場面がある。米国の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんが原爆投下後の長崎で撮った写真だ。このモチーフはイギリスの人にはどう映っただろうか。

「執筆中に、ラストに、あの妹を背負った少年を登場させたいな、というような気持ちはありました。作品上、あの少年は郵便配達をやっていますが、郵便配達をしていて被爆した方の実話と、写真の少年と2つのエピソードをくっつけたような人物です。ただ、イギリスではあの写真を、多分、ほぼ誰も知らないと思うんですよね。それで劇場の入り口に、あの写真の少年の原寸サイズかはわかりませんが、大きいものを終演後にロビーに飾りました」

実体験を伝えていく人たちが次第に亡くなっていくなか、先人の体験が、野田さんの演劇を通して遠く海を渡った。イギリスの劇場でひとりでもふたりでもその歴史に目を向ける人がいたかもしれない。

「私が若い頃は戦争を題材にしていませんでした。それはおそらく戦争体験者たちがまだご存命で、生き証人のように実体験を小説や映画や演劇にしていらっしゃったからだと思います。自分には書く資格がないというか、自分には書けないと、一切手を出していなかった。『パンドラの鐘』を書いた頃から少しずつ、戦争が遠くなり過ぎた世代の方が増えてきて。そうなってくると、戦後10年の年(1955年)に生まれた私は、まだ戦争があったことを体に感じている世代だと思って書くようになったのかなと思います」

聖職者の青年と本邦な女性の二役を演じた長澤まさみさん(右) 左は村岡希美さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner
聖職者の青年と本邦な女性の二役を演じた長澤まさみさん(右) 左は村岡希美さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner

「戦争」について、いまの若い世代にとっては、ウクライナやパレスチナのほうが身近なのではと野田さんは言う。

このように世代交代によって、歴史に対する認識が変わってゆく。そして、演劇の価値観も……。

「初日のパーティーで話した方のひとりに、寺山修司を知っている方がいて、彼は、世界的な演劇の危機を感じていると言っていました。というのは、イギリスでも、いま集客できる公演はアニメ原作のものやポップスターが主要キャストのものだそうなんです。それは日本でも同じことを感じます」

そんな新世代の台頭は良いことももたらしていると野田さんは考える。

「20年ぐらい前にロンドン公演をしたときは、私のサカスティック(sarcastic)な言葉や、漫画第一世代的な表現は、イギリスの正当な演劇界では批判的に捉えられたこともありました。それがいまでは当たり前に受け入れられています。私のフィジカルな表現が若い世代に影響を及ぼしていると聞きました。『Q』でも高い評価をもらいましたが、そのベースにはイギリス留学で学んだものがあります。今回、コンプリシテのプロデューサーたちが3人くらい見に来てくれて、コンプリシテの若者たちが逆に私の作品を見て影響を受けていると言うんです。僕がイギリスでもらったものを今度はイギリスの若者に返しているとは面白いですよね。それこそ時間の流れだなという気がします」

野田さんはスターを起用する演劇も肯定する。

「例えば江戸時代の歌舞伎でも團十郎などのスターがいました。スターを起用してクオリティが下がったら問題ですが、見るに足るスター性や高い技能がある俳優もいます。今回は『出演者全員が一流の役者だ』だという劇評もありました。そんなことは滅多に書かれないんですよ」

英国の劇評でも高評価だった池谷のぶえさん(中央) NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner
英国の劇評でも高評価だった池谷のぶえさん(中央) NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner

カーテンコールではなぜ土下座をしたのか

イギリスではカーテンコールも何度もなく、日本と違ってすばやく終わる。ところが今回、カーテンコールが何度もあった。

「NODA・MAPのカーテンコールはあっさりしているほうですが、今回、千秋楽であまりにも拍手が鳴り止まないので、最後は全員、土下座(日本式の正座して礼をする)をしました。日本的な感じもして、イギリスのお客様は楽しんでくれるかなと思ってやりました」

今回、新作公演のため、字幕の準備や、舞台装置を早めに船便で出すなどの必要があり、いつもより早めに戯曲を書き上げないといけなかった。翻訳はスーザン・ヒングリーさんと「Q」の翻訳もしたジョー・アランさんの二人体制で行い、野田さんの特徴的なセリフをイギリス人にフィットする絶妙な言葉に置き換えていった。字幕のオペレーションは野口州子さん。長年、イギリスで、日本公演の字幕のオペレーションを担当している。字幕の出るタイミングで、観客の反応が変わる言葉の壁のある海外公演では重要な仕事である。

海外公演はなにかと大変だが、それでも野田さんはこれからも挑んでいきたと言う。

「いつも同じことを言っているかもしれないですけれど、国内だけにいると、少しずつぬるま湯の状況に陥ってしまうもので。海外に行くことで世界の演劇の現状や、自分自身の状態も俯瞰して見えてきます」

今後の予定は、70代最初の新作となる。

「結局一作一作、一つずつを自分の遺作だと思って作る、という気はしています。来年は新作を作らないので、『正三角関係』が『60代、最後の作品』になります。次は再来年なので、『70代、最初の作品』ですね」

作品をつくるにあたり、野田さんは大事にしたいことをこう語った。

「自分たちが感じ続けてきたものだけは、ちゃんとそれなりに表現していきたい。戦争を題材にしたものをこれからも作りますかと聞かれますが、演劇はそういうテーマ性だけではないので。僕は、身体を使うことや見立てを面白いと思ってやっています。例えば、『正三角関係』では、養生テープを1本、シュッと引くことで空間を変えました。そういうところが演劇の面白さだと信じてやっているので、これからもそこを追求していきたいと思います」

作、演出、出演の野田秀樹さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner
作、演出、出演の野田秀樹さん NODA・MAP「Love in Action」サドラーズ・ウェルズ劇場 (c)Alex Brenner

野田秀樹 Hideki Noda

1955年、長崎県生まれ。劇作家・演出家・役者。東京大学在学中に「劇団 夢の遊眠社」を結成し、数々の名作を生み出す。92年、劇団解散後ロンドンに留学。帰国後の93年に「NODA・MAP」を設立。『キル』『赤鬼』『パンドラの鐘』『THE BEE』『ザ・キャラクター』『エッグ』『逆鱗』『足跡姫〜時代錯誤冬幽霊〜』『贋作 桜の森の満開の下』『フェイクスピア』『兎、波を走る』など、数々の話題作を発表。オペラの演出、歌舞伎の脚本・演出を手がけるなど、現代演劇界を超えた精力的な創作活動を行う。また海外の演劇人とも積極的に創作を行い、これまで日本を含む13ヶ国28都市で上演。22年9月にはロンドンで「『Q』: A Night At The Kabuki」を上演し、好評を博す。23年1月、舞台芸術界におけるその国際的な活動を評価され、ISPA2023で優秀アーティスト賞「Distinguished Artist Award」を日本人初受賞。09年10月、名誉大英勲章OBE 受勲。09 年度朝日賞受賞。

「正三角関係」世界配信情報

■配信期間
2024年12月2日(月)12:00~ 2025年1月14日(火)23:59

■配信チケット

2025年1月14日(火)18:00まで発売中

詳細は公式ホームページ

フリーライター/インタビュアー/ノベライズ職人

角川書店(現KADOKAWA)で書籍編集、TBSドラマのウェブディレクター、映画や演劇のパンフレット編集などの経験を生かし、ドラマ、映画、演劇、アニメ、漫画など文化、芸術、娯楽に関する原稿、ノベライズなどを手がける。日本ペンクラブ会員。 著書『ネットと朝ドラ』『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズ・ルポルタージュ』、ノベライズ『連続テレビ小説 なつぞら』『小説嵐電』『ちょっと思い出しただけ』『大河ドラマ どうする家康』ほか、『堤幸彦  堤っ』『庵野秀明のフタリシバイ』『蜷川幸雄 身体的物語論』の企画構成、『宮村優子 アスカライソジ」構成などがある

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