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五輪代表を逃した直後の大舞台で 成長したシンデレラ・三原舞依の優勝の意味

沢田聡子ライター
(写真:ロイター/アフロ)

想像を超える困難を乗り越えて、三原舞依は再び四大陸選手権で表彰台の真ん中に立った。

三原が初出場、初優勝した2017年四大陸選手権は、平昌五輪のテストイベントとして行われた大会だった。五輪開催を待つ真新しく大きなアリーナで、ミントグリーンの衣装を着た17歳の三原は、フリー『シンデレラ』をクリーンに滑り切る。演技を終えた三原はこぶしを握った両手を胸の前で合わせ、笑顔でくるくると回った。現地で取材していた筆者にとり嬉しい驚きだったこの優勝は、三原の愛らしさと共に強く印象に残っている。

ジュニア時代は関節の難病である若年性特発性関節炎に苦しみ、試合に出られない時期も超えてきた三原は、シニアデビューした2016-17シーズンに躍進した。全日本選手権で3位となって表彰台に上り、初出場の四大陸選手権を制したのだ。さらに、世界選手権でも5位と健闘した。清楚かつさわやかで誰からも応援される三原は、まさにシンデレラガールだった。

平昌五輪プレシーズンに世界のトップクラスに躍り出た三原だが、平昌五輪代表最終選考会だった2017年全日本選手権では5位に終わり、2枠のみだった日本代表から漏れる。その後三原は体調を崩し、2019-20シーズンは試合に出場することができなかった。昨季見事な復活を果たし、今季も北京五輪代表候補として最後まで期待される活躍を見せてきたが、またも五輪の舞台には一歩届かなかった。

三原は、思わぬミスをして4位に終わり、北京五輪代表から漏れる結果となった昨年末の全日本選手権後は落ち込んだことを明かしている。しかし、滑ることができない時期を過ごしてきた三原は、誰よりも滑る喜びを知っている。さらにファンの思いが三原の背中を押し、今回の優勝につながった。

昨季から継続するフリー『Fairy of the Forest/ Galaxy』は、妖精をイメージしたプログラムだ。三原の透明感のあるスケーティングは5年前から変わらないが、溌溂としたシンデレラは、しっとりとした落ち着きのある妖精に成長した。高い技術に支えられた三原の演技には、苦境を経験しながらも感謝を忘れない彼女の人柄がにじんでいる。冒頭の3回転ルッツ―3回転トウループを決め、その後もほぼ完璧に滑ってきた三原だが、最後のスピンではほどけたような形になった。頑張って耐えてきた三原の緊張が、凝縮されたような場面だった。しかし、ショートに続きフリー、そして合計でも自己最高得点を更新。全日本の失意から立ち上がった三原にとり、実り多い大会となった。

五輪は確かに最高峰の試合だが、五輪だけが試合ではない。北京五輪を間近に控えた四大陸選手権で、三原はそのことを私たちに教えてくれた。

ライター

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(フィギュアスケート、アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。2022年北京五輪を現地取材。

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