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「高安」はただの大関ではないー 日本の分断を修復させた男としての本当の功績ー

にしゃんた社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

2017年の夏場所。期待の大きかった横綱の稀勢の里は怪我のために途中で休場する中、横綱の白鵬が38度目の優勝で幕を閉じた。そんな中、今場所で最も注目を浴びたのは高安だった。活躍が評価され大関昇進が決まった高安をメディアは「平成生まれ初の日本人大関」とキャッチコピーを付けて報じた。

今回の高安の大関昇進は、ただの平成生まれの日本出身初の大関に留まらない。むしろ日本社会の分断を修復させた功績こそを評価したい。

2016年1月27日に、「日本の相撲「日本」と「外国」を越える次の一手に期待」というタイトルで一つの書いた記事がある。ちょうど今から、1年半前ということになる。

この記事を書くきっかけは、この時期の相撲に関するメディア報道にあった。ちょうど大関・琴奨菊が初優勝を飾った2016年の1月場所直後に当たる。メディアは琴奨菊の優勝を受けて「10年ぶりの日本人の優勝」と大々的に報じた。

角界に外国出身の関取が参加するようになってそれほど歴史は古くない。しかし高見山、小錦や曙が相撲を取っていた頃とは状況がずいぶんと変わった。外国出身の力士と日本生まれの力士が頭角に戦う試合を心のゆとりもって楽しんだ「小錦時代」の日本国民も、今になっては、外国出身の関取しか優勝しない状況を喜べなくなってきた。その長きにわたるフラストレーションからの内心が解き放たれた瞬間をメディアが上手く吸い上げ社会全体と共有するにあたって用いた文言は「10年ぶりの日本人の優勝」であったに違いない。

しかしメディアによる「10年ぶりの日本人優勝」の報道は、後戻りできないパンドラの箱を開けたと比喩されたトランプの選挙活動中の人種、民族、宗教差別発言となんら変わらなかった。少数者に配慮を欠いた社会の支配層本位や多数派本位の発言はいつの時代のいかなる空間においても、その場で一瞬多数派などが気持ち良さを感じたとしても、長い目で見れば結局の所、良き結果を招くことは決してなく、各々の空間においていつも決まって分断や持続不可能な不幸な結果をもたらした。

客観性や理性を離れて同類を応援したくなる気持ちは動物的な本能なのかも知れない。しかし大々的な「10年ぶりの日本人」の報道を受けて、最も気分を害したのは日本国籍を取ってまで、日本の相撲界を牽引してきた外国にルーツのある力士であったに違いない。「10年ぶり」の報道直後、土俵上における「外国」対「日本」の力士のぶつかり合いには、いつもと違う、冷静心を欠いた荒れた場面を多々見受けるようになった。その都度「10年ぶりの日本人の優勝」報道がもたらした相撲界の分断を垣間見た。久しぶりの日本生まれの横綱の稀勢の里が誕生し、今に至る横綱に対するメディア報道、社会の扱い、声援や期待にもどこか「日本人だから」を観る。

「外国人」対「日本人」に分断された相撲界の修復が期待された中、流星の如く現れたのは他でもない大関高安であった。そこに小さくとも一つ確かな希望の光を見たのは私だけだろうか。高安関は、日本人父に、フィリピン人母にもち、この日本で産み落とされた。平成生まれ初の日本人大関は、日本と外国を合わせもつダブルの大関でもあった。

高安の誕生は、土俵上の力士同士はもちろん、相撲ファン、日本社会全体に到るまで 、それまでメディアによって流布された「外国人」対「日本人」という窮屈な相撲の楽しみ方から解放させたと同時に、両者の分断を見事に修復させてくれた。もちろん当事者やファンを含む相撲に関わる全員の視野を広げる大きなきっかけをつくった。

日本を代表する「外国出身」対「日本出身」のそれぞれの横綱の高安に対するコメントがその何よりの証拠でもあろう。優勝インタビュー中に高安について尋ねられた白鵬は「・・・素晴らしい強い力士が誕生する。そして、彼のお母さんはフィリピン人ですから、フィリピンの国民の皆さんに『めでたいな』と言いたい」と述べた。あまり笑顔見せない稀勢の里関も高安の大関就任式で、溢れんばかりの満面な優しい笑顔で弟弟子を見守っていた。高安に対してどのような助言をしたかと聞かれ「俺みたいに噛むんじゃないぞと言った」と微笑みながら答えていた。高安大関に誕生により、力士同士も「外国」対「日本」の無毛な国際相撲大会から解放されたような印象を抱いた。

日本の歴史で、おそらく最も相撲が盛り上がった時代の一つは大横綱大鵬が活躍された時代であるに違いない。実は大鵬もダブルであった。平成の高安大関の誕生は、かつて「巨人・大鵬・卵焼き」などと無邪気に心の底から相撲を楽しんだ昭和のような良き時代への誘いではないだろうか。

「高安」はただの大関ではない。日本の分断を修復させた男としての功績をこそ注目したい。相撲界は日本社会の縮図であり、社会のあらゆる空間に置いて社会を分断させない、そして修復させる力としてのダブルの活躍に今後も大いに期待をしたい。

むろんダブルは生まれでもって決まるのではない。むしろ生き方の中で決まる。違いを豊かに束ねられる人間は皆ダブルにもドリブルにもなれる。つまり私たち1人1人全員が社会を分断させない、分断を修復できる当事者になれる。

社会学者・タレント・ダイバーシティスピーカー(多様性語り部)

羽衣国際大学 教授。博士(経済学)イギリス連邦の自治領セイロン生まれ。高校生の時に渡日、日本国籍を取得。スリランカ人、教授、タレント、随筆家、落語家、空手家、講演家、経営者、子育て父などの顔をもっており、多方面で活動中。「ミスターダイバーシティ」と言われることも。現在は主に、大学教授傍ら、メディア出演や講演活動を行う。テレビ•ラジオは情報番組のコメンテーターからバラエティまで幅広く、講演家として全国各地で「違いを楽しみ、力に変える」(多様性と包摂)をテーマとする ダイバーシティ スピーカー (多様性の語り部)として活躍。ボランティアで献血推進活動に積極的である。

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