人はなぜ狩られるのか?『ハンテッド 狩られる夜』と『ダウンレンジ』
同じシッチェス・ファンタスティック映画祭で見た『ハンテッド 狩られる夜』(2023)と『ダウンレンジ』(2017)はよく似ている。どちらかを見て好きな人は必ずもう一方も好きになり、どちらかが嫌いな人はもう片方も嫌いになる、というほど似ている。
どちらもスナイパー(狙撃者)からのサバイバル&リベンジもの。相手が誰だかどこにいるかもわからず、狙われる理由にも思い当たらず、銃等で武装している相手に対してこっちは素手という、圧倒的な不利な状況で、まずは身を隠して命を守り、次に反撃に出て相手を倒さなければならない。
■スナイパーの凶弾が日常を戦場に
両作を見て思ったが、いきなり凶弾に襲われる物語というのは、日常が戦争になる物語である。普通に幸せな時が、照準の向こうの殺人鬼によって突然、地獄の戦場になる。
弾の威力は想像よりもはるかに強力で、頭蓋骨を粉砕し脳みそが飛び散る。どこから飛んでくるかわからない弾丸に撃たれ、周りの人が一瞬で死んでいく。救命が無駄だと直感的にわかる見るも無残な姿になって。自分も深い傷を負う。理不尽過ぎて、わけがわからないのだが、とにかく身を隠すしかない……。
スナイパーがたった1人でこのあり様。あちこちスナイパーだらけで弾が休むことなく行き交っている本当の戦場というのは、いかに恐ろしいところなのか。
※以下、ほんの少しだけネタバレがあります。白紙の状態で見たい人は読まないでください。
■闇雲にぶっ放す先にある「病んだアメリカ」
『ハンテッド 狩られる夜』では夜に狩られ、『ダウンレンジ』では昼に狩られる。
夜も昼もどっちも怖い。相手にはこっちが見えており、こっちには相手が見えないという状況は同じだから。舞台は前作がガソリンスタンドで、後者が荒野のハイウェイだがどちらにも死角がほとんどなく、動くと銃弾が飛んで来て油断すると即死、という状況は共通している。
どっちも公道上なので、別の車やパトカーが通りかかってスリルやドラマを盛り上げてくれる。
あと、犯人のバックボーンも共通だ。
射撃の腕からして軍隊経験者であり、戦場という地獄で心の傷を負って母国に深い恨みを抱いている。その恨みのはけ口が罪のない普通に生活を送っている幸せそうな人々に向かっている。
「楽しそうにしやがって。戦場の地獄をお前らも味わえ」という発想だ。
アメリカという敵に向けて闇雲に銃をぶっ放すという点で、彼らスナイパーの起こす無差別殺人は「アメリカ社会の病の象徴」と呼ぶことができる――このあたりを『ハンテッド 狩られる夜』のスナイパーは雄弁なのでしつこいほどに説明してくれる。一方、『ダウンレンジ』のスナイパーは無言なので想像するしかないのだが、多分そういうことだろう。
■雄弁な犯人と無言の犯人で明暗
さて、両作で異なるのは、ターゲット選択の理由である。主人公たちはなぜ狩られたのか?
『ダウンレンジ』では犯人の標的になるのに、「たまたま通りかかった」以上の動機はなかった。一方、『ハンテッド 狩られる夜』の方は、犯人は主人公を知っている。狙って罠をかけたのだ。よって、『ハンテッド 狩られる夜』には犯人探しも興味の対象になるが、『ダウンレンジ』は純粋なサバイバル&リベンジものである。
この点で両作の評価が分かれた。
『ハンテッド 狩られる夜』では、おしゃべりの犯人の言い分を長々と聞かされているうちにお話のリズムが落ちて間延びした上に、肝心の犯人探しも中途半端でスッキリしない。一方、『ダウンレンジ』はアクション、アクション、アクションで押していき、リズムが落ちない。単純に死ぬ人間の数も多く、スプラッター描写にも容赦がない。
なので、どちらかを選べと言われたら、『ダウンレンジ』を推す。
最後まで生き残る人=主人公がともに女性というのはもう「お約束」と言っていい。スナイパーは病んだ銃社会の象徴だから「男」、これに対抗するのは強い「女」でなければならない。あとは決着の付け方と対決の結果もこの両作、よく似ている。ネタバレになるのでこれ以上に言えないが、ある体の部位に注目してほしい。
※写真提供はシッチェス映画祭