元統一王者の田口良一プロデビュー戦は「3週間前から毎日寝られなくなった」
1月19日渋谷某所で、筆者(木村悠)と田口良一(元WBA&IBF世界ライトフライ級統一王者)によるトークバトルが行われた。
筆者と田口は2011年に、最強後楽園ライトフライ級トーナメント決勝で戦っている。その試合では田口が勝利し、後に日本王者となった。
今回はそのリベンジマッチとして、筆者が田口にトークバトルを持ちかけたところ、快く応じてくれた。
数々の激闘を戦い抜いた田口に、木村が本音で迫る。
ボクシングを始めたきっかけ
ーーーまず、田口選手のキャリアを振り返って行きたいと思います。ボクシングを始めたきっかけは何ですか。
田口:昔お父さんとテレビでボクシングの試合を見ていて、ボクシングに興味を持ちはじめました。
最初にみたのが辰吉さんと薬師寺さんの試合で、僕が小学校1、2年生ぐらいだったと思います。
ーーー小学生の時からだったのですね。
田口:はい。小学生の時はいじめられていて自分に自信がなかったのです。
そして、中学1年生の頃『はじめの一歩』を読みまして。
ーーーボクシング漫画ですね。
田口:はい。主人公の一歩がいじめられっ子で彼と自分を重ねていました。
自分も一歩のように強くなれるのではないかと思って、高校からボクシングをやろうと思っていました。
ーーー中学生のときは、ボクシングジムに行ったりしていなかったのですか。
田口:ジムではないですが、中学3年生の秋に大田区で行われたスポーツ祭りに行ってボクシングを始めました。
大田区連盟の方に「2週間に1回、大田区総合体育館でボクシングをやっているから来なさい」と言われて、友達と行っていました。
それと並行して、高1年生の夏から畑山隆則さんと、新井田豊さんが所属している横浜光ジムに通っていました。
ーーー横浜光ジムを選んだ理由は?
田口:畑山さんと新井田さんが好きで、二人が同じジムにいるなら行くしかないと思って。
ーーー憧れの新井田さんとか、畑山さんと何か話したりしましたか。
田口:畑山さんは既に引退されていたので。新井田さんとは挨拶はしていたのですが、いつも緊張してしまいました。
直感でワタナベジムへ
ーーー横浜光をやめた後、ワタナベジムに入ったのですよね。ワタナベジムを選んだきっかけはあったのですか。
田口:友達と山手線に乗っていたら五反田駅に着いて、ホームからジムが見えたのです。
それがワタナベジムでした。ちょうどその時ボクシングジムを探していたので。
ーーージムをですか。
田口:はい。高校を卒業したらどこに入ろうかと考えていたので。近いということもあって、さらには直感ですね。
ーーー初めて行った時、ジムの印象は。
田口:アットホームな感じがありました。
ーーーージムに入ってからどのくらいで、プロデビューしたのですか。
田口:2005年の5月にジムに入って、2006年の2月にプロ試験に合格して、2006年7月にデビューしました。
ーーープロデビューの試合はどうでしたか。
田口:ものすごく緊張していて、3週間前から毎日寝られなくなってしまいました。
ーーーきついですね。
田口:寝ていても勝つ夢や負ける夢を見たりして、起きて心臓がバクバクしていて。当時は、試合がなくなってくれないかなと思うほどでした。
ーーーそうですよね。試合前のボクサーでそう思う人は多いと思います。
田口:振り返ってみると、当時は緊張し過ぎでしたね。ご飯を食べるときも喉に通らなくて。
こんなことを毎回しなければいけないのかと、憂鬱になってしまいました。
ーーープロデビューして、当時はまだ新人とは思いますが、目標や夢はあったのですか。
田口:大きな夢は世界チャンピオンになることでした。
それとトレーナーの洪(ホン)さんのために勝ちたいと思っていました。
洪さんが喜ぶ顔を見たいと思って、ずっと頑張っていました。ボクシングスタイルを確立できたのも洪さんのおかげです。
ーーー洪さんは内山高志さん(元WBA世界スーパーフェザー級王者)のトレーナーも務めていましたよね。
田口:そうです。他に、柴田明雄さん(元日本スーパーウェルター級王者)、船井龍一さん(元日本&WBOアジアパシフィック・スーパーフライ級王者)などチャンピオンになった選手を担当していました。
怪我に悩まされた
ーーープロデビュー戦をTKO勝ちで飾り、そこから順調なキャリアを歩み全日本新人王獲得。そこまでの道のりはどうでしたか。
田口:新人王の準決勝ぐらいから腰のヘルニアを発症してしまい、痛くて夜も寝られない日が続きました。
ーーー怪我に悩まされたということですか。
田口:そうです。試合にはなんとか勝利して、すぐ入院して手術をしました。
ーーー大変でしたね。今は大丈夫ですか。
田口:ヘルニアというのは再発する人が多いのですが、名医の方が手術をしてくれたので今はもう痛みません。
ーーーでは、手術してからは怪我に悩まされず。
田口:そうですね。大きな怪我はありません。
ーーーそれはいつ頃ですか。
田口:2008年の3月です。
ーーーなるほど。
田口:それで4月ぐらいに入院したのです。
全て覚えています
ーーーその後、勝ち進んで行くと最強後楽園。懐かしいですね。2011年の、確か・・・
田口:何月何日とかは覚えてないですか。
ーーーすみません、試合日は覚えていません。
田口:僕は全て覚えています。
ーーーえ!では、問題です。田中恒成選手との試合は。
田口:それは2019年3月16日。
ーーーでは、ミニマム級のチャンピオンになった田中教仁選手との試合は。
田口:それなら2009年12月28日です。
ーーーすごい!全部覚えているのですか。
田口:33戦全て覚えています。
ーーーでは、タイのサンサクダ・ポータサナポン選手と戦ったのは。
田口:2月7日です。
ーーー正解です。すごいですね。
田口:その日まで相手のことを思って、試合まであと何日とカウントダウンして過ごしてきたので自然とですね。
田口は、世界王者のベルトを獲得し、7度の防衛を果たし統一王者にも輝いた。日本タイトル時代には、井上尚弥とも日本人で唯一判定まで持ち込んだ。
そんな実績を持つ、田口でもプロデビュー戦では、寝れなくなったとは驚きだった。
【田口良一 プロフィール】
1986年12月1日 (33)
出身地 東京都大田区
身長 167cm
スタイル 右ボクサーファイター
戦績 33戦27勝(12KO)4敗2分
第35代日本ライトフライ級王者
WBA・IBF世界ライトフライ級統一王者