フィリーズのような「監督が途中で交代しながらリーグ優勝」は何度目!? ワールドシリーズ優勝は…
今年のナ・リーグは、フィラデルフィア・フィリーズが制した。ポストシーズンの3シリーズは、計9勝2敗。どのシリーズも、黒星が先行することはなかった。
もっとも、レギュラーシーズンは、順調ではなかった。ナ・リーグ東地区の首位に立ったのは、開幕直後の4月11日だけ。5月27日以降は、地区2位すらなかった。5月は10勝18敗(勝率.357)に終わり、6月3日には、2020年から監督を務めていたジョー・ジラルディを解任。ベンチ・コーチのロブ・トムソンを監督代行とした。6月からは3ヵ月続けて勝率.600以上を記録したものの、9月以降は14勝17敗(勝率.452)と負け越し、ワイルドカードの3番手として、辛うじてポストシーズンへ進んだ。
ワールドシリーズが始まった1903年以降、シーズン途中の監督交代を経て、リーグ優勝を飾ったのは、今年のフィリーズが延べ9チーム9チーム目だ。リーグ優勝は計238チームなので、その3.8%に過ぎない。なお、1924年にナ・リーグを制したニューヨーク・ジャイアンツでは、ジョン・マグロー(110試合)とヒューイ・ジェニングス(44試合)の2人が采配を振ったが、マグロー→ジェニングス→マグローなので、ここには含めていない。
1947年のブルックリン・ドジャースは、途中解任ではない。シーズンが始まる前に、レオ・ドローチャー監督は、ギャンブルなどを理由に、コミッショナーから1シーズンの停職処分を科された。そのため、代行の監督が決まるまで、クライド・スークフォースが指揮を執った。メジャーリーグにおけるスークフォースの監督歴は、この年の2試合しかないが――この時は監督の仕事を引き受けたくなかったらしい――その1試合目にジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューしている。翌年は、ドローチャーが復帰したものの、シーズン途中にニューヨーク・ジャイアンツへ移籍した。その後、ドジャースでは、レイ・ブレイデス(1試合)を挟み、バート・ショットンが再び采配を振った。
1981年のニューヨーク・ヤンキースは、ジーン・マイケル監督の下、前期に34勝22敗(勝率.607)を記録し、地区優勝を果たした。だが、後期に14勝12敗(勝率.538)となったところで、マイケルは解雇。レギュラーシーズンの残りは、ボブ・レモンが監督を務めた。1975~90年のヤンキースは、16シーズン中9シーズンで監督の途中交代が起きている。その大きな理由は、オーナーのジョージ・スタインブレナー(とビリー・マーティン)にある。
1983年のフィリーズは、86試合を終え、地区首位のセントルイス・カーディナルスとゲーム差なしの2位に位置していた。けれども、貯金が1しかなかったことが気に入らなかったのか――カーディナルスも貯金1だった――GMのポール・オーウェンスは、監督を務めていたパット・コラレスを解任し、その後任に自身を据えた。
なお、過去の8チーム中、ワールドシリーズ優勝を成し遂げているのは、1978年のヤンキースと2003年のフロリダ・マーリンズの2チームだ。それぞれ、レモンとジャック・マッキーンが率いた。
また、シーズンの途中から指揮を執り、リーグ優勝の時点でも監督の座にいた8人のうち、ショットン以外の7人は、同じチームの監督として翌シーズンの開幕を迎えた。来シーズン、トムソンはその8人目となる。フィリーズは、ワイルドカード・シリーズとディビジョン・シリーズの間に、トムソンと2年間の延長契約を交わしたことを発表した。