モンテネグロからNBAに挑んだ213センチのセンター
ニコラ・ブーチェビッチ(30)は、ハーフタイムにコートでシュートを繰り返していた。無観客のアリーナに、ボールがバウンドする音と選手たちの声が響く。
2月9日、ポートランド、モダ・センター。2Q終了時、ブーチェビッチはオーランド・マジックで最長の17分6秒間プレーし、10得点8リバウンドをマークしていた。
リバウンド8は、両チームを通じて最多である。43-50でトレイルブレイザーズにリードを許していたマジックが逆転するには、ブーチェビッチの働きが鍵となるのは明らかだった。
スターティングのセンターとしてコートに立った、チームナンバーワンの高給取りが、ハーフタイムにシュート練習をこなすーーーブーチェビッチの覚悟が伝わってくるかのようだった。
ブーチェビッチは愚直なまでに、シュートを繰り返し、一通りそれを終えるとドリブル練習に移った。足の運びがドタドタしており、お世辞にも華麗なタイプとは言えない。それでも、必死さが彼の人柄を物語っているように見えた。
後半、流れを自軍に呼び寄せるために、15分間のハーフタイムでやれることをやっていたのだ。
モンテネグロ出身のブーチェビッチは、今シーズンがNBAで10年目となる。年俸2600万ドルの彼は、2011年のドラフト全体16位でフィラデルフィア・セブンティシクサーズに入団。
翌シーズン、マジックに移籍し、以降8年を過ごすなか、チームの顔となった。年俸だけでなく、213センチ、118キロとサイズもチーム内で一番大きい。
元プロバスケットボール選手の父を持ち、1990年10月24日に生まれたブーチェビッチは、父がプレーしていた、スイス、ベルギー、ユーゴスラビアで育った。母親も元ユーゴスラビア代表選手である。
2006年、ブーチェビッチ一家はモンテネグロに移住する。様々な国で過ごしたブーチェビッチは、英語、フランス語、セルビア語を操る国際人だ。両親の遺伝子を受け継いだ彼は、バスケットボール選手として頭角を現し、高校卒業間際に本場アメリカに渡る。
南カリフォルニア大で3年間活躍し、4年生を待たずにNBA選手となった。
ブーチェビッチは決して派手な選手ではないが、地道にスクリーンをかけ、リバウンドを拾い、自身もシュートを決めた。岩のように相手の前に立ちはだかるプレーは見応えがある。また、転倒したチームメイトに直ぐに駆け寄って手を差し出すシーンは、異国の地で生き抜いてきた彼の人間力を感じさせた。
しかしながら、東地区13位と、今シーズンなかなかギアが入らないマジックは、この日も反撃のきっかけを見出せない。
ブーチェビッチは結局、マジック一である41分6秒プレーし、27得点、15リバウンドとダブルダブルを記録したが、97-106でブレイザーズに敗れた。彼はディフェンス力を武器にNBAで生き残って来た感がある。15リバウンドのうち、ディフェンスリバウンドが13、オフェンスリバウンドは2であった。
2日後のゴールデンステイト・ウォーリアーズ戦でも、ブーチェビッチは25得点13リバウンド(そのうちディフェンスリバウンドが12)と気を吐いたが、チームは105-111で黒星を喫した。
モンテネグロからやってきたブルファイター、ニコラ・ブーチェビッチ。今日のマジックで、最も客を呼べる選手と言っていい。2019年にはオールスターにも選ばれた背番号9が、東地区15チーム中下から3番目(米国東時間12日21時の時点)という順位に満足できる筈もない。
ブーチェビッチは、いかなる闘志を見せるのか。