【オートバイのあれこれ】270度クランクの伝道師。
全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。
今日は「270度クランクの伝道師。」をテーマにお送りします。
1995年(平成7年)、ヤマハから独創的なスポーツバイクが登場しました。
『TRX850』です。
イタリアンバイクのようなトラス型フレーム、独特な造形の外装パーツ(カウル)、そしてバルブの数が5つの水冷並列2気筒エンジン…。
’95年というと、カワサキ『ゼファー』に端を発するトラディショナルな4気筒ネイキッドモデルと、大型二輪に対する規制緩和(ナナハン解禁/限定解除制度撤廃)を背景にリッターバイク(1,000cc級のモデル)が人気を集めていた頃ですが、ヤマハはトラディショナルなスタイルでも、リッタークラスでもないTRX850をリリース。
TRXは当時の“売れ線”からは完全に逸脱していたわけですが、そんな異端的なモデルをなぜヤマハが作ったのかというと、ヤマハのエンジニアたちが2気筒スポーツの可能性に興味を抱いていたからです。
’90年代、市販車ベースのマシンで争われるWSBK(スーパーバイク世界選手権)において、Lツイン(L型2気筒)エンジンを搭載するドゥカティが驚異的な強さを見せていました(’93年と’97年以外の8シーズンは全てドゥカティライダーがチャンピオン)。
2気筒マシンが世界トップレベルのレースで大活躍する様子を見ていたこと、そしてまた、社内でダカール・ラリー(パリダカ)参戦マシン用のパワーユニットとして2気筒エンジンを研究し続けていたこともあり、ヤマハは思い切って“走り重視”の2気筒のオンロードスポーツモデルを作ることにしたのです。
いわばTRXは「ヤマハのエンジニアたちの好奇心から生まれた意欲作」と言っても差し支えないでしょう。
そんな出自をもつTRXですから、車体のディテールには見どころが満載。
先ほど挙げたトラスフレームやスタイリングデザインもそうですが、とくに興味深いのが、エンジンのクランクシャフトに270度クランクが採用されていたことです。
これは元々ラリーレーサー『テネレ』の開発過程で生まれた技術で、トラクション性能(駆動力)に優れ、またライダーが「トラクションしている」ことを感じ取りやすいのが最大の強みでした。
後輪が路面を蹴る感覚を掴みやすい、言い換えれば「グリップ感が豊かである」ことはバイクのコントロールのしやすさにつながり、これが公道でのファンライドにも寄与すると考え、ヤマハはTRXへ270度クランクを投入したのです。
結果的にTRXは、市販車では初の270度クランク採用モデルとなりました。
またついでながら、TRXのエンジンヘッドには気筒あたり5つのバルブ(吸気3/排気2)が備わっていたのもポイントです。
’80年代に誕生したヤマハ独自の開発思想『GENESIS(ジェネシス)』に基づく設計で、高効率な燃焼を実現していました。
フレームに関しては、パラツインエンジンによって得られた車体のスリムさスポイルしないこと、そしてレプリカモデルほどの高剛性は不要だったことから、見た目のうえでも面白味のあるトラスフレームが選ばれたのでした。
このように、TRXはヤマハの独創性が随所に息づく味わい深いオートバイだったと言えます。
しかし、そんなヤマハの意欲が世間に受け入れられたかというと、そうでもありませんでした。
やはり当時のネイキッドブーム&リッターバイクブームからは外れたキャラクターだったこと、そしてまた、その作りや雰囲気が、当時人気を博していたドゥカティ『900SS』とよく似ており、「ドゥカティのモノマネ」などといった辛口評価が飛びかったことなどもあって、TRXはまとまった支持を集められなかったのです。
たしかに、外観は(流行りを過ぎていた)レプリカ寄りのテイストで、排気量も1,000ccクラスが一般化するなか、850ccという微妙なサイズ。
さらに基本フォーマットも“トラスフレーム+ツインエンジン”という、ドゥカティとほぼ「丸カブリ」の構成。
バイクのスタイルが多様化している現在であればとくに気にならないのでしょうが、まだまだ世間の価値観に広さがない当時にあって、TRXのオリジナリティはなかなか受け入れられづらかったと言えるでしょう。
とはいえ、TRXに存在意義が無かったということでは決してなく、270度クランクのエンジンがもたらすライディングフィールは一部の「ツウな」スポーツ派ライダーに好評で、これ以降、市販オートバイに270度クランクの採用例がどんどん増えていくこととなりました。
270度クランクの魅力を世のライダーへ広く伝道してくれた最初の存在が、このTRX850だったのです。
画像引用元:ヤマハ発動機/Ducati