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中村俊輔とスパイクとホペイロの物語

二宮寿朗スポーツライター
2015年シーズン、直接FKを3本決めた中村俊輔。その左足は衰えを知らない(写真:築田純/アフロスポーツ)

一流の職人は、商売道具に「魂」を吹き込むという。

サッカーの世界とて同じ。名キッカーとして鳴らす中村俊輔は、スパイクに誰よりもこだわりを持つ。

横浜F・マリノスの大黒柱である彼は昨年、Jリーグの舞台で直接フリーキックを3度、鮮やかに決めている。

一発目のゴールが7月19日のガンバ大阪戦、1-2で迎えた後半アディショナルタイムだった。ゴールまで約25m、ほぼ正面の位置から彼は7枚並んだ壁をスレスレで越え、鋭く落とすキックでゴール左隅に放り込んでいる。セルティック時代の『魔法』を知る欧州のメディアが取り上げるほど、反響は大きかった。

そのときのスパイクが、もう5年以上も使っている革製のビンテージものだったことをご存知だろうか。革を覆う紫色が、どことなく色褪せていた。

新しいスパイクも、古いスパイクも愛用している。常備しているのは10足ほどとか。前半と後半でスパイクを替えるのも中村ならではの特徴。汗でキックに微妙な影響を及ぼさないためである。

特別に大切と位置付ける試合では思い入れのある古いスパイクを選ぶことがよくあるそうだ。くたびれた紫色はそのうちの一つ。1年で4、5試合ぐらいしか履いていないという。

このゴールが生まれた一カ月ほど前、いくつかのビンテージクラスのスパイクを見せてくれたことがあった。

思い入れが強いのは、ただ履き慣れているということが理由ではない。

「魂を吹き込んできたというのはあるよ。野球ならグローブとかバットとかあるなかで、サッカーは自分に刺激を入れる物ってスパイクしかない。助けてくれたり、モチベーションを上げてくれたりしてくれる凄く大切な存在だと思うから」

紫のスパイクをまじまじと見ていくと、かかとのプラスチック部分にちょっとした補修のあとがあった。

「シンがうまく直してくれた。感謝しているよ」

シンとはチームのホペイロ(用具係)を務める山崎慎を指す。スパイク、練習着、ユニホーム、ボールなど用具を一括で管理する裏方の仕事をこなしている。

スパイクの管理といっても、ただ保管して、試合会場に運んでロッカールームに並べるのが仕事ではない。試合後は紐を取って丸洗いして、乾燥機で一足ごとかわかすという。愛情をこめて丁寧にクリームを塗り、紐を通す。手間も時間もかかるのだ。

先日、チーム練習を終えてせっせとホペイロの仕事をしていた山崎に声を掛けた。あの紫色のスパイクのことを聞きたいと思っていた。

「シュンさんのあの紫のスパイクですか? かかとのところが相手に踏まれて直径1cmほどプラスチックのところが割れてしまっていました。思い入れが強いのは知っていましたから、気をつけながら補修したんです。

一つのスパイクを、あんなに長く使う人ってなかなかいないんじゃないですか。革なのでどうしても段々とカピカピになってきて、足を入れても完全にはフィットしなくなってくるんです。念入りにクリームを塗るしかないんですけど、多分、パーフェクトな感じではなくなっているところもあって年に4、5試合しか履かないんだと思います」

誰かのスパイクを優しく触りながら、28歳のホペイロはリスペクトの念をこめるようにして言った。

スパイクに魂を吹き込んできた中村からすれば、信頼なくして大切なものを預けることはできない。レッジーナ時代にはスパイクを自分で洗うことで、周囲に驚かれたこともあるほど。2010年、エスパニョールから横浜に復帰した当初は「預けてもらえなかった」と山崎は述懐する。

「練習に履いていたスパイクを試合前日に預かって、みんなのものと一緒に試合会場に運んでいただけ。それまでは丸々、管理をやらせてもらっていなかったんです。いつからか、1足預けてくれるようになり、2足、3足と増えていきました。やっぱりうれしかったですね。特に革のスパイクは、磨いていて面白いんです。大変ですけど、スパイク(の管理)に関しては苦に感じたことがないんです」

スパイクへの愛情ある接し方を、中村も見ていたに違いなかった。

その年の8月、アウェーの清水エスパルス戦だった。試合前日に、新しい紫のスパイクで練習していた中村に冗談っぽく頼まれた。

「シン、明日の試合でFKが入るように磨いといてよ」

念入りに磨いてから、試合当日に言葉を返した。

「シュンさん、FKが入るように磨いておきましたから」

後半、中村は本当にペナルティーエリア右からゴール右隅に決めてみせた。日本に復帰にして初めてのFKからのゴール。南アフリカW杯では先発から外され、悔しさも味わった。巻き返しを図る意味でも価値ある一撃となった。

ゴールが決まるとしゃがみこんで、左足のスパイクを何度も何度も右手で叩いた。そこには山崎への感謝がこめられていた。

あれから5年が経ち、他のビンテージと同様に紫のスパイクを履く回数も限られるようになった。

試合前には、履きそうなスパイクをロッカーに4足ほど並べておくのが常。だが、山崎は何があってもいいように中村の10足ほどのスパイクすべてを会場に持ちこんでいる。あのガンバ戦、紫のビンテージは最初の4足には入っていなかった。だが試合会場に到着してから中村の直感が働いたのか「紫のスパイクを用意しておいてほしい」と頼まれて、すぐさま準備した。

「シュンさんがいつ履いてもいいように、どのスパイクも用意しておきます。あのガンバ戦は、チームにとってかなり大事な試合だと位置づけていたんじゃないでしょうか。出してくれと言ったスパイクで、本当に決めてしまうんですからね……やっぱり凄い人だと思います」

ホペイロは試合中でも、やるべき仕事が山ほどある。試合を見ることができるのは最後の5分間ほどだという。後半アディショナルタイムに決めたガンバ戦のゴールは、山崎自身も目に焼きつけることができた。色褪せたスパイクが、彼の目には輝いて見えた。

味があり、歴史があり、そして魂がこめられている。

中村俊輔のビンテージは今年も健在である。

信頼厚いホペイロが愛情を持って、今日もスパイクを磨き上げているのだから――。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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