二刀流の系譜を受け継ぐエンゼルスの17番を選んだ大谷
「本当は27番にしようかなと思ったんですけど、埋まっていたので17番にしました」
ロサンゼルス・エンゼルスの入団会見で、背番号17番を選んだ理由をそう説明して、集まった報道陣やファンを爆笑させた大谷翔平。エンゼルスの27番は、メジャーリーグを代表するスーパースターのマイク・トラウトが背負う番号。入団会見と同じ日に結婚式を挙げたチームメートをイジることで、早々とエンゼルス・ファンの心を掴み取った。
エンゼルスで17番を着けるのは、大谷が27人目となるが、この番号はメジャーリーグでも二刀流に挑戦する大谷にとても相応しい番号だ。
初代17番のフレゴシは選手と監督の『二刀流』
初代17番は、球団が創設された1961年に1シーズンだけ17番を着けたジム・フレゴシ。遊撃手としてオールスター戦に6度も選ばれた守備の名手は、エンゼルスの殿堂入りを果たしている。大谷がファイターズで背負っていた11番はエンゼルスの永久欠番だが、実は1962年からフレゴシが11番を背負い、1998年に永久欠番となった。
フレゴシは現役を引退してからエンゼルスの監督に就任して、1979年に球団初の地区優勝に導いた。1993年にはフィラデルフィア・フィリーズを率いてワールドシリーズに出場するなど、指揮官としても実績を残した。
「オールスター遊撃手」と「ワールドシリーズ監督」の『二刀流』を成し遂げたフレゴシが17番を着けたのは1年だけで、永久欠番になった11番のイメージが強い。
アースタッドは野球とアメフトの『二刀流』
エンゼルスの歴代17番として多くのファンが名前を挙げるのは、1999年から2006年まで17番を着けてプレーしたダーリン・アースタッドだ。
2000年にメジャー歴代13位タイとなるシーズン240安打を放ったアースタッド。過去80年間でシーズン240安打以上を記録したのは、アースタッド、イチロー(2度達成)、ウェイド・ボッグスの3人しかいない。
2002年には2番センターとしてエンゼルス初のワールドシリーズ優勝に大きく貢献。優勝を決める最後のアウトを捕ったのもアースタッドだった。
センターでは広い守備範囲を誇る名手として名を馳せ、ゴールドグラブ賞を2度獲得。2004年に一塁手へ転向すると、転向1年目にゴールドグラブ賞に選ばれて、メジャー史上初となる内野手と外野手の両方でゴールドグラブ賞に選ばれた『二刀流』選手となった。
アースタッドの『二刀流』だが、実は内野手と外野手の二刀流だけでない。
野茂英雄がメジャーリーグにデビューした1995年のドラフトでエンゼルスから全体1位指名を受けたアースタッドは、プロ入り前から大きな期待を受けていた。
高校時代には投手と打者の『二刀流』として、ノースダコタ州の年間最優秀アスリートに選出。野球だけでなく、アメリカンフットボール、アイスホッケーでも活躍して、陸上ではハードルで州大会を制しているほどのスポーツ万能選手だった。
高校卒業時にニューヨーク・ヤンキースからドラフト指名を受けたが、ネブラスカ大学に進学。ネブラスカ大学では野球とアメフトの『二刀流』として活躍。ネブラスカ大学は大学アメフト界の強豪で、1994年には全米チャンピオンに輝き、アースタッドはパンターとして全米制覇に貢献した。
数多くの二刀流選手を育てたアースタッドからのメッセージ
野球とアメフトの『二刀流』で頂点に立ったアースタッドは、現役引退後に母校のネブラスカ大学の野球部監督に就任。監督としての手腕も高く評価されており、2015年オフにはロサンゼルス・ドジャースの監督面接を受け、最終候補まで残りながらも、辞退を申し出た。
アースタッドは大学で数多くの二刀流選手を育て上げた実績も持ち、今年のドラフトでは大学通算成績が投手として17勝4敗、打者としても打率.307、135安打を記録したジェイク・メイヤーズがヒューストン・アストロズに入団した。
一口に二刀流選手と言っても、それぞれが違ったタイプの選手なので、「選手のタイプを見極めながら、その選手に最適な育成方法を探し出していく」とアースタッドは二刀流選手の育成方法を説明する。
休息の面では大学生よりもメジャーリーガーの方が恵まれていると主張するアースタッドは、メジャーレベルでも二刀流は可能だと考えているようだ。大学生はスポーツだけでなく、学業も大切なので、日中は授業を受けないとならないし、練習後には宿題もある。
「学生は睡眠も不規則だが、メジャーリーガーはシーズン中の練習時間も少ないし、移動日以外は睡眠時間も十分に確保できる」
大谷がメジャーリーグでも二刀流として成功を収めれば、大学で二刀流をしている選手たちにも新しい扉を開くことに繋がる。
『二刀流』というキーワードで、エンゼルスの新旧背番号17の人生が交差していく。