戦後の日本漁業の歴史 その3 200海里時代の漁業のあり方
200海里のEEZは、世界の漁業に構造的な転換をもたらしました。EEZが導入される前後で、漁業と漁業政策のあるべき姿が180度転換したのです。
焼き畑漁業のチャンピオンだった日本
公海自由の時代は、沿岸国には、他国の乱獲を抑止する手段がありませんでした。数マイルの領海内に分布する小規模資源以外は、国家主導の漁獲規制は成り立たなかったのです。当時の漁業の最適解は、他国の漁場で乱獲をして、魚が減ったら別の場所に移るという『焼き畑漁業』でした。
1970年代までの日本は、高い漁獲能力と安い人件費を背景に、世界中の漁場に進出していました。中国を始めとする途上国は、動力漁船を持っていなかったために、日本は一方的に途上国の沿岸資源を利用できたのです。日本は安い労働力と豊富な国内需要を背景に、焼き畑漁業の世界チャンピオンだったのです。逆に、世界最強の日本船団がひしめく日本近海にわざわざ攻めてくる他国の漁船は皆無でした。当時の日本は、公海自由の原則のメリットを一方的に享受していたのです。
200海里のEEZが設定されたことで、焼き畑漁業が不可能になりました。その一方で、自国の漁場から外国船を排除できるようになったために、沿岸国主導の漁業管理が可能になりました。焼き畑漁業に代わって、資源管理型漁業という新しい可能性が芽生えたのです。
どうして乱獲をするのか?
「適切な規制がない漁業は衰退する」というのは、昔からよく知られています。20世紀の技術革新を経た人間の漁獲能力は、自然の生産力を遙かに上回っています。みんなで競争して魚を獲れば、魚はどんどん減ってしまいます。これまでの獲り方では十分な魚が捕れなくなるので、網目を小さくしたり、操業回数を増やしたりして、収入を確保しようとする。その結果、ますます魚が減って、ますます頑張らなければならなくなるという悪循環に陥ります。
この悪循環は個々の漁業者には打破することが出来ません。例えば、意識が高い一部の漁業者が乱獲を止めたところで、他の誰かが獲り尽くしたら、資源は守れません。「俺が獲らなくても誰かが獲るかもしれない」という状況では、皆が疑心暗鬼になり「だったら獲っておこう」となってしまいます。都道府県や国をまたぐような回遊性の資源は、残しておいても後で自分たちが獲れる保障がないので、「獲れるうちに獲っておけ」となりがちです。これらの水産資源が乱獲されてしまうのは、漁業者のモラルの問題ではなく、適切な漁獲規制が無いことが問題なのです。
持続的な漁業の必要条件
乱獲を避けて、漁業の生産性を維持するには、以下の三点が必須です。
1)自然の生産力を科学的に把握する(資源評価)
2)生産力の範囲に漁獲を制限する(実行性のある規制)
3)水産物の付加価値付け(マーケティング)
魚をどれだけ獲って良いかを把握するには、科学的な調査が不可欠です。また、実際の漁獲を資源の生産力の範囲に収めるには、実効性のある規制が必要なのです。海の上は監視が行き届かないので、実効性のある漁獲規制をするのは、そう簡単なことではありません。漁業者全員が安心してルールを守るには、規制が守れていることを確認できる透明性も要求されます。さらに、限られた漁獲量で利益を確保するには、マーケティングによる水産物の価値向上も必須になります。
EEZの導入による世界漁業の構造的変化
以上のこと整理すると、下の表のようになります。EEZが設定されたことで「海外漁場収奪型漁業」から、「自国漁場の持続的有効利用」へと、世界の漁業の構造が移行しました。適切な漁業政策も、従来のより早く多く獲るための技術革新から、自国資源の持続的有効利用(科学的アセスメント、適切な漁獲規制、マーケティング)へと移行していきます。
EEZの導入によって、漁業のあるべき姿が大きく変わりました。世界の漁業国は、資源の再生産に必要な産卵親魚を残した上で、利益が得られる漁業への転換を模索していきます。この構造的な変化に対応できた国では、漁業が利益を生む成長産業へと変貌していきます。次回は、他の漁業国がどの様にして変化に対応したのかを説明したいと思います。