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ハリス副大統領が副大統領候補に選んだウォルツ・ミネソタ州知事は何者か、選挙にどんな影響を与えるのか

中岡望ジャーナリスト
民主党の副大統領候補に指名されたティム・ウォルツ・ミネソタ州知事(写真:ロイター/アフロ)

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■大統領選挙で副大統領候補はどんな役割を果たすのか/■トランプ前大統領がバンス上院議員を同伴者に選んだ理由/■ハリス副大統領がウォルツ知事を副大統領候補に選んだ理由/■ウォルツ知事の興味い経歴―「ハリス・ブーム」は続く

■大統領選挙で副大統領候補はどんな役割を果たすのか

 8月6日の早朝(現地時間)、アメリカのメディアは一斉にハリス副大統領が副大統領候補にティム・ウォルツ・ミネソタ州知事を選んだと報道した。本記事の執筆時点では、まだハリス副大統領の正式な声明は出されていない。8月19日から開催される民主党全国大会でハリス副大統領は各州の代表のほぼ99%を獲得しており、正式に大統領候補に指名される。同時にウォルツ知事も民主党の副大統領候補に指名されることになる。これで大統領選挙は「ハリス・ウォルツ対トランプ・バンス」の闘いになる。

 この一週間、ハリス副大統領が誰を副大統領候補に選ぶかがメディアの最大の焦点であった。従来、副大統領候補の選択はメディアではあまり注目されてこなかった。有権者は副大統領候補が誰であるかによって投票行動を変えることはないからである。

 やや古い調査であるが、2010年にカリフォルニア大学が行った2004年と2008年の大統領選挙の調査では、副大統領候補が好ましくないという理由で別の党の大統領候補に投票した有権者の比率は0.6%に過ぎなかった(2017年8月14日、『the Journalist’s Resource』)。その背後に、アメリカの政治において副大統領の果たす役割が極めて小さいという事実がある。副大統領が果たす最大の役割は、大統領が暗殺された時や、何等かの理由で死亡した時に、大統領継承順位が第1位であることと、一時的に大統領が公務執行不可能に陥った場合、大統領の公務を代行することである。もうひとつ副大統領の重要な役割を付け加えると、副大統領は上院議長を務め、上院の票決が同数になった場合、最後の1票を投じる権限を持っていることだ。

 通常、大統領候補は、副大統領候補を選ぶとき、選挙でどんな貢献ができるかで判断すると言われている。端的に言えば、大統領候補の“弱点”を補ってくれる候補を選ぶことだ。例えば、南部での支持が弱い大統領候補は、南部に地盤を持つ人物を副大統領候補に選ぶ。大統領選挙の結果は「激戦州(swing state)」の投票結果できまる。「激戦州」は大統領選挙の度に支持政党が変わる州である。具体的には、ペンシルバニア州、ミシガン州、ウィスコンシン州、テキサス州などの州である。民主党の州は常に民主党の候補に投票し、共和党の州は常に共和党の候州」の有権者の投票行動に影響を与える可能性の強い人物(その州出身の人物など)を副大統領候補に選ぶ傾向がある。

 また思想的にも、リベラル派の大統領候補は穏健派や中道派の人物を副大統領候補に選び、支持基盤を広げようとする。保守派の大統領候補は中道派の人物を大統領候補に選ぶ傾向が見られる。しかし、政治学の専門家は「そうした理論はまったく根拠がない」と指摘する(『NPR』、2024年7月25日、「Vice presidential picks: How much do they matter」)。

 人種的な要素やジェンダー的な要素は重要であるとの指摘もあるが、1984年の大統領選挙では民主党の副大統領候補は女性のジェラルディン・フェラーロであり、2008年の大統領選挙では共和党の副大統領候補はサラ・ペイリンであったが、それによって女性票が増えたというデータは存在しないという。

 同記事は、有権者が注目するのは、副大統領候補の「政治的経験」と、「大統領職を務める能力」であると指摘している。また、従来、副大統領は“お飾り的な存在”であったが、最近では政策策定に積極的に関与するようになっている。たとえばブッシュ政権の時のチェイニー副大統領は実権を持った副大統領であったと言われている。

■トランプ前大統領がバンス上院議員を同伴者に選んだ理由

 誰が副大統領になるかで選挙結果が変わる可能性は極めて低い。ただ大統領候補が誰を副大統領候補に選ぶかで、大統領候補の「政治的イデオロギー」を理解することはできる。トランプ前大統領はバンス上院議員を副大統領候補に選んだ。共和党内には、バンス議員は労働者階級出身で白人労働者や、農村部の有権者にアピールできると考えた。それが、実際に効果がある選択だったかどうかは分からない。だがトランプ前大統領が自分よりもはるかに「権威主義的な国家」の再構築を目指すバンス議員を選んだということは、トランプ前大統領の目指す政府観を反映していると言える。

 バンス議員は連邦レベルでの中絶の完全禁止やLGBTQに対する差別の容認、女性蔑視発言などが問題になっている。トランプ陣営は大統領選挙での最大の焦点は中絶問題であるとの立場から、中絶禁止に関する立場を後退させてきた。だが、バンス議員はトランプ陣営の意向に反して中絶問題に限らず、様々な問題で極めて極右的な発言を繰り返している

 トランプ前大統領がバンス議員を同伴者に選んだ時、共和党は民主党の大統領候補はバイデン大統領であると想定していた。公開討論会でのバイデン大統領の失態もあり、トランプ陣営は早々と勝利を確信していた。選挙広告では「もしバイデンが勝てば、2030年まで生き残ることができるのか」と有権者に訴えた。共和党の全国大会で党の結束を謳い上げ、トランプ陣営は早々と“勝利の美酒”に酔っていた。そうした状況でバンス議員は副大統領候補に選ばれた。トランプ前大統領はプロテスタント保守派のエバンジェリカルや自らの支持基盤である「MAGA運動」の地盤固めを優先した。トランプ前大統領とバンス議員の組み合わせは「右翼と極右の組み合わせ」であった。支持基盤を拡大するよりも、”深化”させる道を選んだ。

 だがバイデン大統領が選挙からの撤退を発表し、ハリス副大統領が出馬することが決まり、トランプ陣営の選挙戦略が完全に崩れてしまった。トランプ陣営はバイデン大統領の年齢問題を攻撃し、それが奏功していた。だがハリス副大統領の登場で、今度はトランプ前大統領が高齢問題で攻撃されると予想され、立場は逆転する。

 そして極右の立場を主張するバンス議員は、トランプ陣営にとって足枷となってしまった。トランプ前大統領が当選しても、高齢であり、何等かの理由でバンス議員が大統領職に就く可能性がある。そうした事態が起これば、バンス議員は「トランプ後の共和党」を支配する可能性も出てくる。

 結果的に、共和党にとって、副大統領候補の選択は選挙に影響を及ぼしかねない重要な意味を持っている。トランプ陣営では、バンス議員を副大統領に選んだのは間違いであったとの見方が強まっている。トランプ陣営は、バンス議員を副大統領候補にしたことで、無党派層を失う可能性がある。

■ハリス副大統領がウォルツ知事を副大統領候補に選んだ理由

 ではハリス副大統領は、なぜウォルツ知事を副大統領候補に選んだのか。保守派のメディア『ナショナル・ジャーナル』は、ハリス副大統領が“進歩的な(progressive)”なウォルツ知事を選んだ理由は「党内の極左勢力をなだめ、大統領選挙で勝利するために必要な中西部の州の人々にアピールするためだ」と指摘している。さらに同記事は「ハリスは党内の進歩派の支持を取り付けることを狙った」とも説明している。その説明は説得力があるのだろうか(注:アメリカでは「リベラル派(liberal)」という言葉は人気がなく、一般的に「進歩派(progress)」という言葉が使われる)。

 ハリス副大統領が大統領選挙への出馬を表明した直後から、誰が副大統領候補になるのかがメディアの最大の焦点であった。候補者と見られていた中から、最終的にアリゾナ州選出のマーク・ケリー上院議員、ジョシュ・シャピロ・ペンシルバニア州知事とウォルツ知事の3人に絞り込まれ、先週末、ハリス副大統領は、この3人と直接面談を行っている。メディアが取り上げた候補者の中で、ウォルツ知事は全国的な知名度は低く、最も注目されていない人物であった。

 「激戦州」であるペンシルバニア州の勝利を考慮するなら、シャピロ知事が最有力であった。同様に激戦州のアリゾナ州での勝利を目指すなら、ケリー議員が最適であった。事実、メディアの議論ではシャピロ知事が最有力候補者として挙げられていた。ミネソタ州は「激戦州」ではない。ミネソタ州は1960年以降、共和党の大統領候補を選んだのは1度だけである。

 だがハリス副大統領はミネソタ州知事を同伴者に選んだ。まずカリフォルニア州出身のハリス副大統領は中西部で知名度が低いうえ、「サンフランシスコのリベラル」と恐れられており、そうした中西部の有権者の恐れをながめ必要があった。ハリス副大統領にとって中西部出身の人物を副大統領候補に選ぶことは絶対に必要であった。またハリス副大統領は副大統領候補選考に当たって、行政経験があること、ウィスコンシン州やミシガン州で存在感を示せる人物を基準にしていた。

 最有力候補と見られていたシャピロ知事はユダヤ人で、イスラエル・ハマス戦争でイスラエル寄りの発言を行い、進歩派から批判されていた。これに対してウォルツ知事は、大学キャンパスにおける反イスラエル運動に同情的な態度を示していた。ハリス副大統領にとって大学生などの若者層を支持基盤に取り込むことは重要であった。様々な政治的条件を満たす人物として、ウォルツ知事が浮上してきた。

 同知事はネブラスカ州の田舎の出身で、ミネソタ州では農村地域を代表する政治家である。同時に民主党知事会の会長を務める人物でもある。

 ハリス陣営の担当者は、ハリス副大統領が候補者と面接した際に「ウォルツ知事は中西部の根性と感覚を持っており、その魅力は中西部を越えている」と、彼に関する印象を語っている。さらに「ウォルツ知事は穏健派とも良好な関係を持っており、これはハリス副大統領に欠けているものだ」とも語っている。またハリス陣営は、激戦州の農村地域での活動を強化する方針を出している。「ウォルツ知事は中西部の裏庭のバーベキュー・パーティで出会うような素朴な男性」と言われるように、人々が親しみを感じる人物で、労働者階級の出身を売り物にする共和党のバンス議員と対決するには最適な人物である。

 まだ確定していないが、共和党のバンス議員と公開討論会をすることになるだろう。議論で勝つ可能性を持っている。ウォルツ知事は、トランプ前大統領とバンス副大統領候補に関して、7月にMSNBCのインタビューで「泥棒貴族である不動産屋(=トランプ)やベンチャー・キャピタリスト(=バンス)は、私たちを理解していると言っているようだが、私たちが何者であるか知らない」と痛烈な批判を行っている。

 同知事は、ミネソタ州でマリファナの合法化、中絶権の保護、LGBTQの権利の拡大、低所得者層の子供のミネソタ大学の授業料無償化、学童への朝食と昼食の無料提供などを実施している。州職員の採用に際して75%を大卒の資格を撤廃する決定も行っている。子供を飢えから解放し、女性の医療を保証し、不法移民の自動車免許取得を認め、銃の譲渡の際の身元調査を拡大するなどの政策を実施している。ウォルツ知事は、保守派がこうした政策をリベラルであると批判するなら、「自分は喜んでリベラルのレッテルを受け入れる」と、7月28日のCNNのインタビューで語っている。インテリの進歩派ではなく、草の根の進歩派である。

 またトランプ前大統領を「奇妙な人物」や「いじめっ子」と批判し、「自分は教師として、いじめっ子は自信がなく、力もないことを知っている。彼らは何も持っていないのを知っている」と批判している。

■ウォルツ知事の興味い経歴―「ハリス・ブーム」は続く

 ウォルツ知事は1964年にネブラスカ州ウエスト・ポイントで生まれた。両親は学校長とコミュニティ活動家である。両親は彼に勤勉さの価値とコミュニティ奉仕の重要さを教えた。高校卒業後、一時、工場で働いた経験がある。17歳の時に陸軍州兵に入隊、24歳の時に退役している。イラク戦争の時、「Enduring Freedom作戦」を支援するために、イラクに派遣されている。

 1989年にネブラスカ州のシャドロン州立大学で教職の学位を取得し、1989年から1990年まで中国の高校で教えた経験がある。中国から帰国すると、ネブラスカ州の高校で教鞭を取る。1994年に結婚し、1996年に妻の故郷のミネソタ州に転居した。その後10年間、高校で教鞭を取る一方、フットボールのコーチとして活動する。人生の大半をネブラスカ州とミネソタ州の田舎で過ごす。2006年に連邦下院議員選挙で共和党候補を破り、政界に入る。下院議員を5期務めた後、2018年に州知事選挙に出馬して当選を果たした。2022年に知事選挙で再選を果たした。そして今回、副大統領候補に選ばれた。法科大学院を卒業していない唯一の副大統領候補である。

 今、民主党は「ハリス・ブーム」に沸いている。バイデン大統領の年齢問題が重くのしかかり、民主党支持者は長い間、重苦しい状況に置かれていた。空を覆っていた暗雲が一気に取り除かれ、民主党支持者は開放感を味わっている。8月19日から始まる民主党全国大会へ向け、民主党支持者は盛り上がるだろう。

 他方、共和党は全国大会で党の団結を示し、バイデン大統領に勝利すると確信していた。だがバイデン大統領が去り、ハリス副大統領が登場してきたことで、トランプ陣営の選挙戦略が完全に崩れてしまった。どう選挙戦略を立て直すか、共和党は苦慮している。

 「ハリス・ブーム」がいつまで続くか分からないが、ウォルツ知事の登場は「ハリス・ブーム」にさらに勢いを付けることになるのは間違いない。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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