波乱の東海地区のセンバツ選考 ある客観的事実が存在!
センバツ選考会から数日経っても、東海地区の「不可解な」選考結果にネット上では、疑問、非難の声が止まない。筆者も多くの人から「なぜ?」という声を聞き、検証してみた。そして、ある客観的事実が存在することに気付いた。
4強チームが準優勝を逆転
まずは、今回の東海の選考過程を振り返ってみたい。昨秋の東海大会は、35年ぶりの静岡勢同士の決勝となり、日大三島が6-3で聖隷クリストファーを破った。静岡2校とはいえ、レベルの高い東海で逆転勝ちを重ねた聖隷の実績にケチをつける要素はなく、静岡2校は確実とみられていた。しかしいざふたを開けてみると、5-10のスコアで日大三島に準決勝敗退を喫していた大垣日大(岐阜)が逆転し、聖隷は補欠校に回った。
個々の力量や甲子園で勝てるチームが根拠
その根拠についての説明は、かいつまんで言うと以下の通り。「静岡同士は考慮に入れていない。選手個々の力量。特に投手力で大垣日大が上回り、失点も少ない。東海地区の代表としてより『甲子園で勝てるチーム』という客観的判断」(鬼嶋一司・地区小委員会委員長)とした。単純に同じ対戦相手(日大三島)で比較すれば、大垣日大の方が失点が多い。また、聖隷は主将でもあるエースが1回戦で故障し、大会の終盤戦は控え選手の頑張りで逆転につなげた。野球はチームスポーツであり、むしろ全員の力こそが評価されてしかるべきかと思う。もちろん選考会後に、聖隷のすばらしさを持ち上げるコメントもあったが、ネガティブな論調が独り歩きするのはやむを得ない。
35年前の静岡ワンツー時は東海3校
今回の「珍事」で、これまでの東海地区の選考過程を振り返ってみることにした。報道で「東海大会決勝進出校が選抜されないのは44年ぶり」とあったが、これは的を射ていない。昭和53(1978)年、50回大会の東海地区選出は、浜松商(静岡)、岐阜、刈谷(愛知)の3校だった。前年秋は中京(現中京大中京=愛知)が制していたが、不祥事で推薦を辞退していたのだ。また、静岡勢のアベック出場は35年前の59回大会が最後で、東海大会優勝の富士と、同準優勝の富士宮西がワンツーで選出。さらに明野(三重)が3校目に入った。当時の東海の基準枠は「3」で、現在のように「2」となったのは平成16(2004)年の76回大会から。ちなみにこの大会では、愛工大名電(愛知)が持ち帰った「神宮枠」で、3校が東海地区の一般選考で選ばれた。3枠を確保していれば、今回のようなことは起こらなかった。
戦後、「東海3県」から必ず出場校
この検証過程で、あることに気付かされた。それは、戦後のセンバツで、愛知、岐阜、三重のいわゆる「東海3県」からセンバツ出場校のなかった例が皆無だったことである(戦前に1例あり)。東海大会はこれに静岡を加えた4県で行われるが、名古屋を中心とした「中京圏」は、愛知、岐阜、三重の東海3県を指すことが一般的で、経済文化圏としては静岡と分けることが多い。センバツは主催の毎日新聞社の販売戦略とも密接に絡んでいるため、「東海3県」からの選出ゼロを避けたかったのでは?と想像できる。これがこの記事の結論であり、センバツ選考でよく用いられる「地域性」に該当する。
「地域性」との板挟みか?
ただこれに関しては、鬼嶋氏が「考慮に入れていない」と真っ先に否定した。したがって、「個人の力量」「甲子園で勝てるチーム」という苦しい弁明を強いられたのではないか。この2つのワードは、センバツの目玉の一つである「21世紀枠」を否定することにつながる。また「地域性」を肯定してしまうと、近畿で正反対の選考をしている(1月28日の記事で詳報)ため整合性が取れず、会として全体の一貫性を問われてしまう。ちなみに、本文に記載されている鬼嶋氏の発言の大半は、選考結果に疑問を呈した記者からの質問に答えたものである。
出場校決定は主催者の裁量
センバツは皆さんもご存じのように「招待大会」であり、出場校の選出に関しては、ある程度、主催者の裁量に任されている。50人を超える選考委員に委嘱して、合議で選出校を決めるが、選考会はより客観性を保つための「クレジット」と言うべき存在なのである。その参考になるのが前年秋の地区大会で、過去の事例に照らし合わせて、早い段階から予想記事も掲載される。しかし今回は前例のないことであり、吉報を待っていた聖隷の選手や関係者に大きなダメージを与えた。
ネット社会の危うさが鮮明に
聖隷に対する激励を多く目にするが、それ以上に目立つのが主催者に対する非難である。特に鬼嶋氏に対する誹謗中傷ともとれる集中砲火は全くの筋違いで、小委員会の委員長として、全体の意向を代弁したまで。苦しい胸の内を察せられるだけに、同情を禁じ得ない。また、出場する大垣日大に対し「辞退すべき」などもってのほかで、ネット社会の危うさが鮮明になった。真のファンなら、聖隷の夏の甲子園出場と、選考委員会が責任を持って決めた出場校の全力プレーを祈ってくれるものと信じている。