日本における女性の健康に関する「社会的課題」とは?〜産婦人科医の視点〜
診療現場における「産婦人科医療」とは?
はじめまして。
産婦人科医の重見と申します。
私は産婦人科を専門とする医師として診療現場に立ってきましたが、そこでは様々な種類の医療が提供されます。
そして、それは非常に高度な学術的なものから、社会と接する身近なものまで多様です。
日本産科婦人科学会では、産婦人科医療の専門領域を大きく4つに分類しています。(文献1)
(1) 周産期
(2) 生殖医学
(3) 婦人科腫瘍
(4) 女性医学(女性のヘルスケア)
この分類は、医学的内容から見た区分けであり、言ってみれば「縦切り」の分類と考えられます。
それぞれの専門領域で、いろいろな疾患や課題を解決しようと世界中・日本中の医療者が奮闘しています。
しかし、これを「公衆衛生学的視点=社会全体としての健康問題を考える」として見れば、また違った見え方となります。
つまり、各専門領域で区切るわけではなく、「社会で多くの女性が困っていること」を起点に考えるということです。
私は、このように「産婦人科 x 公衆衛生」という切り口で、女性の健康に関する社会的課題の解決を活動の主軸に置いています。
具体的な「女性の健康に関する社会的課題」とは?
それでは、「女性の健康に関する社会的課題」の具体例にはどんなものがあるでしょうか。
挙げればキリがないのですが、例えば、
・包括的性教育という概念の周知と実装の遅れ
・若い女性の痩せ指向
・月経随伴症状による様々な負の影響
・避妊手段の少なさとアクセス不備
・子宮頸がん検診受診率とHPVワクチンの接種率の低さ
・妊産婦の自殺とそれに関連する周産期うつ
などでしょうか。
これらは、「対象となる女性の多さ」と「(個々の医療機関ではなく)社会全体として解決するべき」という特徴を併せ持っており、まさに「社会的課題」と考えられます。
以下に、それぞれの課題について少し解説をしてみようと思います。
1. 包括的性教育という概念の周知と実装の遅れ
「包括的性教育」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
日本では、「性教育」というと、「男女の体のつくり」、「セックスの方法」、「避妊」といったものが想定されがちです。
一方で、「包括的性教育」という概念では、性をセックスや妊娠・出産のことだけでなく、性を通して人との関わり方や相手の立場、人権や幸福を考えることも含めた性教育とされています。
子ども・若者が、これらのことを自分自身で考え、判断し、決定できる能力を育むことが目的とされ、このような包括的性教育の指針として、「国際セクシュアリティ教育ガイダンス(International technical guidance on sexuality education)」というものがあります。(文献2)
これは、ユネスコ(UNESCO)や世界保健機関(WHO)など複数の国際機関が共同で作成したガイダンスです。日本ではまだまだ「包括的性教育」という概念の浸透が薄いと感じますが、海外では様々な国で標準的なものとなっており、本ガイダンスでは5歳から介入を開始することが推奨されています。
ファミリープランニング、適切な避妊法、性感染症の予防、パートナーとの関係性、自身の性自認、性を通じた幸福の追求など、日本で課題とされている多くのテーマに密接に関連しており、早急な普及がされるべきだと私は考えています。
2. 若い女性の痩せ指向
日本を含め、世界中で「(特に)若い女性の痩せ願望」が過熱してきた傾向がありました。
魅力的なモデルや有名人が非常に細身であることが多い、メディアで報道される「痩せてきれいに」というボディイメージの印象づけ、身近な人に言われた体型への一言など、様々な影響から「痩せたい」と考える女性が増えてきたと思います。
最近では、過度な痩身に伴う健康上の問題に少しずつ注目が集まり、一部のファッション企業などでは「あまりに細身なモデルは起用しない」といった声明を出しましたが(文献3)、産婦人科医療の現場では、まだまだ過度に痩せた女性が少なくないと感じています。
女性の健康という視点でみると、過度な痩せは
・摂食障害に伴う種々の問題(文献4)
・月経不順や無月経
・妊娠可能性の低下
・早産や低出生体重児の増加(文献5)
などに関連します。
米国の産婦人科学会でも、メディアを通じた誤ったボディイメージについて注意を促しています。(文献6)
3. 月経随伴症状による様々な負の影響
月経随伴症状とは、月経に関連した様々な症状のことです。
月経痛はもちろん、下痢や肌荒れ、精神的な不調や月経前症候群(PMS)も含まれます。
これらの症状は、女性にとって大きなストレスになり得るだけでなく、日々の生活に支障をきたしたり、仕事や勉強の効率を大幅に落としてしまうことがあります。
実際に、日本で実施された調査研究では、月経随伴症状による1年間の社会経済的負担は労働損失だけでも4900億円ものインパクトがあると試算されています。(文献7)
月経痛のコントロールや精神的な変動には、鎮痛剤だけでは対処が難しい場合もあり、欧州や米国、他のアジア諸国では低用量ピルが広く活用されています。低用量ピルは避妊法の一つでもありますが、月経に関連する症状を改善してくれる効果も大きく、日本でも月経困難症などの診断がつけば保険診療としてピル(LEP)を処方してもらうことが可能です。
ただし、日本ではまだまだ低用量ピルの利用が少なく、普及しているとは言い難い状況です。
これには様々な理由があると考えられますが、「なんとなく体に悪そう」、「将来妊娠しにくくなると聞いた」、「ピルを飲むのは性に奔放な女性だ」などといった「完全に誤った認識」が根強く残っていることも関係していると思います。
4. 避妊手段の少なさとアクセス不備
日本では、最も利用されている避妊手段は「男性用コンドーム」です。
一方、他の手段である低用量ピルの使用割合は2.9%で、これはアジア諸国の中でもかなり低い数値になっています。
2019年のレポート(文献8)をみると、月経のある年代の女性における低用量ピルの使用割合が20%以上の国は27カ国あり、英国26.1%、フランス33.1%、カナダ28.5%、米国13.7%などとなっています。
コンドームもきちんと使用すればそれなりに高い避妊成功率を保ちつつ、経済的にも便利な手段と言えるでしょう。
しかし、実際には理想的な使用方法を常に守ることができないことも多く、その場合には7組に1組もしくは7回に1回ぐらいの頻度で妊娠してしまうのです。(文献9)
では、女性が主体的に避妊管理ができ、月経随伴症状軽減などの効果もあり、コンドームより高い避妊成功率が期待できる低用量ピルが、日本でほとんど普及していない理由は何でしょうか。
1つ目は、「入手方法が面倒」ということです。日本では、基本的に医療機関を受診し、処方をしてもらう必要があります。一方、海外では、低用量ピルを薬局で購入することが可能な国が少なくなく、緊急避妊薬も同様の扱いとなっている場合があります。また、値段がかなり安く、「女性にとって身近な存在」という感覚なのでしょう。
2つ目は、「避妊は男性主体」という感覚が日本では強いということです。避妊方法には男性側と女性側のものがあり、それぞれ特徴が異なっていますが、欧州や米国では「妊娠するのは女性だから、避妊を男性任せにはしない」という意識が当たり前のように広まっているように感じています。
3つ目は、「きちんとした知識が不十分」ということです。これは、性教育に直結するものです。妊娠が可能な状態になる思春期の時期に、どれだけ正確な避妊法の知識を身に付けられるかはとても重要で、その後の性生活に大きな影響を与えます。ところが日本では、思春期の子ども(ほとんどが学生)に対し、コンドームや低用量ピルなどの避妊法を具体的かつ包括的に情報提供できる機会が非常に少ない現状があります。子どもたちがデジタルネイティブな世代であることをきちんと理解し、社会全体としてしっかりと問題意識を持ち、教育をしていく必要があるでしょう。
5. 子宮頸がん検診受診率とHPVワクチンの接種率の低さ
子宮頸がんは、女性の子宮にできる悪性腫瘍(=がん)です。
日本では毎年約1万人が新たに診断され、そこには20-40代の若い女性たちも多く含まれます。
また、年間に約3000人の方が子宮頸がんを理由に亡くなっており、これは毎日8人もの女性が命を落としていることになります。(文献10)
そして、子宮頸がんは、全体の95%以上がHPV(ヒトパピローマウイルス)の感染が原因で発症することがわかっています。(文献11)
HPV感染を防ぐHPVワクチンの接種により、2・4価ワクチンで約6~7割、9価ワクチンなら約9割を予防することができると考えられています。(文献12)
ところが、日本ではワクチンへの公費助成が何年も前からされているにもかかわらず、現在では接種率が1%未満という状況です。世界中の多くの国で数十%の接種率が実現されている中で、日本の状況は異常とも言え、このままではそう遠くない未来には「子宮頸がんに女性が苦しむ珍しい国」になってしまうかもしれません。
また、子宮頸がん検診の受診率の低さも問題視されています。
子宮頸がん検診は20歳から受診対象となっていますが、20代で検診を受けている女性は約4人に1人程度しかいません。(文献13)
子宮頸がんの予防方法として一番効果的なのは、「HPVワクチン+定期検診」と考えられており、これは世界保健機関(WHO)も明示しています。(文献14)
日本で「HPVワクチン接種率」と「子宮頸がん検診受診率」が上がることは、今を生きる女性だけでなく、これからの社会を担っていく若い世代の健康と幸せにもつながります。
6. 妊産婦の自殺とそれに関連する周産期うつ
近年、日本では妊産婦の自殺が問題視されています。
2016年に、「2005〜2014年の10年間に東京23区で計63例の妊産婦の自殺があった」ことが調査でわかりました。(文献15)
これは産科異常(多量出血や脳血管障害など)による妊産婦死亡率(東京都)の2倍以上であったため、産婦人科医を含む多くの医療関係者に大きな衝撃を与えました。さらに、同調査では、自殺した妊婦の約4割がうつ病または統合失調症であったこと、褥婦(産後の女性)の6割程度が産後うつ病をはじめとする精神疾患を合併していたことが明らかになりました。
また、国立成育医療研究センターの研究では、2015〜2016の2年間における出産後1年未満に死亡した女性について調査したところ、死因は自殺が最多であることがわかり、これも大きな衝撃を与えました。(文献16)
このような妊娠中から産後にかけての自殺に関連する「うつ」は、妊娠中では10%前後、産後では15%程度の女性に認められるとも言われており、「妊産婦のメンタルヘルス」に大きな注目が集まっているのです。
なお、最近の研究では、「妊娠中からの、個別性が高い、ハイリスク者へ特に力を入れた、カウンセリング介入」が産後うつの予防に最も有効性が高いという結果も報告されており(文献17)、産前産後の切れ目ない支援体制の整備が早急に必要であると考えられます。地理的または人員的なバリアの克服には、ICTを活用したオンラインでの支援の併用が有用かもしれません。(文献18)
今を生きる女性だけでなく、次世代の女性のためにできること
日本における、女性の健康に関する社会的課題の例をいくつか紹介しました。
これを読んでくださった方は、どれくらい上記のことについてご存知だったでしょうか。
もちろん、かなり専門的な内容や研究も含まれますので、皆さんがこの全てを知っている必要はありません。
ただ、どれも非常に身近な話題とも言えるのではないでしょうか。
きちんとした性教育が全ての男女に届けられ、
誤ったボディイメージによる長期的な弊害のリスクを最小限とし、
月経に伴う諸症状の管理によって日々の生活や仕事、学業への支障をなくし、
女性による主体的かつ効果的な避妊法へのアクセスが容易で、
予防しうる病気である子宮頸がんを撲滅することを実現可能な目標とし、
全ての妊産婦さんが心身ともに健康的な生活を送ることができる社会。
日本をこんな国にするためにはどうすれば良いのでしょうか。
そのために解決すべきことはたくさんありますが、様々な角度からのアプローチで、一歩ずつ前に進めていくことが重要でしょう。
ぜひ、皆さん一人一人も、こうした課題について考えていただき、身近な人と話し合っていただけたら幸いです。
参考文献:
1. https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001wmpk-att/2r9852000001wmsf.pdf
2. International technical guidance on sexuality education.
https://www.unaids.org/sites/default/files/media_asset/ITGSE_en.pdf
3. LVMH AND KERING HAVE DRAWN UP A CHARTER ON WORKING RELATIONS WITH FASHION MODELS AND THEIR WELL-BEING.
https://r.lvmh-static.com/uploads/2017/09/press-release-models-charter-kering-lvmh-en-def-09-06-17.pdf
4. 厚生労働省. 摂食障害.
https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_eat.html
5. Girsen AI, Mayo JA, Carmichael SL, et al. Women's prepregnancy underweight as a risk factor for preterm birth: a retrospective study. BJOG. 2016;123(12):2001-2007.
6. ACOG. FAQ. Media and Body Image.
https://www.acog.org/patient-resources/faqs/especially-for-teens/media-and-body-image
7.Tanaka E, Momoeda M, Osuga Y, et al. Burden of menstrual symptoms in Japanese women: results from a survey-based study. J Med Econ. 2013;16(11):1255-1266.
8. Contraceptive Use by Method 2019.
https://www.un.org/development/desa/pd/sites/www.un.org.development.desa.pd/files/files/documents/2020/Jan/un_2019_contraceptiveusebymethod_databooklet.pdf
9. Human+. 確実な避妊法を教えて!
http://humanplus.jp/%e7%a2%ba%e5%ae%9f%e3%81%aa%e9%81%bf%e5%a6%8a%e6%b3%95%e3%82%92%e6%95%99%e3%81%88%e3%81%a6%ef%bc%81/
10. 国立がん研究センター. 最新がん統計.
https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html
11. 日本産科婦人科学会.
https://www.jsog.or.jp/uploads/files/jsogpolicy/HPV_Part1_3.1.pdf
12. 日本産科婦人科学会.
http://www.jsog.or.jp/modules/jsogpolicy/index.php?content_id=4
13. 日本医師会.
https://www.med.or.jp/forest/gankenshin/data/japan/
14. 日本産科婦人科学会. 世界的な公衆衛生上の問題「子宮頸がんの排除」に向けたWHOスライドの日本語翻訳版.
http://www.jsog.or.jp/uploads/files/jsogpolicy/WHO-slides_CxCaElimination.pdf
15. 竹田省ら. 東京都23区の妊産婦の異常死の実態調査.
16. 森臨太郎ら. 周産期関連の医療データベースのリンケージの研究(厚生労働科学研究費補助金・臨床研究等ICT基盤構築研究事業).
https://www.ncchd.go.jp/press/2018/maternal-deaths.html
17. O'Connor E, et al. Interventions to Prevent Perinatal Depression: Evidence Report and Systematic Review for the US Preventive Services Task Force. JAMA. 2019;321(6):588-601.
18. 重見大介. 妊産婦を対象とした遠隔健康医療相談システムの開発と試験運用の報告. 東京産科婦人科学会会誌 2019;68(2):143-148