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【大阪/大東市】JR住道駅周辺をぶらり散策!この一帯はかつて”キリシタンの町”だった?

旅人間はらぺこライター

はらぺこライターの旅人間です。

今回は大阪府大東市の住道駅周辺をぶらり散策してみました。

と言うのも「大東市と四條畷市の周辺はかつてキリシタンの町だった」そんな話を聞いた事があり、その手がかり探しの散策です。

早速、見つけたのは駅前にある「ライオン像」の噴水です。

あまりライオンっぽく見えませんが…。案内には「スペインのライオン彫刻」をモチーフにしたものと書かれています。

「三箇キリシタンの歴史、その繋がりあるスペイン南部のアンダルシア地方にアルハンブラ宮殿の中庭にある12頭のライオンの彫刻」ともありますね。

ここで「三箇キリシタン」って言葉が出てきました。

三箇キリシタンとは?

三箇キリシタンについて、調べ整理してみると…

かつて大東市に大きな深野池があり、そこには南北に連なる3つ島に分かれていたんだとか。それが「三箇」という地名の由来のようです。

そして、その島の一つに水運の要所として「三箇城」が築かれたという。

この三箇城の城主は、三箇頼照(三箇サンチョ)。飯盛城を居城として五畿内を制圧した三好長慶の重臣で、1564年に飯盛城で洗礼をうけキリシタンになった人物です。

三箇城は現在の三箇菅原神社の付近とされていますが(住道駅からは徒歩25分ほどの場所)、諸説あり未確定のようです。地図(外部リンク)

駅前には「三箇キリシタン」に関する案内板もあります。

そこには当時の絵図もありますので興味のある方はチェックしてみて下さい。尚、駅構内(売店の近く)にある陶板壁画は、この絵図を基に作成されたものになります。

キリシタンという言葉は戦国時代から江戸、明治の初めごろに使われ「キリシタン大名」や「隠れキリシタン」は歴史的にも知られています。

ちなみに、キリシタン大名と言えば、高山右近や小西行長が関西では有名ですが、ウィキペディアで見ると、この三箇城は高山右近も領主になっていたようです。

そう考えると、歴史ロマンも高まりますね。

天正10年(1582年)、本能寺の変の際に三箇親子は明智光秀についたが山崎の戦いで光秀が敗れたため、親子は領地を捨てて逃亡し、三箇城と教会も含めた城下は焼き討ちにあった。
三箇氏の後には岡山からキリシタン武将である結城如安が移り、さらに如安が戦死した後には同じくキリシタン武将の高山右近が領主となったが、右近が大坂に新たな教会を作ったため、熱心な信者らは大坂に去った。
<ウィキペディアより引用(外部リンク)>

住道と角堂について

住道駅から北に向けて少し歩くと、寝屋川と恩智川の合流地となります。ここで2つの川が1つになります。

大きな深野池が今は存在しないように、昔と地形は変わっているかもしれませんが…。

JR住道駅の「住道」の由来はキリシタンの聖堂があったことに由来し、「角堂(すみのどう)」と呼ばれた。そんな説があるそうです。

もちろん、諸説様々でハッキリした事は分かっていません。この付近に聖堂があったことも推測のようです。

ここで再び、ウィキペディアを見てみると…

永禄11年(1570年)頃には従来の教会では手狭になり、大きな会堂を建設した。
この新しい教会の位置は明らかにはなっていないが、「角堂(すみのどう)」の地名の起こりとなったという説もある
<ウィキペディアより引用>

この川の合流地点に行くと、そこには小さな社が見えてきます。

住吉神社です。

この案内には「舟運送が盛んであった頃、寝屋川と恩智川が合流するこの地は、角堂浜と呼ばれ、大阪と北河内の荷物が一手に集まり、大いに賑わった」とあります。

また、「現在の住道の繁栄はここから始まった」とも書かれています。

勝手な憶測になりますが…

水運の要所として「三箇城」があったように、この賑わいを見せた川の合流地点に「聖堂(教会)があったのかも…。

例えば、2つの川が合わさって、そこは中洲のようになっていた。そして先端の角に美しい聖堂が建っていた。これが「角堂」と呼ばれた由来になったのかも…。

そんな勝手な想像に浸ってしまいそうになります。

恩智川沿いを東へ行くと…

約10分ほど歩いた先に安楽寺、その先に地蔵尊があります。
地図(外部リンク)

ここにある線香立てをよく見ると…

ここには「角堂」の文字が今に残っています。

正しくは「角ノ堂」と書かれているようですが、現在は「角堂」としか見えません。この地域の歴史を感じる貴重な場所と言えるでしょう。
(昔の文字なので右→左に読みます)

最後に

今回は、大東市にある住道駅周辺を散策してみました。大東市がキリシタンに深く関わりのある場所であったことは分かりましたが、まだ入口の入口です。

もっと文献を調べ、識者に会い、情報を深め行きたいと考えています。

特に江戸幕府が禁教令を布告してキリスト教を弾圧した後、密かに信仰を続けた「隠れキリシタン」と呼ばれる人々の存在は深く心に残ります。

例えば、これは大東市深野にある「八幡宮」切支丹灯籠です。
地図(外部リンク)

ただ、ハッキリ見て取れたのは灯籠に人の姿。これがマリア様なのか、ガウンを着た人なのか?手に何か持っているようにも見えるけど…と言った感じ。

ハッキリは分かりません。もちろん、当時の時代背景からすると、キリスト教を信仰している事が幕府にばれると死刑だったはず。

だから、絶対にバレないようにしてるので露骨に十字架なんてあり得ないでしょう。

何百年も命を懸け、弾圧されても屈せずに信じ続けた大切な信仰がここにあったと想像するだけで、とっても尊い気持ちになります。

三箇キリシタンの三箇城のあったとされる大東市、目線を変えて色々と散策すると、新たな発見が見つかりそうです。

このテーマ、取材を深めて改めて記事にしたいと考えてます。

住道駅
場所:大阪府大東市住道2丁目3
地図(外部リンク)

はらぺこライター

旅行好きのライター。各地に伝わる伝説や民話、古くから地元で大切にされているモノを親しみやすく紹介したい|地元で人気の食堂やレトロな喫茶店巡り|”思わずクスッと笑ってしまうような”珍スポット探し|目標は個性的でヘンテコな旅本の出版|フォローして頂けたら嬉しいです。

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