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脱出する家族の運命があまりにも…北朝鮮の衝撃事実をつぶさに伝える映画が、アカデミー賞にも突き進む

斉藤博昭映画ジャーナリスト

ここ数年、周辺国にさらなる脅威を与えている北朝鮮。その実態は、これまでもメディアで報道され続けており、映画でも描かれてはいたが、知られざる事実を突きつけてくるという意味で、衝撃のドキュメンタリーが完成された。

監督やプロデューサーはアメリカ人。つまりアメリカ映画。2023年1月のサンダンス映画祭で上映され、オンラインで参加した筆者も「こんな映画を作ってしまって大丈夫なのか?」とショックを受けた。サンダンスの開催直前までシークレットにされていた、いわくつきの作品でもある。結果的に同映画祭では、USドキュメンタリー部門の観客賞を受賞する。

サンダンス映画祭でお披露目され、高い評価を受けた作品は、それから1年をかけて、翌年のアカデミー賞へ至るケースが多い。2年前のアカデミー賞作品賞に、ややサプライズで輝いた『コーダ あいのうた』も、スタートはサンダンスだった。その前年の、ユン・ヨジョンが助演女優賞を受賞した『ミナリ』もそう。2023年のサンダンス発の作品では、この『ビヨンド・ユートピア 脱北』が、アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞にノミネートされそうな気配である(ノミネート発表は、1/23)。

北朝鮮から韓国への脱北者について描かれた、過去の劇映画やドキュメンタリーと違って、『ビヨンド・ユートピア』がスゴいのは、実際に脱北者の一家の「移動」がカメラで収められている点。これ、通常の感覚ではあり得ない。あらゆる安全策をとりながらも、どこかで捕まるリスクが高い脱北者。しかも北朝鮮に戻されたら、酷い仕打ち、時には死が待つのは明らか。そんな彼らの運命を撮影するなんて無謀だが、本作はそれをやってのけてしまった。撮影クルーが接触できない場所では、スマートフォンなどのカメラで、彼ら自身、あるいは手引きするブローカーが状況を動画で収めるのだが、その臨場感、生々しさは尋常ではない。80代の祖母や幼い娘たちも含めた家族が、何時間もかけて夜のジャングルを彷徨うなど、信じがたい光景が続くが、これによって脱北の実態が伝わってくる。しかも彼らは単に北朝鮮と中国の国境を越えるだけでは済まない。北朝鮮に情報が届かない国まで、遠い距離を移動する必要があるのだ。地理的に最も近い韓国との国境には多数の地雷が埋まっていて、自力で越境するのは不可能だという。

脱北する家族の過酷さが生々しい映像とともに…
脱北する家族の過酷さが生々しい映像とともに…

この脱北一家の運命は、とにかく作品で確認してほしいが、『ビヨンド・ユートピア』は、そこだけにとどまらない。

脱北に成功した人たちの証言

脱北者の母が、北朝鮮に残った息子を脱出させる苦闘

脱北者を後方支援する韓国の牧師

といったエピソードも、かなり濃厚に収められている。そこから浮かび上がってくる北朝鮮の現実、金総書記体制のショッキングな実情、あのマスゲームの裏側などから、これまで日本でも知り得ていた情報が上書きされ、改めて戦慄をおぼえることになる。その意味でも必見ネタの宝庫である。

サンダンス映画祭を皮切りに、世界中が注目するアカデミー賞への道のりによって、当然のごとくこの『ビヨンド・ユートピア』は、北朝鮮の目にも触れているだろう。こんなにも挑発的な内容のドキュメンタリーを作り、世界に広めてしまっていいのか……。あくまでも「アメリカ目線」の作品として、いつものことだと先方は軽くスルーするだけかもしれないが。

こうした作品でつねに考えさせるのは、命の危険を犯してまで他国へ逃げることと、辛い日々を送りながらも何も知らずに生き抜くこと、その両方が秤にかけられる点。プロパガンダで体制への献身を植え付けられ、自由も知らず生きていた方が、もしかしたら幸せなのかもしれない。そしてどんな情報も手に入る国の人間も、偏った思想でプロパガンダに侵されているのかもしれない……。そんなことに想像が広がるのも、ドキュメンタリーの役割だと本作は教えてくれる。

『ビヨンド・ユートピア 脱北』は、アカデミー賞ノミネート発表(1/23)を前に、日本で劇場公開が始まった。アカデミー賞へのノミネート、あるいは受賞に値するのかを考えながら、スクリーンに向き合い、その衝撃を受け止めてほしい。

『ビヨンド・ユートピア 脱北』

1月12日(金)TOHOシネマズ シャンテ、シネ・リーブル池袋ほか全国公開

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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